山澤慧無伴奏チェロリサイタル マインドツリーvol.5|西村紗知
山澤慧無伴奏チェロリサイタル マインドツリーvol.5
Kei Yamazawa Solo Cello Recital ‘Mind Tree’ vol.5
2019年10月18日 トーキョーコンサーツ・ラボ
2019/10/18 Tokyo Concerts Lab.
Reviewed by 西村紗知 (Sachi Nishimura)
写真提供:東京コンサーツ
<演奏> →foreign language
山澤慧(チェロ)
<曲目>
山澤慧:無伴奏チェロのための「トルテ」(2019 初演)
ブリテン:無伴奏チェロ組曲第1番 op.72(1965)
ヴィトマン:デジタル・エチュード(2015)
木ノ脇道元:Mill Chrome Song(2019 初演)
ヒンデミット:無伴奏チェロソナタop.25-3(1922)
ホリガー:トレマ(1981)
ヴィルトゥオーシティとは、演奏家の自律性である。見世物となることではない。作曲家から、譜面から、聴衆から、切り離されて独自の境地に至るということ、このことが演奏家のヴィルトゥオーシティなのだと思う。技巧や肉体の鍛錬そのものでも、何か好き勝手遊ぶことでもない。
無伴奏作品が難しいと一般的に言われるとき、そうした演奏家の自律などということを思うのである。しかし、筆者が多少は経験したピアノという楽器なら大抵無伴奏なので、いくら無伴奏は難しいと言われても残念ながらあまりピンとこない。ただ、無伴奏というのが、単に他の演奏者が助けてくれる状況にないことを言うのではないというのはわかる。
さて、山澤慧というチェリストの場合どうだったろう(なお、公募作品を扱うプレ・コンサートは時間の都合上伺えなかったことをあらかじめここに記す)。
最初は山澤の自作曲。SACHER主題(ミ♭ラドシミレ)で構成された作品(タイトルの「トルテ」、Sachertorteということか)。出だしは、駒の付近から発されるピアニシモですばやく反復される音型に始まり、その残響が古いテレビの砂嵐のように茫漠とする。その後倍音を含んだ音階が始まり、次第に音の輪郭がみえてきたら急にフォルテとなる。ピチカートやトリル付きの音型を経て和音が印象的な場面に移行し、三連符のきざみの場面もありつつ、最後は高音へ抜けるグリッサンドで終わる。最初から順に無伴奏チェロの技法が披露されるような作品であり、いわばチェリストの手札がこれで披露されたようなものである。演奏会の幕開けが、高らかに告げられたのだ。
しかし、そうした順調な立ち上がりから一転、ブリテンの無伴奏チェロ組曲では全体的に伸びやかさが足りず、呼吸が小さくなってしまっていた。無伴奏では特に、テンポに自らをあてはめにいくのではなく、自らテンポをつくりだすようでなくてはならない。演奏におけるテンポをつくりだすのは、時計的な時間ではなかろう。なんとなれば音色もまたテンポをつくるかもしれないのだ。それくらい、音楽の要素全体が入り乱れて音楽は出来上がっていくのであろうけれど、この無伴奏チェロ組曲の演奏はいくらか文字通りの地点に留まっていたように思う。この作品では主題となる歌[Canto]が三回登場し、これに回帰するまでの流れが感動的であるが、最初の回帰、つまり「II.ラメント」の後、一本線のようなフェルマータから回帰するところはしっかり決まったものの、後半の感動は最初の方ほどには及ばなかった。「III.セレナータ」のピチカートはエキゾチックな仕上がりで素敵だったけれど、やはり歌における呻きがもっと欲しかった。憂鬱な泥水のような呻きさえあれば、ピチカートがもっと映えたであろうに。
ヴィトマンの「デジタル・エチュード」は楽しい作品なのだろう。演奏者がチェロを膝の上に横たえ、いろんなところを叩く姿はパーカッション奏者のようであったし、演奏者が立った状態でピチカートを弾く姿はさながらダブル・ベースのそれであった。発音体として白紙状態に戻された、なおも開発途中のチェロの姿を見守り続けることとなる。ただ正直に白状すると、こういう途上にあるかのような作品を額面通り受け止めるのは難しい。何が額面通りなのか、ということも含めて。たぶん、楽しい作品だったのだろうと想像する。ただ、演奏者は見世物ではないのだ、ということを忘れるわけにはいかない。当の演奏者はチェロをひっさげ、軽快なピチカートを奏でながら会場の外にはけていった。
木ノ脇の「Mill Chrome Song」序盤、開放弦の音に微妙にピッチの異なる音を重ねてつくる音響は、この日で最もニュアンス豊かであった。倍音やノイズなど、様々な夾雑物を含んだ豊かな一本のD音が、音を立ててG音へと落下する。そうして開放弦のCGDAの音を基軸に発展し、後半になると、この作品にインスピレーションを与えたという石井眞木の和太鼓アンサンブル作品「モノクローム」の影響あってか、太鼓のようなはねたリズムが登場する。このリズムははじめ楽音で発せられ、その後チェロを指で叩く際に再現される。音楽は次第に開かれていく。ピチカート、開放弦の4つの音からなる旋律、そしてはねたリズムが交互に奏され、この音楽はどこか遠くへいってしまう。
演奏者曰く、留学先で勉強しその魅力を理解するに至ったという、ヒンデミットのチェロソナタ。この日一番の出来であった。演奏者が息づく。猛々しい連打音も、高音で張り上げる旋律も、まさに演奏者から発せられていた。ゆったりとしたカーブも思慮深い。深く呼吸している。最後の楽章もパキパキ決まっていた。全体として、演奏者が発している音楽であるとわかる。
その震えが何によるのか。譜面に書きつけられたものか、それとも演奏会最後とあって体力的に限界を迎えつつあるなかでの、肉体によるものなのか。ホリガーの「トレマ」は作品を通じてずっと震える音楽である。トレモロやらグリッサンドやら、細かい音価のパッセージやらたくさん譜面に書きこまれていて、チェロは発火寸前といったところだ。熱演であった。もっとクールに仕上げる可能性もあっただろうけども、演奏者の肉体がそれを許さなかったようである。
来年以降も野心的な試みが続くという、この演奏会シリーズ「マインドツリー」。そういえばこの日のプログラムには、演奏家兼作曲家の作品という縛りがあったのだそう。なるほど、演奏家の自律性への道は険しい。けれども、実り豊かな道程となるに違いない。
(2019/11/15)
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<Artist>
Kei Yamazawa (Cello)
<Program>
Kei Yamazawa : Torte for cello(2019 premiere)
Benjamin Britten : Cello Suite No.1 op.72(1965)
Jörg Widmann : Étude Digitale for cello(2015)
Dogen Kinowaki : Mill Chrome Song(2019 premiere)
Paul Hindemith : Cello Sonata op.25-3(1922)
Heinz Holliger : Trema(Version for solo cello)(1981)