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エベーヌ弦楽四重奏団《ベートーヴェン・アラウンド・ザ・ワールド》|藤原聡

エベーヌ弦楽四重奏団《ベートーヴェン・アラウンド・ザ・ワールド》
Quatuor Ebène《BEETHOVEN AROUND THE WORLD》

2019年7月16日 サントリーホール ブルーローズ
2019/7/16 Suntory Hall Blue Rose(Small Hall)
Reviewed by 藤原聡(Satoshi Fujiwara)
Photos by 林喜代種(Kiyotane Hayasi)

<演奏>        →foreign language
エベーヌ弦楽四重奏団
 ピエール・コロンベ(ヴァイオリン)
 ガブリエル・ル・マガデュール(ヴァイオリン)
 マリー・シレム(ヴィオラ)
 ラファエル・メルラン(チェロ)

<曲目>
ベートーヴェン
弦楽四重奏曲第9番 ハ長調 op.59-3『ラズモフスキー第3番』
弦楽四重奏曲第13番 変ロ長調 op.130『大フーガ』付き

 

《ベートーヴェン・アラウンド・ザ・ワールド》とは、今年のカルテット創立20年、さらにベートーヴェン生誕250年を記念する2020年に向けたプロジェクト名。この4月から2020年1月まで7度に及ぶワールドツアーを敢行(来年の来日はないそうだ。残念)、それぞれの最終公演はライヴ収録されて全集として発売される(さらにドキュメンタリー映画の製作も予定されている、という)。エベーヌSQの破格の実力については、2017年10月における来日公演で初めて実演に接した筆者を大いに驚嘆させた。その自在な表現力を駆使した音楽は弦楽四重奏というメディアのイメージを刷新するほどの新鮮さと刺激に満ちていた(ちなみに2日目のプログラムは前半にベートーヴェンとモーツァルト、そして後半にジャズ)。ベートーヴェンで言えば、その折にも『セリオーソ』、さらに今回と同じく第13番を演奏しており、これも独自のユニークネスを発揮していたものだ。2年ぶりの実演はどうなるか。

『ラズモフスキー第3番』冒頭は音色に細心の注意を払ったノン・ヴィブラートで始まるが、既にここだけでその精妙極まりないバランスに驚く(ここだけで、ですよ)。繊細なダイナミクスの操作を伴いつつ注意深く息を詰めたような緊張感で進む序奏の後の主部での開放感はまた格別で、ここまでこのコントラストが生きた演奏はなかなか思い付くものではない。その主部はどの瞬間もフレーズの隅々まで神経が行き届いていて、瞬間瞬間で表情の変化がある。強烈な推進力を発揮しながらもそれが単なる勢いに任せた演奏にならないのはこの全体性と細部への目配せが常に同時に働いているからだ。
一転して音色に重みが増した第2楽章ではメルランの存在感のあるピチカートが印象的だが、適度に速めのテンポが心地良い。いかにも優美なメヌエットを経て終楽章フーガが想像通り、いや想像以上のインパクト。恐らくは至上最速のテンポであろうが、しかしその中で一時でも崩れる瞬間が見当たらない。常に技術的に完璧に近い。しかも技術的に完璧なだけではなくそれでもまだ余裕すらあるので、どの瞬間にも「音楽」があってスポーツ的な熱狂に堕ちていない。ここまで余裕がありすぎると逆にギリギリの中で自ずと現れて来る切迫感が希薄、とは余りに贅沢な不満ではあろうか(聴き手は勝手なものだ)。まあしかし、好きだの嫌いだのの次元を超越したレヴェルの演奏に2年ぶりにたまげたという他ない。

そして後半の第13番、これは2年前にもHakuju Hallで聴いている曲だが、その際の記憶を頼りに書けば、今回の演奏の方がさらに踏む込みが鋭くなっていたように思う。これは、それぞれの楽章の性格の固有性をより活かす方向に向かっている、という意味であり、例えば第1楽章では前回の演奏時に感じた「連続性」よりもこの楽章特有の「不連続性」を感じさせるものになっていたし、第2楽章では「第1ヴァイオリン独演会」的にオーバーで故意な書法の作為性が透けて見えている(明らかに作曲者はパロディとして書いている)。第3楽章は静謐な中にもその表現に「くすぐり」があって単に抒情的な音楽ではないと示唆しているようでもある。「ドイツ舞曲風」の第4楽章は主題に挟まれる執拗な十六分休符が等閑視されず、さりとて不自然に強調もされずという具合に絶妙に機能しているし、続く「カヴァティーナ」のエベーヌにしては濃厚な抒情性。「大フーガ」がまた仰天ものの演奏で、各声部の見通しの良さが驚異的なレヴェル。テンポの微細な変化や表情付け、フレージングの工夫なども相まってのことだろうが、これらの工夫の上でのあの前進性。こいつらなんでも出来るのか。2年前の演奏にも仰天したけれど、当夜の演奏はさらにアクセルを踏み込んでいたので再度仰天である。一体どこまで進化するのだろう。アンコールはなし、それも当然、やる方も無理だろうし聴くこちらも満腹でデザートは別腹、とはいかない。

エベーヌの演奏のスタイル、筆者は必ずしも好きというものではないのだが、現代の弦楽四重奏の最先端を日々更新しているかのようなこの団体、ともあれ実演に接して腰を抜かして頂くしかあるまい。尚、先述した「ライヴ収録」はこの日に行なわれた。リリースの折には是非聴いて欲しい。録音でも十分凄さは伝わるはずだ。

関連評:エベーヌ弦楽四重奏団|藤原聡
    エベーヌ弦楽四重奏団 2019年日本公演|丘山万里子

(2019/8/15)

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<Artists>
Quatuor Ebène
 Pierre Colombet, violin
 Gabriel Le Magadure, violin
 Marie Chilemme, viola
 Raphael Merlin, cello

<Program>
Beethoven: String Quartet No. 9 in C major Op. 59-3 “Razmovsky No. 3”
Beethoven: String Quartet No.13 in B flat major Op. 130 “Grosse Fuge”