時代が追いついた 湯浅譲二の音楽 90歳を祝う記念演奏会|齋藤俊夫
時代が追いついた 湯浅譲二の音楽 90歳を祝う記念演奏会
Joji YUASA 90th Birthday Celebration Honorary Concerts
2019年7月13日、27日 トーキョーコンサーツ・ラボ
2019/7/13,27 Tokyo Concerts Lab.
Reviewed by 齋藤俊夫(Toshio Saito)
Photos by 林喜代種(Kiyotane Hayashi)撮影日7/27
7月13日 第1回 電子音楽 →foreign language
<曲目・演奏>
(全て湯浅譲二作曲)
『プロジェクション・エセムプラスティック』~ホワイト・ノイズのための~(1964)
『ホワイト・ノイズによるイコン』(1967)
『ヴォイセス・カミング』(1969)
1.「テレフォノパシイ」
2.「インタヴュー」
3.「殺された二人の平和戦士を記念して」
『マイ・ブルー・スカイ第2番』~南カリフォルニアの~(1976)
『私ではなく風が…』~増幅を伴うサクソフォンのための~(1976)
サクソフォン:大石将紀
『世阿弥・九位』~4チャンネル・テープと室内アンサンブルのための~より第7曲「寵深花風」(1987-8)
『ハープのある時空』~ハープとテープのための~(1999)
I.森にて
II.海岸にて
III.部屋で
ハープ:篠崎史子
(アンコール)『ア・スタディ・イン・ホワイト』より『アイ’ヴ・ロスト・イット』(1987)
全てのエレクトロニクス:有馬純寿
音源協力:小坂直敏
協力:帝塚山学院大学
「作曲とは、コスモロジーを表現すべきものだ」(湯浅譲二のプログラム・ノートより)
cosmology:[哲学]宇宙論《宇宙の起源・本質に関する哲学的研究》:宇宙に関する神話。[天文]宇宙論《宇宙の形成・体系・進化に関する天文学》
『プロジェクション・エセムプラスティック』の冒頭、超高音のホワイトノイズ群を聴いた瞬間に湯浅の「コスモロジー」に心を掴まれたというのは誇張ではない。その音は実に半世紀以上昔の作品とは思えない「未聴感」に満ちていた。
分析的に記述すると、音高の上下動による旋律はない。拍節に基づくリズムもない。音色はホワイトノイズを加工したもので、当然楽音と呼ばれる類のものではない。だが、その音楽に多層的・同時的な構造と、通時的な構造は存在し、従って作品を聴きながらそれらを聞き分けることはできる(ここが例えばクセナキス『ペルセポリス』(1971)やノイズ・ミュージックと大きく異る点である)。しかし、そのように冷静に分析することができないほどのスケールの大きさに圧倒されざる人間がいようか?
そして『ホワイト・ノイズによるイコン』、5チャンネルのスピーカーを使い、空間的に移動するホワイトノイズの群れ……こんなつまらない記述では収まりきれないこの作品のコスモロジーを何としようか?巨大な音の動きと、静的な、微小なものが矛盾的かつ同一的に共存しまた蠢き、なにか諸行無常的な感覚がする……と思った途端に「ドーン!」と横殴りに大音響が鳴り響く!轟は寂と、動は静と、有は無と不可思議に一致するこの幻視の力によって、我々が日常住んでいるこことは異なる湯浅の真の宇宙を感得した。
一転して『ヴォイセス・カミング』は人声のコンクレート作品。「テレフォノパシイ」では国際電話の交換(のはずだが、筆者は知識としてしかこれを知らない)の”Hellow? ” “May have your name?”「あなたは?」などのやり取りが錯綜して一種の「会話劇」を成す。最後は「じゃあまたあとでかけます。すみません」で終わり。ユーモラス。
「インタヴュー」は(おそらく湯浅による)「この現代社会で生きる中での~~~~についてはどうお考えですか?」(~~~~は電子的に加工されていて何を言っているのかわからない)という問いかけに対して、何人かの人(どうやら武満徹や秋山邦晴ららしい)が「あのー」「それはつまり」「そのー」「つまり一種の」「そうですねえ」「なんかこお」「つまり」「ところが」「やっぱり」「ある意味で」等々、意味のない言葉だけを延々と続け、「答えられる気がするんだけど答えるとなんか違っちゃうんだよな」で了。プログラム・ノートにはそう書いていないが、これは一種の冗談音楽――ただし極めて知的な――と筆者には聴こえた。
「殺された二人の平和戦士を記念して」はマルティン・ルーサー・キングと浅沼稲次郎の演説が電子音の嵐の中からある時は静かに、ある時は力強く聴こえてくる。1969年という熱い時代の息吹を伝えてくれた。
しかしながら、後半の『マイ・ブルー・スカイ第2番』『私でなく風が…』『世阿弥・九位』より第7曲「寵深花風」『ハープのある時空』『A Study in White』からは前半の湯浅の巨大なコスモロジーを感得することは筆者にはできなかった。
『マイ・ブルー・スカイ第2番』の時点で、非常に「よく書けている」とは感じたものの、創造が反復へと陥っている感触も同時に受けたのだ。安心して聴くことができる。だからこそ物足りない。もっと宇宙を!と思わざるを得なかった。
7月27日 第2回 室内楽
<曲目・演奏>
(全て湯浅譲二作曲)
『二つのパストラール』~ピアノのための(1952)
ピアノ:木村かをり
『内触覚的宇宙I』~ピアノのための(1957)
ピアノ:木村かをり
『内触覚的宇宙II』~トランスフィギュレーション~ピアノのための(1986)
ピアノ:高橋アキ
『ヴィオラ・ローカス』~ヴィオラのための(1995)
ヴィオラ:般若佳子
『弦楽四重奏のためのプロジェクションII』(1996)
アミティ・カルテット(Vn:伊藤亜美、須山暢大、Va:安達真理、Vc:山澤慧)
『内触覚的宇宙IV』~チェロとピアノのための(1997)
チェロ:山澤慧、ピアノ:木村かをり
『2台ピアノのためのプロジェクション』(2004)
ピアノ:瀬尾久仁&加藤真一郎ピアノ・デュオ
『おやすみなさい』~メゾ・ソプラノとピアノのための(2013)
メゾ・ソプラノ:志村美土里、ピアノ:高橋アキ
(アンコール)
『レナの子守歌』(1960、初演)
1.「ポンポンてね」
2.タイトル不明
『Cradle Song “OYASUMI”』(1970?)
ピアノ:高橋アキ
23歳時の処女作『パストラール』、第1曲は「湯浅がこんなに甘いピアノ曲を!」と、第2曲は「湯浅がこんなにアメリカ的(コープランド的)単純明快なピアノ曲を!」と驚いた。
だが、その5年後の作品『内触覚的宇宙I』に移ると、音楽が一気に湯浅独自のものへと変貌する。西欧的な主題と変奏というアイディアを捨て、絵巻物的に繰り広げられる世界を目指した、とプログラム・ノートにあるが、なるほど、音楽の構造に、日本伝統音楽でいう「語り物」の口調と場面の転換のようなものが含まれているようだ。それにつけても一音一音の完璧さよ。
作曲年は30年近く飛ぶが、『内触覚的宇宙II』、これはピアノによる湯浅のコスモロジーの極致とも言うべきスケール。いや、ただ大きいだけではない。『イコン』にも通じる、巨大なものが微細なものと一致する矛盾的同一性の宇宙。音量、音価、音高、ペダルを使った残響が無限大かつ無限小なのだ。1つの打鍵の内に無限大の宇宙が含まれ、たくさんの打鍵の中に無限小の微視的世界が散りばめられる。なんということだ。
『ヴィオラ・ローカス』、特殊奏法を多用してズバリズバリと耳に切り込んでくるのは、「曲がった直線」「太い短剣」とも言うべき音。調性/無調、協和/不協和、通常/特殊、そのような対立項を無化して、曲がった空間の中で幾何学を続けるヴィオラの美しさとたくましさ。
『弦楽四重奏のためのプロジェクションII』、ハーモニクスをさらにかすれさせた音で順々に空中に音の弧が描かれた、と思ったらさあその後が物凄い。4人が激しく濃厚に絡み合うを超えて、傷付け合うように音楽を奏で合う。松村禎三ばりのオスティナートなども聴こえ、何が次に来るのか、全て論理的なれども想像のはるか上を行く。最後は上昇音から最高音をフゥッと放り上げて了。
『内触覚的宇宙IV』、ピアノの弦を手で抑えて、しかしペダルは踏んでのポツポツとした音と、チェロの駒の至近を弾いての最高音で一種異様な恐怖すら感じさせる出だし。しかし中盤から、チェロが嘆き、苦しみを思わせるカンタービレを轟々と、かつ切々と歌い上げる。終幕は2人とも虚空へかき消えるのだが、そこに悲しみを感じない人間がいようか。
『2台ピアノのためのプロジェクション』、ピアノ2台をかなり離れて設置し、歪んだ鏡像のように通常奏法と特殊奏法や、ミニマル・ミュージックを複雑化したようなフェイズのズレを聴かせ、左右の耳の感覚を狂わせる。冒頭は最高音で通常奏法と内部奏法を交互に弾き、最後は最低音で同じように交互に弾き、さらに2人で内部奏法の不吉な調べで終わる。なんとも恐ろしい。
プログラム最後の『おやすみなさい』は「2013年音楽祭・福島」で初演された、全20節がすべて「おやすみなさい」で始まる歌曲。短調から長調へと移調していき、哀しさから優しさへと感情も移りゆく。緊張感に満ちた作品群の後の温かい贈り物のよう。
さらにピアノ独奏によるアンコールの可愛らしい子守唄3曲で、この場が揺り籠の中になったような心地でこの記念演奏会は終演した。
音楽によるコスモロジー=宇宙論、それは現実の宇宙よりも巨大なのかもしれない。いや、湯浅譲二という作曲家が宇宙よりも巨大なのかもしれない。
関連評:湯浅譲二90歳を祝う記念演奏会 時代が追いついた 湯浅譲二の音楽|西村紗知
(2019/8/15)
<pieces&players>
(All pieces are composed by Joji Yuasa)
7/13 Vol.1 electronic music
Projection Esemplastic for White Noise
Icon on the Source of White Noise
Voices Coming
My Blue Sky No. 2 – in Southern California –
Not I, but the Wind…
Sax:Masanori Oishi
Nine Levels by Ze-Ami No. 7 寵深花風(The profound flower)
Scenes with a Harp
Hp:Ayako Shinozaki
(encore)
A Study in White, No.2 I’ve lost It
All electronics:Sumihisa Arima
cooperation with sound sources:Naotoshi Osaka
cooperation:Tezukayama Gakuin University
7/27 Vol.2 chamber music
Two Pastorals
Pf:Kaori Kimura
Cosmos Haptic
Pf:Kaori Kimura
Cosmos Haptic II – Transfiguration –
Pf:Aki Takahashi
Viola Locus
Va:Yoshiko Hannya
Projection for String Quartet II
Amity Quartet(Vn:Ami Ito, Nobuhiro Suyama, Va:Mari Adachi, Vc:Kei Yamazawa)
Cosmos Haptic IV
Vc:Kei Yamazawa, Pf:Kaori Kimura
Projection for Two Pianos
Pf:Kuni Seo & Shinichiro Kato Piano Duo
Good Night, Sleep Well
Mez:Midori Shimura, Pf:Aki Takahashi
(encore)
Lullaby for Rena
1.ポンポンてね
2.タイトル不明
Cradle song “OYASUMI”
Pf:Aki Takahashi