湯浅譲二90歳を祝う記念演奏会 時代が追いついた 湯浅譲二の音楽|西村紗知

湯浅譲二90歳を祝う記念演奏会 時代が追いついた 湯浅譲二の音楽
Joji YUASA 90th Birthday Celebration Honorary Concerts

第1回 電子音楽:2019年7月13日
Vol.1 Electronic Music : 2019/7/13
第2回 室内楽:2019年7月27日
Vol. 2 Chamber Music : 2019/7/27
トーキョーコンサーツ・ラボ Tokyo Concerts Lab.
Reviewed by 西村紗知 (Sachi Nishimura)
Photos by 林喜代種(Kiyotane Hayashi)撮影7/27のみ

<演奏>        →foreign language
第1回 電子音楽
サクソフォン:大石将紀
ハープ:篠﨑史子
エレクトロニクス:有馬純寿

第2回 室内楽
ピアノ:木村かをり、高橋アキ、瀬尾久仁&加藤真一郎ピアノ・デュオ
ヴィオラ:般若佳子
チェロ:山澤慧
メゾ・ソプラノ:志村美土里
弦楽四重奏:アミティ・カルテット(伊藤亜美、須山暢大、安達真理、山澤慧)

<曲目>
第1回 電子音楽

湯浅譲二:
《プロジェクション・エセムプラスティック》(1964)
《ヴォイセス・カミング》(1969)
《ホワイトノイズによるイコン》(1967)
《マイ・ブルー・スカイ第2番》-南カリフォルニアの-(1976)
《私ではなく風が・・・》~増幅を伴うアルト・サクソフォンのための (1976)
《世阿弥・九位》より第7曲<寵深花風>(1987-8)
《ハープのある時空》~ハープとテープのための(1999)

アンコール曲
《ア・スタディ・イン・ホワイト》より第2曲<アイ’ヴ・ロスト・イット>(1987)

第2回 室内楽

湯浅譲二:
《二つのパストラール》~ピアノのための(1952)
《内触覚的宇宙》~ピアノのための(1957)
《内触覚的宇宙II》~トランスフィギュレーション~ピアノのための(1986)
《ヴィオラ・ローカス》~ヴィオラのための(1995)
《弦楽四重奏のためのプロジェクションII》(1996)
《内触覚的宇宙IV》~チェロとピアノのための(1997)
《2台ピアノのためのプロジェクション》(2004)
《おやすみなさい》~メゾ・ソプラノとピアノのための(2013)
アンコール曲
『レナの子守歌』(1960、初演)
1.「ポンポンてね」
2.タイトル不明
『Cradle Song “OYASUMI”』(1970?)

 

戦後日本社会の幾多の破局を通過してきた我々に、湯浅譲二の作品を肯定することができるのか。彼の作品は今の我々に面を向けている。しかし私は彼の作品に面を向けることができない。彼の作品は人間を信じていて、「このように生きよ」と語りかけてくる。テクノロジーと進歩への率直なコミットメントを、そして人間と宇宙の交感という超越的な観念を彼の作品から聞き取るとき、私は、彼の作品の内容物であるこれらのものが平成の時代にことごとく汚されてきた経緯を思い出す。だから、肯定できない。――これでも私は湯浅譲二の音楽について語っているつもりなのだ。

今回の記念演奏会は2日にわたって開催され、1日目に電子音楽並びに電子音響音楽、2日目には室内楽曲がそれぞれ演奏された。共通して感じられたのは、独特のおおらかさ。音楽内在的な態度はさほど強く徹底されていない。それよりも作品は作曲家の観念的思索の運び手として機能している。作品と観念的思索の間にはどうしても飛躍ができてしまう。こうして独特のおおらかさが生み出されているのだが、そもそもこれは音楽の世界の外側と交流したい欲求に支えられている。湯浅の作品は、音楽以上のものになりたがっているふうにみえた。

独特のおおらかさ、音楽の世界の外側への志向というのを、電子音楽の部で特に強く感じた。もちろんこれには当時の技術的な制限も関わってくる。目指されているものが音楽だけで実現できるほど、当時の技術が追いついていたとは正直思えないが、それでも「危機の時代」の音楽をやってみせる作曲家の矜持が委ねられているのを感じ取ることができる。
《ヴォイセス・カミング》が特にそうだ。第1部は「もしもし……」などの電話の音を素材としたもので、第2部はインタビュー音声を加工し、「……についてはどう思いますか」「それはつまり……あの……」といったように、具体的内容にあたる「……」についてはことごとく聞こえないようにしている。言語的な内容を省くことで、コミュニケーションのかたちを浮き彫りにし、これをそのまま音楽に転用しているのだろうか。こういう作品には主題がない。あるのは題材や内容である。
《ハープのある時空》もまたおおらかである。ハープが環境音とアンサンブルを奏でる。ただひたすら、心地よく身を委ねることしかできない。
心地よさでいえば、実のところ《プロジェクション・エセムプラスティック》が最も快適なのであった。おそらく幼少期に貝殻を耳にあてて聞いた音を想起させるようなホワイトノイズだったからだと思う。人間の経験における始原的な部分への志向もまた、電子音楽は持ち合わせている。

室内楽の部では、とりわけ弦楽器の作品で電子音楽の器楽作品への応用を聞くことになるだろうと予想はしていたものの、それよりフランス音楽的書法の数々が印象に残る。

《二つのパストラール》はラヴェルの《クープランの墓》を、《内触覚的宇宙》はメシアンの《鳥のカタログ》を想起させる。しかし内実は全く異なる。「クープラン」の下にはクープランの遺体が埋まっていたり、「鳥」からは鳥かごの存在が間接的に聞こえてきたりするようであるが、そうした因習や枠は湯浅のピアノ曲からは聞こえてこない。ひたすら「世界」に向けて鳴くのである。

私が彼の作品に面を向けようとするとき、その内容物にひるむだけではない。前衛ということの、それも現在進行形の、罪と罰を見るようである。音楽が音楽以上のものになろうとしたら、何が訪れるのか。
性急なアクチュアルさは、過去も未来も捨て去ろうとする。テクノロジーと外側から付せられた題材に多く表現を委ねる作品は、それだけ一層徒花である。テクノロジーも社会的状況も、日々進展していくのだから。
それに、「危機の時代」をそのまま音楽に映してみたって、実際の危機以上の力を音楽に込めることはできない。
音楽は、音楽であることに専念することでしか、音楽以上のものになることはできない。現実と何か約束を交わした瞬間に、何か感性的なものを失ってしまう。
罰はこうしたところに集約されるだろう。

関連評:時代が追いついた 湯浅譲二の音楽 90歳を祝う記念演奏会|齋藤俊夫

(2019/8/15)

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<Artist>
Vol.1 Electronic Music
Masanori OISHI(Sax.)
Ayako SHINOZAKI(Hp.)
Sumihisa ARIMA(Electronics)

Vol. 2 Chamber Music
Kaori KIMURA, Aki TAKAHASHI,Kuni Seo & Shinichiro Kato Piano Duo(Pf.)
Yoshiko HANNYA(Vla.)
Kei YAMAZAWA(Vc.)
Shimura MIDORI(M-sop.)
Amity Quartet:Ami ITO(Vn.), Nobuhiro SUYAMA(Vn.), Mari ADACHI(Vla.), Kei YAMAZAWA(Vc.)

<Program>
Vol.1 Electronic Music
Joji YUASA:
Projection Esemplastic for White Noise(1964)
Voices Coming(1969)
Icon on the Source of White Noise(1967)
My Blue Sky No. 2 – in Southern California -(1976)
Not I, but the Wind… for alto saxophone(1976)
Nine Levels by Ze-Ami for quadraphonenic computer-generated tape and chamber ensemble, No. 7 <寵深花風>(The profound flower)(1987-8)
Scenes with a Harp for harp and tape(1999)
(encore)
A Study in White, No.2 “I’ve lost it”

Vol. 2 Chamber Music
Joji YUASA:
Two Pastorals for piano(1952)
Cosmos Haptic for piano(1957)
Viola Locus for viola(1995)
Cosmos Haptic II for piano –Transfiguration-(1996)
Projection for String Quartet II(1996)
Cosmos Haptic IV for violoncello and piano(1997)
Projection for Two Pianos(2004)
Good Night,Sleep Well for mezzo soprano and piano(2013)
(encore)
Lullaby for Rena(1960)
 1.ポンポンてね
 2.タイトル不明
Cradle song “OYASUMI”(1970?)