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大阪フィルハーモニー交響楽団 第528回定期演奏会|藤原聡

大阪フィルハーモニー交響楽団 第528回定期演奏会

2019年5月23日、24日 フェスティバルホール
Reviewed by 藤原聡(Satoshi Fujiwara)
Photos by 飯島隆/写真提供:大阪フィルハーモニー交響楽団

<演奏>
指揮:シャルル・デュトワ
合唱:大阪フィルハーモニー合唱団(合唱指揮:福島章恭)
コンサートマスター:崔文洙

<曲目>
ベルリオーズ:序曲『ローマの謝肉祭』作品9
ラヴェル:バレエ音楽『ダフニスとクロエ』第2組曲
ベルリオーズ:『幻想交響曲』作品14

 

デュトワが大阪フィルを振る――最初にこの話を聴いた時には非常に驚いたものだ。宮崎国際音楽祭管弦楽団やPMF、洗足学園音楽大学のオーケストラを指揮したことはあるし、結局流れたものの都響とジュネーヴで共演する予定もあったデュトワだが、N響以外の日本の常設プロオケを指揮するのは今回が初めてなのではないか。この辺りにまつわるあれやこれやの事情についての憶測にはここでは触れない。イメージとしては余り合いそうにない(!)デュトワと大フィルのコンビネーションがどのような音楽を生み出すのか。話をそこに絞る。

結論から先に記せば、2017年12月末のN響との演奏に接して以来1年半振りに接したデュトワの指揮ぶりにはいささかの衰えもなく、さらに驚嘆すべきは全くの初指揮である今回の共演において、この指揮者は音楽内容の素晴らしさに加えて技術的にも大フィルとは俄に信じ難いような(失礼…)大名演を同フィルから引き出してしまった。さらに敢えて書くとデュトワと大フィルの相性は相当に良い、ということまで判明した。関東圏に在住の筆者は大フィルの演奏を定点観測的に聞いている訳ではないが、例えば2016年におけるインバルの初指揮でのこのオケの技術的な崩壊ぶりは目に余るものがあったし(付言するが音楽は凄まじいものであった)、翌2017年の再共演ではさすがに安定感は格段に増したものの、両者の音楽的な呼吸は必ずしも一致していたとは言えない。

とするならば、今回のデュトワと大フィルの成功ぶりは、あのモントリオール響を叩き上げ1980年録音の『ダフニスとクロエ』で世界を驚かせたのと同様の「デュトワ・マジック」の健在ぶりを遺憾なく発揮したものだとも言えようが、それにしてものこの成功ぶりには繰り返すがたまげるほかない(これはインバルよりもデュトワの方が力量が上という単純な話ではない、念のため)。

現在82歳とは思えぬ確固とした足取りでステージに登場したデュトワの姿に全くと言ってよいほど衰えは感じられないが、1曲目の『ローマの謝肉祭』からして、その引き締まった音像、音程とアンサンブルの良さ、整えられたフレージングから来る全体の分解能の良さにたちまちにしてデュトワの仕事! と印象付けられる。イングリッシュホルンとそれを支えるピツィカートのセンシティヴかつヴィヴィッドな呼応ぶりは互いに注意深くじっくり聴き合いながら演奏しているさまが手に取るように伝わるし、後半の快速なサルタレロ以降では泡立つような表情の変化を聴かせ存分にオケを鳴らしながらもその響きにはいささかの混濁もなく常にカラッとしている(かつて聴いた大フィルの実演ではしばしばトゥッティが団子になったり音の美観が損なわれる瞬間に遭遇したものだ)。リズムは生き生きとして精彩に満ちていて色彩感に富んでいるし、この演奏に文句を付けるとすれば「整然と整い過ぎている」ことそれ自体に対して説得力のあるやり方で異議を申し立てる以外あるまい。1曲目にもかかわらず演奏が終わった段階で既にブラヴォーが飛ぶのもむべなるかな。

2曲目の 『ダフニスとクロエ』第2組曲では、冒頭から何とも言えぬ柔らか味を帯びた木管群の音色とそれにまとわりつく絶妙なコントラバスの表情、そして明快に耳に飛び込んで来るハープのグリッサンド…、といった具合に、全ての楽器がそれぞれ独立してしっかりと客席に伝わってくると同時に、全体としてもまろやかに融合して香気を立ち上らせてくるところが凄い。芯の強さと美しいハーモニーの拡がりを両立させた大フィル合唱団の素晴らしい歌の力も加わって、「夜明け」ではまさに陶然とするような音楽が続く。「無言劇」の名高いフルート・ソロとそれを支える弦楽の表情の変化、「全員の踊り」における熱狂と統制の完全な統合には目を見張らされる。オケがN響であったなら個々の楽器は技術的にさらに卓越していただろうが、しかしこの音楽は全体として紛うことなくデュトワの音楽となっていた。既に30年以上の共演歴があり、互いを知り尽くしているデュトワとN響がこういう演奏を展開したのであれば分かるのだが、しかし今回が全くの初共演でありながらなぜ最初から大フィルにこのような音楽を演奏させられるのか。今さらながらこの指揮者の実力に驚く。

その驚きは休憩を挟んでの『幻想交響曲』でも続く。ゆったりしたテンポの中で強弱の細やかな変化に徹底的にこだわった第1楽章の序奏から、徹底したリハーサルの賜物と思われるフレージングの統一によって明快に進行する主部、エレガントな第2楽章を経ての第3楽章が秀逸。こういうゆったりした音楽ではオケの力量が如実に反映されてしまうのものだが、ここではいささかも緊張感が途絶えることなくデュトワの音楽を具現化していた。ことに後半から沈滞の度を増す音楽には従来のデュトワとはまた違ったテイストをも感じさせたのだが、これもオケの献身的な演奏があってのことだろう。尚、『ローマの謝肉祭』共々、ここで素晴らしいイングリッシュホルンのソロを披露した奏者を絶賛しておきたい(3度目のティンパニによる「遠雷」の後で聴かせた俄かに切迫したような表現!)。第4楽章では響きの重量感が大きく増し、その音楽には明確に恰幅の良さが表れるが、その要因は低弦の強調だろう。ここではいささか洗練を欠く(!)大フィルの金管群がその持ち味を十全に生かしつつも、しかし決して粗くならない演奏を展開していたのも印象的である。そして終楽章、導入部においてデュトワは以前にも増して猟奇的な表現を聴かせたが、その後も以前の軽やかとさえ形容できる音楽から腰の据わった図太い音楽へと方向性の変化が感じられる。これは大フィルのキャラクターとデュトワの音楽性が上手く止揚されたものとも考えられるが、個人的には従来のデュトワの『幻想』の華麗さからのこの変化を好ましく思う。弦のコル・レーニョ登場以降の終結部での整然とした熱狂もまたデュトワならではのものだ。何度か接したデュトワの『幻想』実演においてこの日の演奏をベストとするに何のためらいもない。

尚、今回の定期を筆者は23日、24日と2回とも聴くことが出来たのだが、全体の傾向として初日は表現にある種の切迫感があり、変わって2日目では落ち着きと共に技術的な問題(特に『ダフニスとクロエ』)が解決されていたように思える。

最初にも記したが、今回のデュトワの大フィル初登壇は様々な周辺事情が働いてのものだろう。この後2度目があるのかも現段階では全く分からない。しかし、今回のような余りに目覚しい成果を現場で目撃したからには次を期待するな、と言う方が無理であろう。

(2019/6/15)