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ユリアン・プレガルディエン&エリック・ル・サージュ|藤堂清

ユリアン・プレガルディエン&エリック・ル・サージュ
  ~シューマン“詩と音楽”~ 
  (Schumann & Heine)

2019年5月14日 王子ホール
Reviewed by 藤堂 清(Kiyoshi Tohdoh)
Photos by 林喜代種(Kiyotane Hayashi)

<出演者>
ユリアン・プレガルディエン(テノール)
エリック・ル・サージュ(ピアノ)

<曲目:すべてシューマン作曲>
リーダークライス Op.24
4つの夜曲 Op.23(ピアノ・ソロ)
—————(休憩)——————
詩人の恋 Op.48
クライスレリアーナ Op.16より 第1曲
(ピアノ・ソロ、《詩人の恋》8曲目と9曲目の間に挿入)
————(アンコール)—————
リーダークライス Op.39より <月の夜>
ミルテの花 Op.25より <献呈>

 

2年ぶりの来日となったユリアン・プレガルディエン、ピアノはエリック・ル・サージュ。彼はシューマンのピアノ独奏曲の全曲を録音をしており、またさまざまなアンサンブルでの演奏経験も多く、適任だろう。
この日のプログラムはシューマンの歌曲とピアノ曲で構成された。取り上げられた歌曲の詩はすべてハイネによる。前半の《4つの夜曲》はピアニストを聴かせるために入れられた曲。後半の《詩人の恋》の途中でクライスレリアーナから1曲挿入する形で演奏したのは、プログラムにも書かれているように、クララ・シューマンとユリウス・シュトックハウゼンが行ったコンサートに倣ったもの。

プレガルディエンとル・サージュの二人は、日本に来る直前にヨーロッパで数回リサイタルを行った。ロンドンのウィグモア・ホールでの演奏はBBCによって放送、《リーダークライス Op.24》はそこでも歌われていた。彼はほとんどの曲で装飾を加え、大きな変化を作り出していた。
このコンサートでも同じような歌い方をするだろうという予想をしていたのだが、まったくはずれた。第5曲まではすべて楽譜どおり。第6曲で高い音の選択ができる部分があるが、そこも低い本来の記譜どおりに歌った。これは実演、録音を通じめったに聴くことがない音符である。第7曲には3回繰り返す部分があるのだが、ロンドンではその第2節から装飾を入れていたが、東京では、第3節で装飾音を付け加えた。この日の演奏ではこれが初めて。
テンポの変化も楽譜の記載に忠実なもの。言葉を丁寧に扱っていることもあり、歌としての完成度は高い。ル・サージュのピアノも、少し荒っぽさを感じたものの、基本的な音は美しく、プレガルディエンの歌をしっかりと支えた。

後半の《詩人の恋》でも同じように「端正」な歌い方をくずすことはなかった。
7曲目の〈ぼくは怨まない〉のほとんどの歌い手が高い選択音を歌うところも「本来」書かれている低い音を選択した。
整った演奏であり、そのことに異議をとなえることはむずかしいのだが、3年前にトッパンホールの室内楽フェスティバルで歌った《詩人の恋》の瑞々しい表情からは離れてしまったように思えた。
「成熟」には違いないが、「きれいごと」といえなくもない。

だが、話はこれで終わらない。
二人は、この翌日、横浜市の神奈川区民文化センターかなっくホールで、まったく同じプログラムでリサイタルを行った。開館15周年という、300席と小規模で聴きやすい会場である。
この日、プレガルディエンは《リーダークライス》の第1曲から細かな装飾を入れ、歌に彩りを与えた。そう、ロンドンでの演奏のように。
後半の《詩人の恋》でも、ところどころで音を追加し、ふくらみをもたせていった。王子では歌わなかった7曲目の高音も歌っている。

会場はそれほど遠くはないが、同じプログラムを二日続けて聴く人は少ないだろう。彼らが比較されることを想定していたとは考えにくい。それなのに、なぜこれほどまで違うスタイルの演奏を行ったのだろう?
同じことを繰り返すことは彼らの力量からすればむずかしいことではないだろう。
しかし、プレガルディエンの気持ちは「演奏は創作だ」というところにあるのではないか。同じ楽譜からでも常に新しい音楽を作り出していく。それを実践している証といってよいだろう。
前回の来日の際の評(ユリアン・プレガルディエン&鈴木優人|藤堂清)でもふれたが、「ユリアンの活動、歌唱は、家庭からサロン、そしてコンサートホールといった場所や、シューベルトの時代から現代に至る再創造といった、時代を超える拡がり」を聴き手に届けようとするもの。それをさらに深く掘り下げていこうとしているように感じられた。

(2019/6/15)