飯野明日香「エラールの旅」 第1回「エラールの見たもの」|齋藤俊夫
2019年5月18日 サントリーホールブルーローズ
Reviewed by 齋藤俊夫(Toshio Saito)
Photos by 林喜代種(Kiyotane Hayashi)
〈演奏〉
ピアノ:飯野明日香
使用楽器:1867年製エラール・ピアノ
〈曲目〉
カミーユ・サン・サーンス:『マズルカ第2番ト短調』Op.24(1871)
同:『リスボンの夜 夜想曲』Op.63(1881)
ガブリエル・フォーレ:『夜想曲第6番変ニ長調』Op.63(1894)
フランシス・プーランク:『15の即興曲より第4,5,12,15番』(1932-59)
オリヴィエ・メシアン:『前奏曲』より「1.鳩」「2.悲しい風景の中の恍惚の歌」「8.風に映る影」(1929)
湯浅譲二:『2つのパストラール』「パストラールA」「パストラールB」(1952)
武満徹:『雨の樹 素描』(1983)
一柳慧:『ピアノ・スペース』(2001)
糀場富美子:『白のエピソード』(2019、委嘱新作・世界初演)
クロード・ドビュッシー:『前奏曲第1集』(1909-10)より「12.吟遊詩人」「9.さえぎられたセレナード」「6.雪の上の足あと」「7.西風の見たもの」
(アンコール)
クロード・ドビュッシー『前奏曲第1集』より「8.亜麻色の髪の乙女」
シリーズタイトル「エラールの旅」、第1回「エラールの見たもの」の通り、今回の演奏会の目玉は1867年製のエラール・ピアノ。1939年に福澤進太郎(諭吉の孫)がパリで購入し、その後日本で長らく使われていたという由緒あるものだという。
モダンピアノの構造を特徴づける鉄製フレームと交差弦が用いられているのかどうか筆者には目視できなかったのが残念だが、文献と耳に聴こえる音から推測するに、そのどちらもなかったのではないかと思われる。
その音はモダンピアノ(例えばスタインウェイ)の豪奢な音とは異なり、打弦の際に他の弦の共鳴がほとんどなく、叩いた弦の音だけがスキッと会場に広がる。高音は軽く、低音は重く、されどその音に「無駄」な残響がない。強音で余韻があまり伸びず、反対に弱音で余韻がごくごく小さな音のままかなり伸びる。和音を奏したときの濁りも少なく、どの音が今鳴らされているのかが明瞭に聞き分けられる。
そのエラールでの、プログラム前半のフランス近代ピアノ作品集は嬉しい驚きに満ちていた。
筆者が個人的に苦手としているサン・サーンスとはこんなにあだっぽくも(マズルカ)可愛らしくもあったのか(リスボン)。フォーレはエラールの音同士が混ざり合わないがゆえに、バス声部の異色な音の選び方がよくわかり、作曲者の偉大さを改めて認識した。プーランクは無駄な残響がないとこんなにたくさんの音が複雑に現れていたのかと驚く。
メシアンの1番は弱音の表現力が卓抜。2番は音の粒が立っているがゆえに、メシアンならではの和音・旋法がくっきりと姿を現す。そして最後の8番ではピアノの音が転げ回りはしゃぎまわるように。されどやはり濁りなく。最後に最低音域の「ゴン!」という打弦で終わり、いや、これはたまらなく魅力的な楽器・演奏であるなと感服した。
しかし、後半の日本現代ピアノ作品集は楽器が作品に合わなかった、というより、作品に合わせた演奏技法と解釈をもっと模索するべきではなかったかと思えた。
湯浅作品はラヴェル的、コープランド的な明朗快活な部分は良かったものの、和音など音の重なることが多くなると、先のフランス作品とは反対に響きが物足りなく感じてしまった。武満はやはり「空気」の作曲家であって、今回のエラールの「輪郭」とは相容れなかった。ピアノの残響・余韻・共鳴がないがゆえにエラールによるタケミツトーンの成立に失敗していたのである。一柳作品も、エラールの「叩いた弦の音だけがなる」という禁欲的な音響が、厳粛さや求心力よりも「退屈さ」を醸し出していた。
されど、今回の委嘱初演作、糀場富美子『白のエピソード』は、この楽器のために書かれただけあって、作品と演奏が完璧に合致していた。ゆっくりと低弦を強く叩き鳴らす。高弦を、「音が光る」ように鳴らす。エラールの音を活かし、最低音域から最高音域まで明瞭に音を聴かせての走句。音が溶け合わないがゆえに鋭く耳に刺さる和音とトリル。あるいは猛々しく。しかし最後には最弱音で了。なるほど、この楽器にはこの現代音楽が、と得心した。
最後のドビュッシーはアンコールも含めて、まこと堂に入ったものとしか言いようがない。音量を細やかに制御してのスタカート、澄み切った速弾きと、ペダルを使ってのたゆたうような音楽、どれもこれもエラールの音によって「これが聴きたかったドビュッシーだ」と言いたくなる見事さだった。
第1回からかなり「攻め」の選曲をしたこの「エラールの旅」全3回、楽器の奏法、作品解釈の一層の深みを期待したい。
(2019/6/15)