ベルチャ弦楽四重奏団 2019年来日公演|藤原聡
ベルチャ弦楽四重奏団 2019年来日公演
Reviewed by 藤原聡 (Satoshi Fujiwara)
♪ベルチャ弦楽四重奏団-オール・ベートーヴェン・プログラム
2019年1月31日 京都コンサートホール アンサンブルホールムラタ
写真提供:京都コンサートホール
<曲目>
ベートーヴェン:弦楽四重奏曲第3番 ニ長調 op.18-3
弦楽四重奏曲第11番 ヘ短調 op.95『セリオーソ』
弦楽四重奏曲第15番 イ短調 op.132
(アンコール)
ショスタコーヴィチ:弦楽四重奏曲第3番 op.73~第3楽章
ベートーヴェン:弦楽四重奏曲第13番 op.130~第5楽章
♪クァルテットの饗宴2018 ベルチャ弦楽四重奏団
2019年2月1日 紀尾井ホール
Photos by 林喜代種 (Kiyotane Hayashi)
モーツァルト:弦楽四重奏曲第22番 変ロ長調 KV589『プロシャ王第2番』
バルトーク:弦楽四重奏曲第6番 Sz.114 BB119
メンデルスゾーン:弦楽四重奏曲第6番 ヘ短調 op.80
(アンコール)
ベートーヴェン:弦楽四重奏曲第13番 op.130~第5楽章
ショスタコーヴィチ:弦楽四重奏曲第3番 op.73~第3楽章
筆者が前回ベルチャSQの実演に接したのは第2ヴァイオリンとチェロが現メンバーに交代する前、2010年3月の紀尾井ホール公演。その際には4人それぞれの音が神経質過ぎるほど神経質かつ鋭利に研ぎ澄まされ、音色を全体として溶け合わせるというよりも各人の「声」がまず前面に出て来る(殊に第1ヴァイオリンのコリーナ・ベルチャの線の細い、しかし雄弁な表情を孕んだ音)。それゆえ、上手いのは上手いのだが針のむしろに座らされたようで弦楽四重奏を聴いている気がしない。言うまでもなく物理的な縦の線や細かい表情はしっかりと合ってはいるのだが。この時には何か今まで聴いたことのない肌触りを感じさせる団体だという印象が強烈に残り、破格なのは間違いないがちょっとその全体像が掴み難いという感じであった。それは録音でも同様で、バルトークやブリテン、ベートーヴェンなどを聴いてみても、何か自分の精神と体が「異物」と認識して馴染まない。それまでに慣れ親しんだものと違うものに遭遇したために、それをどう消化したものか戸惑ったということか。そして今、再びこの団体の実演に振れてみれば何かが掴めるかも知れぬ、と2回のコンサートに出向いたのであった。うち1回は京都で、これは同じプログラムによる武蔵野公演に行けないための遠征だが、我ながら酔狂なものだ(苦笑)。
まずは1/31京都。1曲目はベートーヴェンの第3番から始まったが、前回のイメージを完全に覆すような合奏の融和ぶり。この辺りの印象の相違は会場や座席の相違、さらには聴き手の体調の問題もあるので一律な判断は出来ぬが、それを前提としても極めて柔和でしっとりとしたソット・ヴォーチェを聴かせ、明らかな変化が聴き取れる。ベルチャの第1ヴァイオリンは誠に滑らかかつ有機的なフレージング構築を聴かせ、曲の違いがあるかも知れぬが、どちらかというと分断されるようなフレージングで覚醒的な表情をまとっている印象のあった過去の演奏とは違う。また、前回は特段印象に残っていなかった内声(第2ヴァイオリンは2010年から代わっているが)2人の外声に対するバランスが見事で、例えば第3楽章の主題で下支えするように動く一見何の変哲もない第2vn(アクセル・シャハー)の都度変化するような絶妙な色合いは、いかにvn同士(と全員)が互いに聴き合ってスポンティニアスに反応し得ているかの証左だ。一流の団体であれば当然なのだろうが、しかしどの団体でもここでのベルチャSQほど当意即妙に振る舞うのは難しかろう。
次の『セリオーソ』では明確にその響きにずっしりとした重みが加わる。そして特筆すべきはヴィオラ(クシシュトフ・ホジェルスキー)の雄弁さと存在感で、比較的自由に振舞うベルチャに対してどっしりと構え全体の流れを引き締めている感がある。それにしても第3楽章コーダの切れ味には驚嘆。
そして「あらゆる弦楽四重奏曲の中で最高傑作」(ギュンター・ピヒラー)である第15番がまた凄い。自在かつ濃厚に歌わせるコリーナ・ベルチャ、それに負けず劣らず主張するアクセル・シャハーの第2ヴァイオリン、要所で楔を打ち込むような激しさを聴かせるヴィオラのホジェルスキー、そしてどちらかと言うと腰高の音を聴かせる先の3人に対して極めて重厚な音で全体として見事な調和を図るアントワーヌ・レデルランのチェロ。4人のコンビネーションは完璧と形容して構わない。ことに第2楽章中間部とヴィブラートを抑制した第3楽章コーダでの清冽な響きは筆舌に尽くし難い。ここにあるのは純粋に響きを研ぎ澄ました中から自ずと生まれ出る楽曲の美しさだ。なるほど、昔ながらの「精神性」やらとは別物だが、ここではベルチャの類稀なる技巧が全てのテクスチュアを明晰にレアリゼしており、それは単なる音符の完全な再現という次元を超えてその背後にある「意味」を表出している。これほどの第15番はなかなか聴けるものではない。
アンコールにはショスタコーヴィチの弦楽四重奏曲第3番から第3楽章。これがざらついてギシギシした音と激烈なアクセントとアタックを駆使した猛烈な演奏で、しかし洗練とスマートさは失わない。ほとんど弦楽四重奏曲の概念を越えた音塊と感じるが、このパンク・ロックばりの高揚で会場があっけに取られた後にはベートーヴェンのカヴァティーナ。これが全く対象的に漂うような弱音と淡いハーモニーによる彼岸の音楽で、フレーズの隅々にまで神経と心がこもっている。この楽章で何度か用いられる指示、文字通りの「ソット・ヴォーチェ」。さらには中間部beklemmtの箇所の音色と節回しも絶品で、センシティヴの極み。ショスタコーヴィチ演奏との余りの振れ幅にたじろぐが、ベルチャSQはどの曲を弾いても曲の様式というか精神的なコアの部分をあやまたず表出する。それが真摯であるがゆえにこのようなコントラストを形成するのではないか。過激に聴こえたりもするのはこの団体の倫理性ゆえだ。
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2/1は紀尾井ホール。モーツァルトの『プロシア王第2番』ではその撫でられるような柔らかい響きに思わずうっとりさせられる。また、曲全体を通して随所で聴かせる意味深く含蓄のある和音の響きに耳が吸い寄せられる。これはやはり明らかにシャハーの第2ヴァイオリンとホジェルスキーの耳と腕の良さに由来していよう。この2人が饅頭で言えば「あんこ」の部分を担当して訳だが(卑近な喩えですみません)、だから外側の皮(ベルチャとレデルラン)が美味なだけでなく口に含んだ際のまろやかな一体感が絶品なのである。このモーツァルト、ベルチャSQは当たり前のことを当たり前に行っているだけだとも言えるが、しかしその「当たり前」の水準が群を抜いているので聴き手は静かに圧倒される他ない。モーツァルトは派手にやれば聴き映えするようなものではない。古典派の枠の中で羽目は外せない。その枠内で奇を衒わず最高の表現を披露するのがこの団体なのだ。
次のバルトークは、ある種の抑制が要求されるモーツァルトと異なる近現代作曲家だけにベルチャSQのポテンシャルが最高に発揮される、と思うだろう。事実その通りなのだが、しかしこの演奏は声を荒らげなければバーバリスティックでもない。ことさら鋭利さを際立たせない。音程もハーモニーも非常に整然としていて美しい。不協和音ですら美しい。リズムも端正。力みはなく常に余裕がある。妙な話だが、ほとんど難曲に聴こえないのだ。それでいて物足りなさが皆無なのはそれぞれのフレーズの性格が明快なコントラストを以って適切に表現されているからだろう。単なる熱演やら爆演とは次元が違う。と思うと第3楽章のブルレッタでは遅いテンポで抉りとデフォルメを利かせアイロニカルな表現を炸裂させたり、とその表現のベクトルは一様でないのだ。何でも出来るのかこの団体は。それにしても、この演奏をバルトークが耳にしたら恐らく想像もしなかったその演奏に仰天し、そして喜ぶのではないか。結成間もないジュリアードSQがシェーンベルクその人の前で弦楽四重奏曲を演奏した際のエピソードを思い出す、ロバート・マンが回想するに「聴き慣れた演奏と非常に異なるようなので最初は驚いていましたが、その後興奮気味に言いました、『非常に良いと思います。そのまま演奏して下さい』」。もちろん、1940年代のヨーロッパの作曲家が同時代の「新世界」アメリカにおける気鋭の団体による演奏を聴いて仰天するのと、現代の演奏家が作曲後およそ80年を経た作品を演奏するのとでは意味合いが異なるが、言いたいのは、演奏によって作品に内在する多様性が様々に浮き彫りになるという点であり、それこそが演奏芸術=再現芸術の面白さなのではないか。
そしてトリ。全く勝手な意見を言えばラヴェルでも演奏してくれれば最高だったのだが、しかしメンデルスゾーンの第6番(特段好きでもない曲だ)。ここでは曲自体が第1ヴァイオリン優先で書かれていることもあるが、コリーヌ・ベルチャの自在な表情とアゴーギクが冴え渡る。他3人の磐石な支えのおかげで全体は全く崩れない。この曲をここまで面白く聴いたのは今回が初だった。
この日のアンコールも京都と全く同じであったが、順番が逆。紀尾井はベートーヴェン→ショスタコーヴィチ、京都はショスタコーヴィチ→ベートーヴェン。つまり興奮で終わるかしんみりして帰途につくか。
しかし、ベルチャSQに対する2010年のあの印象と今回の激賞の間には相当な差があるのが自分でもよく分からないのだが(ベルチャSQの変化によるものだけでは当然なかろう)、演奏の印象は様々な要因の集合による予測も付かない化学反応のようなものだから、まあこういうこともあるだろう。これもまた演奏芸術の興味深さ。
以下重要な蛇足(語義矛盾)。ここ何年か若手~中堅の弦楽四重奏団の実演をそれなりに聴いた中で、ずば抜けた実力というか魅力を備えた団体はパヴェル・ハースSQ、エベーヌSQ、そしてベルチャSQで決まりではないか(これに順ずる団体は幾つかあるが)。この3団体が来日にした際には「弦楽四重奏とか普段聴かないから」などと躊躇している場合ではない、ホールに必ずや駆けつけられたい。いや、むしろ普段聴かない方こそ驚くと思う。
(2019/3/15)