Books|歌の心を究むべし|藤堂 清
歌の心を究むべし
古楽とクラシックのミッシングリンクを求めて
濱田芳通 著
アルテスパブリッシング
2017年9月/ 2200円 ISBN 978-4-86559-168-2
text by 藤堂清(Kiyoshi Tohdoh)
2019年8月14日から17日にかけて、”ダ・ヴィンチ音楽祭 in 川口 vol1”という音楽祭が行われる。その中心となるのが、”レオナルド・ダ・ヴィンチが総合プロデュースした、幻のルネサンス・オペラ”「オルフェオ物語」 の上演である。ルネサンスの万能の天才レオナルドが関わった作品を取り上げるもの(《アルタセルセ》などのオペラの作曲者で18世紀前半に活躍したレオナルド・ヴィンチは別人)。
レオナルドがオペラと関わっていたのか?
だいたい最初のオペラは1600年ぐらいにできたといわれている。彼の没後70年も経ってのことではないか?
「幻のルネサンス・オペラ」とは何か?
音楽祭で演奏するのは、この本の著者濱田芳通と彼が率いる古楽アンサンブル・アントネッロである。
上の疑問への答えの一端が、この本の後半「ダ・ヴィンチはオペラを作ったか?」に書かれている。
それによれば、1480年にマントヴァで《オルフェオ》というオペラが初演された記録があり、1506年にミラノで再演された時、レオナルドが大掛かりな舞台装置を考案したという記述もあるとのこと。
オペラの台本はアンジェロ・ポリツィアーノ。彼は初演時に「語りでもなく歌でもなく両方が聴こえる!区別できない!」という言葉を残している。登場人物に楽器が割り当てられていたらしいこともわかっている。もちろん、楽譜は残されておらず、どのような音が響いていたのかはわからない。
濱田の答えは「即興」である。「レオナルドのリラの弾き語りが素晴らしかった」といった史料がそれを支える。もちろんそれだけでは雲をつかむような話だが、様々な想定をして迫ろうとしている。どんな響き、歌となって聴こえるか、それを1500年当時のものとして受け入れられるか、聴衆も問われるだろう。
さて、本に話を移そう。
アントネッロの創設は1994年だから今年で25年。近年の活動に限っても、オペラ・フレスカというシリ-ズで、モンテヴェルディの3作やカッチーニの《エウリディーチェ》を上演したり、中世スペイン巡礼者たちの音楽《モンセラートの朱い本》、桃山ルネサンスの南蛮音楽・河童(宣教師)が語るイソップ寓話《エソポのハブラス》というように、さまざまな音楽と取り組んできている。
この本「歌の心を究むべし」は、彼の活動の根っこにあるものをあきらかにしようと書き綴られたもの。学術書のように論理立った構成にはされていないし、いろいろ脱線するところもある。「歌心」というキーワードも「耳に聴こえない大切なもの」といったあいまいな定義から始め、その周辺のことがらから狭めていく。
「歌心」の舞台はサウンド上にはない。サウンドが響き渡る現実世界を「海」にたとえるなら、その舞台は「港」のようなところにある。(中略)それは海ではなくまだ陸地、つまり心の内側にあるのだ。
音符の表記ができるようになると、「音の頭」に注意が向きがちとなる。しかし、「音と音の間」に存在するエネルギーこそが歌心だという。
ついで、「歌心とリズム」「歌心とルバート」「歌心と母音」といったように話をつづけていき、あわせてメロディと言葉の抑揚、ルネサンス時代の指揮法といった話題に展開していく。
著者自身も「妄想」といっているが、戦国時代に伝えられた南蛮音楽や天正遣欧使節の少年たちのふれたルネサンス期の音楽が日本の民謡などに影響を及ぼしているのではないかということも述べている。天ぷら、金平糖、かぼちゃといった言葉が残っていること、グレゴリオ聖歌が「オラショ」として生き残ってきたことや、南米に残されている歌謡、スペイン・ポルトガルの民衆音楽と、日本のものとの類似性があることを理由としてあげている。
本ではさらに、モンテヴェルディとレチタール・カンタンド、ディミニューションや装飾音と話題を拡げていく。十分に検証された記述、詳しい説明とは言えないが、著者の発想やその展開は魅力的。この本に書かれているさまざまな要素(歌心、リズム、ルバートのような)が、彼らアントネッロの音楽作りにつながっていること、また南蛮音楽に関する考察が《エソポのハブラス》のようなコンサートを生んでいることが分かる。
一方、いままでクラシック音楽を好んで聴いていたが、古楽にも興味を持ち始めたという方にとっては、古楽の世界へとその背中を押してくれるだろう。
さて、今年の8月、我々はどのような舞台を、音楽を、経験するのだろう。楽しみである。
(2019/2/15)