新国立劇場 モーツァルト:《魔笛》|藤堂清
新国立劇場 モーツァルト:《魔笛》
Production of Aix-en-Provence Festival and Rouen Opera, created at Théâtre de la Monnaie in 2005.
2018年10月3日 新国立劇場 オペラパレス
Reviewed by 藤堂 清(Kiyoshi Tohdoh)
Photos by 林喜代種(Kiyotane Hayashi)
<スタッフ>
指揮:ローラント・ベーア
演出:ウィリアム・ケントリッジ
演出補:リュック・ド・ヴィット
美術:ウィリアム・ケントリッジ、ザビーネ・トイニッセン
衣 裳:グレタ・ゴアリス
照 明:ジェニファー・ティプトン
プロジェクション:キャサリン・メイバーグ
映像オペレーター:キム・ガニング
照明監修:スコット・ボルマン
舞台監督:髙橋尚史
<キャスト>
ザラストロ:サヴァ・ヴェミッチ
タミーノ:スティーヴ・ダヴィスリム
夜の女王:安井陽子
パミーナ:林 正子
パパゲーノ:アンドレ・シュエン
パパゲーナ:九嶋香奈枝
モノスタトス:升島唯博
弁者・僧侶I・武士II:成田 眞
僧侶II・武士I:秋谷直之
侍女I:増田のり子
侍女II:小泉詠子
侍女III:山下牧子
童子I:前川依子
童子II:野田 千恵子
童子III:花房英里子
合唱指揮:三澤洋史
合唱:新国立劇場合唱団
管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団
芸術監督:大野和士
大野和士が新国立劇場のオペラ部門の芸術監督に就任して最初の演目に選んだのは、モーツァルトの《魔笛》、20年ぶりの新制作となる。
今回の舞台は、大野が音楽監督を務めていたベルギー王立モネ劇場で2005年に制作したプロダクションをもとに、最新の技術をとりこみ改良を加えたもの。演出・美術は、ウィリアム・ケントリッジ、ドローイングによるアニメーションで知られた南アフリカ出身の美術家である。
この演出は、モネ劇場のほかにも、エクサン・プロヴァンス音楽祭やミラノ・スカラ座などで上演されてきており、そういった実績もなるほどと思わせるもの。視覚的な変化に富んでいるし、役柄の設定とその表現には説得力があった。
黒い背景に白いドローイングで図形が描かれていく。《魔笛》を、太陽のある明るい世界と暗い闇の世界の対立と捉え、闇に明るい点や線を加えていくイメージ。映像も使われるが、セピア色のモノクロのもの。いくつかの場面では、カール・フリードリヒ・シンケルによる1816年の舞台背景画を利用し、このオペラ上演史も取り込んでいる。舞台全体も照度は低く、色彩は登場人物の衣装とわずかな大道具のみで、その色合いも控えめである。プロジェクション・マッピングを用いたドローイングや映像の使い方は緻密で、そちらを注視していて、音楽から意識が離れてしまうこともあった。服装や、写真機、望遠鏡などの機器類から、時代は19世紀後半と想定される。舞台の構造も、写真機のジャバラ部分を客席に向かうように作られており、それをのぞき込む奥の眼が強調される場面もある。
このオペラでは、明るい世界は男性の、闇の世界は女性のもの。悪である闇が太陽により破られる、というのが通常の捉え方だろうが、ケントリッジは両者を単純には描かない。侍女たちは時代の先端をいく写真機を使いこなし、タミーノへのアプローチも積極的。女性の側のポジティブな面を見せる。一方ザラストロに代表される男性の世界だが、女性差別、奴隷制といった構造があることが示される。第2幕でパミーナに対して歌いかけるザラストロのアリア、その背後にサイを狩る男たちの映像が流れる。撃ち殺した獲物の頭を持ち上げ、得意気な表情をみせる男、アフリカでの植民地支配、その力を誇示する者。それと同根のザラストロを表わすと感じられた。男性の世界も決して単純な正義ではない。
プロダクションが制作された2005年当時の社会的な問題にフォーカスしすぎず、植民地という時代設定をしたことで、今日でも古びない舞台とすることができている。
演出の要請であったかどうかは不明だが、セリフのみの場面何か所かで、モーツァルトの別の楽曲の一部をピアノで演奏するという試みがなされた。パパゲーナが老婆として登場する場面で、歌曲〈老婆〉を、といった具合に。舞台の進行に合わせた遊び心のある処理、面白く聴いた。
音楽面はというと、いささか残念な結果であった。
指揮のローラント・ベーアは、ビブラートを抑え、キビキビとしたテンポで進めようとしていたのだが、オーケストラがその棒についていけず、ミスも目立つ。また、歌手に合わせようとするあまり、音楽の構造が崩れてしまう場面すらある。
この日の演奏では、歌手にも多くの問題が。
男声の主役クラスは海外組。ザラストロのサヴァ・ヴェミッチ、素材としての声の魅力はあるが、2つ目のアリアではリズムがとれず、オーケストラと大きくずれてしまった。パパゲーノのアンドレ・シュエンは歌曲のCDで名前を聞くようになってきた人。役柄には真面目すぎるが、健闘していた。タミーノのスティーヴ・ダヴィスリムは51歳ともうベテラン。スカラ座などでの実績を考えると、もう一歩踏み込んだ歌をと感じた。モノスタトスの升島唯博は、いかにもキャラクターテナーという歌と演技で光る。
女声は国内組。夜の女王の安井陽子、高音で伸びを欠くところはあったが、二つのアリアを無難にこなした。パミーナの林正子、歌の形や声そのものは安定しているのだが、音色の変化にとぼしく、歌に表情がない。3人の侍女は個々に歌うところで微妙にずれるところはあったが、アンサンブルとしては整っていた。3人の童子、少年に歌わせることもあるが、やはり女声歌手のほうが安心して聴ける。
新芸術監督の船出をかざるにはさみしい出来栄えと言わざるをえない。指揮者を変えて、早い時期に再演されることを期待したい。
(2018/11/15)