アンサンブル・ヴァガボンズ vol. 2|平岡拓也
2018年8月8日 渋谷区文化総合センター大和田 4階 さくらホール
Reviewed by 平岡拓也(Takuya Hiraoka)
Photos by 伊藤竜太(Lasp舞台写真株式会社)
<演奏>
ソプラノ:清水梢
テノール:谷口洋介
バリトン:加来徹
合唱:慶應義塾大学コレギウム・ムジクム アカデミー声楽アンサンブル
合唱指揮:根本卓也
管弦楽:アンサンブル・ヴァガボンズ
指揮:下野竜也
<曲目>
フランク:あの方は誰だろう FWV63(3つの奉納の歌 第1番)
主なる神よ、素直な心で FWV64(3つの奉納の歌 第2番)
天使の糧 FWV61
主の右の御手は FWV65(3つの奉納の歌 第3番)
フォーレ:レクイエム ニ短調 Op. 48(1893年ラター版)
コントラバス奏者西澤誠治、ヴィオラ奏者成田寛、ヴァイオリン奏者原田陽が結成し、昨年マーラー「大地の歌」の室内楽版で旗揚げ公演を行ったアンサンブル・ヴァガボンズ。第2回目となる今年の公演では、フォーレ「レクイエム」が演奏された。指揮は第1回に引き続き下野竜也(彼もメンバーの一人だ)。
昨年のアンサンブル・ヴァガボンズの公演で印象的だったのは、西沢央子が演奏するハルモニウムの存在だ。シェーンベルク版の「大地の歌」演奏のためにヨーロッパのハルモニウムを修復・購入したという彼女の意気込みにまず驚いたのだが、小編成のアンサンブルに繊細な陰翳を与えるその存在感に更に驚愕した。今回のフランクとフォーレというプログラムも、この楽器が重要な役割を果たす。
前半のフランク「3つの奉納の歌」「天使の糧」について、フランクとオルガンにまつわる19世紀までの歴史的背景、大オルガンの代用としてのハルモニウムの価値などが曲目解説(佐伯茂樹氏)に詳細に記されていた。実際の演奏を聴いて納得。なるほど、この慎ましい歌と器楽の中に、教会の大オルガンはそぐわないであろう。ハルモニウム特有の音色と音量が好バランスで響いていた。
フォーレ「レクイエム」はジョン・ラターが1893年版のスコアを復元した版による演奏。第1稿(1888年版)に管楽器(任意の使用となっており、今回はホルンとファゴットが加わる)、曲数が増えた版ということになる。弦楽器はヴァイオリンを欠く編成だが、第3曲のオブリガートのみでヴァイオリン・ソロが加わる。結果として、第3稿(1901年版)で聴く音楽とは全く違う作品像が我々に提示された。独唱・合唱・ハルモニウムを加えても音楽は決して華美にならず、けれども蝋燭の元そっと手を合わせ続けるような温かな感慨が全曲の間持続したのである。慶應大の合唱は、教会式ラテン語ではなく「19世紀後半のフランス語話者が読む」ラテン語を目指したとのこと。フランスで学んだ根本卓也の指導のもと、発音という点ではそれは前後半共にかなり達成され、成果を挙げていた。あとは音程の安定を望みたかったが―。筆者が最も心を揺さぶられたのは終曲「天の国にて(In paradism)」であり、ここで軽やかに跳躍するハルモニウムの音色は絶大な効果をもたらした。
後半のフォーレの前に、指揮の下野竜也から語りかけがあった。昨年と同じ8月8日という、広島と長崎の原爆投下に挟まれた日での開催、西日本豪雨の甚大な被害に触れ、祈りを捧げて欲しい、という旨。このコンサートの後にも関西で台風が猛威をふるい、北海道では大地震が起きるなど、自然の厳しさを突きつけられる平成最後の夏となった。人災・天災を問わずいつどんな不条理が生に降りかかるか、我々にはわからない。それゆえに一層、「音楽を通じて祈り、自らと向き合う」ひと時の有難みを噛み締める一夜となった。
(2018/9/15)