五線紙のパンセ|建屋の記憶|山本裕之

建屋の記憶

text & photos by 山本裕之(Hiroyuki Yamamoto)

音に対する興味から音楽を書くのであって、社会性を絡めた作品を書くという発想は基本的にない。しかしごくたまにそのようなものを書くときがあり、たとえば2012年の《永遠の光》がそれにあたる。ユーフォニアムを抱えた奏者が暗い客席内で回転しながら様々な音を出したり声を発したりする。次に会場の外に出て、聖歌の「Lux Aeterna(永遠の光)」を奏でる。このときアシスタントによって会場のドアはバタバタと開け閉めされるため、その歌は聞こえたり聞こえなかったりし、ホワイエの光もふわふわと会場内を照らす。このプロセスをもう一度くり返した後、最後に奏者は暗いステージに上がり、横になり、ほどなく金管楽器のベルの中が青白く点滅する間、中から煙(ドライアイス)が湧き出てくる。もちろんこの青白い光が「永遠の光」にあたる。

遡ること2007年の夏、私はその頃に勤めていた岩手大学の学生二人とともに、青森県の下北半島の奥にある恐山に旅行した。半島の道中は最果て荒涼たる景色が拡がっているのに、突然その一角が都会の郊外に切り開かれた新興住宅地のようにキレイに整備されていた。そこに建つ立派なホールには、在京オーケストラ公演の横断幕が張ってあった。あまりにも周囲から浮いていたこのエリアは六ヶ所村にある。原発や核燃再処理工場が誘致されるとここまでシュールな光景が広がるのか。せっかくなので「六ケ所原燃PRセンター」を見学した。そこで見たのは、事業者に都合のよい明るい未来だった。先に起きていたJCOの臨界事故、キレイな住宅地と立派なホール、そしてご都合主義の施設を見て、私は近い将来、この国で大きな原発事故が起こると確信できた。まさか津波でやられるとは思わなかったけど。

2009年に愛知に居を移してから、私は二度ほど東京のPETETOKという作品発表の場に参加させてもらったことがある。演奏に際しては自己資金以外に何の制約もない、貴重な実験場だった。二度目に参加し《永遠の光》を発表した2012年はまだ震災から僅か1年しか経ってなく、福島の事故直後に自分が苦しんだ「原発うつ」の記憶も生々しい頃だった。あの事故を起こした原発という代物は、高度な科学技術を結集した施設であり、しかもそれが完璧ではなかったぶん始末に負えない。原発建屋の内部は、震災が起こるまで一般の人には知られていなかった。しかしそれが特殊な箱であること、特にそこで働く人達にとって危険な空間であることが白日の下にさらけ出されることになった。

外界とは明らかに異なるこの「閉ざされた危険な空間」に私は想像を巡らした。ネット上では事故から1年以上経っても、原発に対する賛否両論が渦巻いていた。しかし私が気になったのは、自分も含めてそれでもなお原発に対しての実感を持てない人が多いのではないかと思われることだった。そもそも原発の実物を自分の目で見たことのある人はこの国にどれだけいるのだろうか? 頻繁に報道されているけど、原発の建屋や溶融した原子炉がまるでこの国の日常から切り離されている存在であるかのように、想像力し尽くせない人達が大多数ではないか? もちろん私だって原発は外からしか見たことがないから、中の様子なんてはじめて画像で見て知ったわけだけど(それでも「知った」範疇にも入らないだろう)、気の弱い私はすべての生命を脅かす怖ろしい空間がこの国の様々な場所にあることを考えるようになり、やがてそれを作品を通して他人とともに実感したいと思うようになった。

《永遠の光》に立ち会った人達は、この国で「明るい未来」と喧伝されていた象徴としての「Lux Aeterna」を聴いた後で、自分達がいる密閉された会場(空間)が実は原子炉が仕込まれた原発建屋の内部であることを知ることになる。楽器のベルに青色LEDを仕込むのは簡単なことで、奏者が電気伝導体である楽器を触るとチカチカ光るという中学生レベルの工作なのだけど、問題は「煙」を仕込むことだった。金管楽器は濡れても問題ないので、舞台に上がる直前にベルの中にドライアイスと水を流し込もうと考えたら、なんと初演の会場からNGが出てしまった。「金管楽器は舞台上で唾抜きをする事はありうる」といいながらも、ドライアイスで舞台が濡れては困るというのだ。一生懸命に交渉したのだけど最後に「規約にドライアイスの使用は禁止と書いてあります」といわれてしまった。本当にそんなことが規約に書いてあったのか、ならばなぜそれを最初にいわないのか、ツッコミどころはいろいろあったけどもう面倒になって諦めてしまった。そのため結局この時の「原子炉」は、金色の環の中でキレイな光が輝くだけの「不完全燃焼」となってしまった。

この作品はユーフォニアム奏者の小寺香奈さんによる演奏だったが、翌年に彼女が機会を設けて和歌山で再演された。ところが私はその時に熱を出してしまい会場に出かけることができなかった。和歌山の会場は柔軟なのか自由度が高いのか、めでたくドライアイスを炊くことができたらしく、後日映像で美しい「永遠の光と煙」を鑑賞した。余談だけど、大都市より地方都市の方が会場や備品の使用法におおらかな傾向を感じる。東京では表現の制約に苛まれることが多い気がする。

《永遠の光》はこのように「社会性」を伴った作品で、しかもフクシマ以降に日本が置かれたとても難しい状況に絡んでいる。かつてクリスチャン・ウォルフは、「どんな音楽、たとえそれが元々ラブソングなどのメロディであっても、社会的な場で歌われればそれは社会的な音楽としての意味を付与される」と語った。労働争議や反政府デモ、学生運動がいまよりも身近であり、特別な事ではないと人々が感じる時代にあって、ウォルフやコーネリアス・カーデューなど、70年代から80年代にかけて政治的なメッセージを実験音楽の文脈に載せた人達は、そのような場において自らの音楽、つまり社会に「参加する」音楽を作るーー演出する、ともいえるーーことが可能だった。一方、私の作品は「通常」のコンサートのプログラムの中に組み込まれていた。「集会で歌われるラブソング」とは逆の構造である。このとき、社会的あるいは政治的な内容を含む作品が演奏されると知らされていなかったリスナーに対して、私の作品は何らかの影響を与えたのだろうか? それについて私は残念ながら、明確な答えを知らない。上演を観て何かを感じ取った観客が少しはいたようだけど、それが批評という形で私の手元に届くことはなかった。そもそも私自身、この作品の持つ「社会性」が何らかの形でなにがしかに影響を与えるだろうと期待していたのだろうか。これがもし70年代や80年代に発表されたら、雑誌などが取り上げて話題にしてくれる可能性もあったかも知れない。しかしいまはさほど音楽の社会性に敏感な時代ではないのだ。いや、ウォルフやカーデューでさえも、音楽表現の場において決して本流にいた作曲家ではなかったし、彼らのスタンスを明確に継ぐ人がほぼいなかったことを考えると、実は音楽は社会性という衣を身にまといにくい芸術なのかもしれない。

このテーマについては他にも思うところがあるのだけど、そろそろ文字数の限界。私の駄文に三回もお付き合い頂き、ありがとうございました。とりあえず作曲家は、本来の「音を構成する」職人に戻ります。

(2018/8/15)

★公演情報

日時:9月7日(金)18:30開演 会場:エリザベト音楽大学ザビエルホール
日時:9月8日(土)14:00開演 会場:ギャラリー交差611
「加藤和也サクソフォン・リサイタル KAN MAN HØRE TIDEN」
山本裕之:《延ばされた円舞者》(2017)
演奏:加藤和也(アルト・サクソフォン)

日時:10月17日(水)19:00開演 会場:ティアラこうとう小ホール
「山田岳ギターリサイタル」
山本裕之:《葉理》(2018、初演)
演奏:山田岳(ギター)

★CD情報
ピアノのための《紐育舞曲への前奏曲》:「24 Preludes from Japan」(stradivarius/STR 37089)に収録(演奏:内本久美)

この秋に、二枚目のポートレートCD『輪郭主義(仮題)』をレコーディング、来年ALM Recordsよりリリース予定。

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山本裕之(Hiroyuki Yamamoto)
1967年生まれ、神奈川県出身。1992年東京芸術大学大学院作曲専攻修了。在学中、作曲を近藤讓、松下功の両氏に師事。現音作曲新人賞(1996)、武満徹作曲賞第1位(2002)、第13回芥川作曲賞(2003)などを受賞。またガウデアムス国際音楽間’94(オランダ/1994)、ISCM世界音楽の日々(ルクセンブルク/2000、横浜/2001)など、様々な音楽祭に入選している。作品はLe Nouvel Ensemble Moderne、 (モントリオール)、Nieuw Ensemble (アムステルダム) 、NZ Trio(オークランド)、バイエルン放送交響楽団(ミュンヘン)、ルクセンブルク管弦楽団、東京都交響楽団、東京フィルハーモニー交響楽団、東京混声合唱団、ヴォクスマーナなど各地の演奏団体等により演奏されている。演奏家や演奏団体、放送局等からの委嘱を受けて作曲を行っている傍ら、1990年より作曲家集団《TEMPUS NOVUM》に参加、2002年よりピアニスト中村和枝氏とのユニット活動《claviarea》を行うなど、コンサートの企画なども含む様々な活動を展開している。NPO Glovill理事、音楽クラコ座(名古屋)メンバー。現在、愛知県立芸術大学教授。作品はM.A.P. Editions(ミラノ)、Babelscores(パリ)等から出版されている。
公式サイト:http://yamamoto.japanesecomposers.info/