オーケストラ・ニッポニカ第33回演奏会 アカデミズムの系譜|齋藤俊夫
芥川也寸志メモリアル オーケストラ・ニッポニカ第33回演奏会 アカデミズムの系譜
2018年7月1日 紀尾井ホール
Reviewed by 齋藤俊夫(Toshio Saito)
Photos by 渋谷学/写真提供:芥川也寸志メモリアル オーケストラ・ニッポニカ
<演奏>
指揮:野平一郎
チェロ:ルドヴィート・カンタ(*)
管弦楽:オーケストラ・ニッポニカ
<曲目>
池内友次郎(1906-1991):『交響的二楽章』(1951)
貴島清彦(1917-1998):『祭礼囃子による嬉遊曲』(1963)
I.屋台
II.鎌倉
III.仕丁舞
IV.屋台
島岡譲(1926-):『前奏曲とフーガ ト短調』(林達也による管弦楽新版)(1948/2018)
矢代秋雄(1929-1976):『チェロ協奏曲』(1960)(*)
野田暉行(1940-):『一楽章の交響曲 作品1』(1963)
ともすれば前衛的な音楽の影で忘れられそうになる、日本の「アカデミズムの系譜」にスポットを当てた今回の企画を知り、これを逃したら二度と聴くことはできないかもしれぬ、行かずばなるまいと即断した。
山田耕筰らのドイツ音楽が支配的な日本の楽壇に、フランス音楽のエクリチュールをもたらしたという歴史的偉人、今回の「アカデミズムの系譜」の起点たる池内友次郎(今回の貴島、島岡、矢代、野田らは全員池内に師事している)のオーケストラ作品を生演奏で聴くのは、筆者にはこれが初めてであった。
その『交響的二楽章』第1楽章、フルートが鳥の囀りのように、弦楽器などが不定形な雲状の音を作り出すのはラヴェル『ダフニスとクロエ』第3部導入部のよう、ぶわあっと音が膨らんでのしかかってくるのはドビュッシー『海』のよう。フランス音楽の書法で書かれた、というより、フランス印象派の二大巨匠をそのまま書き写した感が否めない。これらラヴェル的楽想、ドビュッシー的楽想の他にもう一つ、日本的旋律の楽想もあり、この3つの楽想が順繰りに現れて、最後に盛り上がって第1楽章は終わった。
第2楽章はムソルグスキー『展覧会の絵』の「ビドロ」に似た重く暗いイメージに日本的要素が加わった楽想が全体を支配する。この楽章は実に日本的な音楽なのだが、しかし、バルトーク以後、伊福部昭以後に、このような微温的な日本情緒が当時受け入れられたのだろうかと筆者にはいささかならず疑問が浮かんできてしまった。そして、フランス音楽に範をとっても、日本人はフランス人にはなりきれないこともまた確認してしまった。
筆者が貴島清彦の作品を聴くのは録音・生演奏を合わせても初めてではないだろうか。しかし『祭礼囃子による嬉遊曲』、これは1963年作曲とは思えないほどに前時代的であったと正直に述べるしかない。日本人が日本の民族的な音楽を書いたのではなく、外国人が日本の民族的な音楽を題材にして作曲したかのようで、祭り囃子にしては端正すぎ、流麗すぎ、よそよそしいのである。あるいはこのような祭り囃子も東京に(プログラムノートによれば本作は東京の祭礼囃子を取材して題材としている)存在したのであろうか?いずれにせよ、民族派の作曲家たち、例えば伊福部昭の『リトミカ・オスティナータ』が1961年、小倉朗の『日本民謡による五楽章』が1957年、また、民族派でなくとも今回取り上げられた矢代秋雄作品が1960年、野田暉行作品が1963年作曲であり、これら同時代の諸作品と比べようがない。貴島のためにも、この選曲はいただけないと思わざるを得なかった。
いわゆる「芸大和声」の著者・島岡譲の実作に当たるのも筆者には初めてかもしれない。今回の『前奏曲とフーガ ト短調』は学生時代に書いた学習フーガだそうだが、これは学生の習作の域を出ていない作品であった。確かに前奏曲とフーガとしてよく書かれてはいるが、音楽的主張や個性というものがない。オルガン独奏で聴いたら形式の荘重さがもっと映える作品だったのかもしれないが、音楽として物足りなく感じてしまった。できることならば島岡のもっと後年の作品を演奏してもらいたかった。
名作であるのはもはや言うまでもない、現代の古典的位置にある矢代秋雄『チェロ協奏曲』、今回は実に線の細い演奏であった。先日の都響=宮田大(東京都交響楽団第858回定期演奏会Aシリーズ|齋藤俊夫)のように雄渾に歌い上げるのではなく、繊細にチェロの旋律を奏でる。これも悪くない解釈だと思うが、残念ながらオーケストラが作品の構造を飲み込めていないようで、チェロとオーケストラ各パートがアンサンブルできずにバラバラの音楽となってしまっていた。名作は一筋縄ではいかない、ということを改めて認識させられる結果となった。
最後を飾った野田暉行『一楽章の交響曲』、作曲者自身がプログラムで「一生に2度聞けるとは思ってもみなかった」とコメントしていたが、これは大変な力作かつ(隠れた)名作。チェロによる厳しい第1主題に始まり、トムトムが強迫的に叩き続けられる中、ヴィオラとヴァイオリンがカノンらしき楽想を奏で、そしてコントラバスによる第2主題が登場する。ここまでは古典的な構成であるが、その後、展開とも変奏とも変容ともつかない複雑な音楽が昂ぶり、吹き荒れる。金管が不協和音で吠え、ハープが不穏な光を放つ。フレーズが断片化された所など、いささかオーケストラが作品について行けていない箇所も散見されたが、しかし勢いがあり、かつ作品に構成力がある。最後は大音量のトゥッティからディミヌエンドして、トムトムがまた強迫的に叩かれる中、冒頭の主題に回帰し、さらにディミヌエンドして沈黙の中に溶けゆく。作曲者23歳時の作品とは思えない迫力に満ちた作品であった。ただ、プログラムノートの作曲者インタビューの中にも登場した、矢代秋雄の『交響曲』(1958)と三善晃の『交響三章』(1960)の強い影響が見られ、特に前者の第4楽章に本作品の終盤はかなり似ていたように思えたことは一言述べておきたい。
作品の音楽性についての是非はともかく、今回の企画が大変有意義であったことは間違いない。そして可能ならば、日本のアカデミズムの系譜の「その後」(例えば60年代から70年代)まで手を伸ばすような挑戦的な企画をオーケストラ・ニッポニカには期待したい。
(2018/8/15)