ウィーン留学記|ライヒェナウ演劇祭|蒲知代

ライヒェナウ演劇祭

text & photos by 蒲知代(Tomoyo Kaba)

「可愛い子には旅をさせよ。」
先日父から届いた短いメールに書かれていた諺だ。読んだ瞬間、とても恥ずかしくなって、即座にメールボックスを閉じた。恥ずかしさを覚えた理由は、自分がもはや「可愛い子」と言われるような年齢ではないから、また、ウィーンに留学してもうすぐ3年になろうとしている人間に「旅」という言葉は似合わなくなってきているから、である。交換留学生としてウィーンに来た頃はまだ、(学費を払ってもらっているという意味でも)大人の自覚が薄かったし、10か月で完全帰国するつもりだったので、生活用品は最小限しか買わず、いつでも帰国できるように行動していた。しかしながら、ウィーンでもう少し頑張ろうと決意して、気が付けばもう3年。研究面でも生活面でも「自立」という言葉がほんの少しだが見え始め、時どき自分が「留学生」であることを忘れそうになることがある。とはいえ、ウィーンから一歩でも外に出て知らない場所に行くと、「可愛い子」に戻ってしまう。

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クアハウス・タールホーフ(黄色い建物)

2018年7月25日の朝、私はウィーンから南に90kmほど離れた、オーストリアのニーダーエスタライヒ州パイエルバッハ・ライヒェナウ駅へ向かう列車に乗っていた。1988年以来、毎年夏に開催されている、ライヒェナウ演劇祭を訪れるためだ。会場があるライヒェナウ・アン・デア・ラックスという町は、隣接するパイエルバッハ――アルノルト・シェーンベルクはここで初期の代表作『浄められた夜』を作曲した――と共に、夏の避暑地の一つとして知られている。この辺り一帯はハイキングコースになっていて、電車を降りてクアハウス・タールホーフに向かう緩やかな坂道を歩いていると、ストックを使って山の方から下りて来た2組の夫婦とすれ違ったが、完全に登山装備だった。タールホーフの入口は閉まっており、散歩中の老婦人に確認すると、タールホーフは現在個人の所有物だと言い、かつての女主人オルガ・ヴァイスニクスがシュニッツラーと「性的な」関係にあったことを強調して去って行った。

クアパークの池

世紀末ウィーンの作家アルトゥル・シュニッツラー(1862-1931)は幼い頃から両親に連れられてライヒェナウを訪れており、自伝『ウィーンの青春』の中で次のように述べている。「いずれにせよこのライヒェナウで、シュネーベルクとラクス山の麓で初めて、ウィーンの近郊で見慣れてきたのよりも崇高な山の自然が私の目の前に展開されたのであり、ここで高地と彼方との神秘が初めて私の心の琴線に触れたのである。そしてこのことだけで私の心を穏やかな陶酔に移し置くには充分だったことは明らかなのである。」(田尻三千夫訳)確かに、山道を上りながら「アルプスの少女ハイジ」の気分になったし、川沿いを歩きながら「春の小川」を口遊みたくなるほど、開放感あふれる自然豊かな町だった。
演劇祭は2005年以降、ライヒェナウ劇場の大ホール(1階席290席、2階席87席)と新プレイルーム(312席)の2つのホールで開催されており、2000年から2010年の間は、世界遺産「ゼメリング鉄道」が走るゼメリングの南部鉄道ホテルも会場として使用されていた。国内外から毎年4万2千人以上の来場者を集め、5週間の間に120以上の公演が行われるが、全公演のチケットが比較的早めに売れきれるため、「閉鎖的な」演劇祭と言われることもある。実際、今年の一般向けのチケットは2月下旬に発売されたが、3月下旬には残席僅かで希望する値段のチケットが購入できない状況だった。

ライヒェナウ劇場

今年で30周年を迎えたライヒェナウ演劇祭は、オーストリアを代表するピアニストの一人である、ルドルフ・ブッフビンダーのコンサートで幕を開けた。劇場には「30年」の黄色いオブジェが設置され、現在までの公演の数々のポスターが壁一面にびっしりと貼られ、舞台衣装も展示されていた。階段の正面にはシュニッツラーの写真が貼られていた。毎年4作品以上が上演されるが、今年はカール・ファルカシュ、フーゴー・ヴィーナー、フリッツ・グリュンバウムのカバレット・レヴュー『これを見ろ』、テネシー・ウィリアムズの戯曲『欲望という名の電車』、(ヴェルディのオペラをドイツ語に翻訳したことで知られる)フランツ・ヴェルフェルの小説『ツェラあるいは乗り越えた者たち』、シュニッツラーの『遺産』(1898年)に加えて、ヨーゼフ・ロートの小説『偽りの分銅』が朗読劇風のスタイルで上演された。演劇祭のプログラムは、シュニッツラーやヴェルフェルの他、ヨハン・ネストロイ、シュテファン・ツヴァイク、カール・クラウス、ハイミート・フォン・ドーデラーら、19世紀から20世紀にかけて活躍した、ライヒェナウに縁のあるオーストリアの作家たちの作品を中心に構成されることが多いが、シュニッツラーはライヒェナウ演劇祭にとって最も重要な作家であり、この30年で30作品上演されている。
私が今回鑑賞した社会劇『遺産』は、シュニッツラーの作品の中で上演されることが滅多にない作品であるが、夫ペーター・ロイドルトと共同で演劇祭を創設した、レナーテ・ロイドルトの意向(「人々はいつも有名な作品にばかりべったりだ。他の人たちよりもっと多くの作品を読まなければならないのに。」)で上演が実現した。作品の舞台は1900年頃のウィーン。上流階級のロザッティ家の長男フーゴーが落馬して瀕死の重傷を負い、死に際に私生児がいることを告白して家族を仰天させる。フーゴーの両親は、息子の願い通りに恋人で貧しい下級官吏の娘トーニと息子フランツを引き取るが、周りの家から白い目で見られて交際を絶たれてしまう。一時は団結したように見えた一家だったが、病弱だったフランツの急死により、家族の気持ちがバラバラになり始める。
上演は休憩を入れて2時間10分。演出家ヘルマン・バイルが原作に出来るだけ忠実に作り上げたお陰で、シュニッツラーが生きた時代の古き良き劇場の雰囲気を味わったような気分になった。また、演劇祭にはフーゴーの両親を演じたアドルフ・ローレンツとレギーナ・フリッチュをはじめ、ウィーンのブルク劇場、ヨーゼフシュタット劇場、フォルクスオーパー等で活躍するベテラン俳優が多く出演しているが、若手俳優の演技も光っていて、質の高い公演だった。
夕方、駅まで20分の距離を歩きながら、本作品の日本上演の可能性を考えた。「階級差」が問題になる作品だが、たとえ現代の日本に舞台を移したとしても、じゅうぶん成り立つと思ったからだ。例えば、大学生の息子が不慮の事故で瀕死の重傷を負い、実は子どもがいることを両親に告白。身寄りのない恋人と息子を引き取るように言い残して此の世を去ったとしたら…。
日本では今年、成人年齢の引き下げの改正民法が成立したが、今後社会にどのような影響を与えるだろうか。『遺産』は、まだ自立していない子どもが、子どもを大人扱い(放任)し過ぎた大人たちを狼狽させ、上辺だけの家族関係が露呈する話とも解釈できる。幾つになっても、親にとって子どもは「可愛い子」。大人になるのが早まるからと言って、家族関係が希薄になることは避けたいものだ。

 (2018/8/15)

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蒲 知代(Tomoyo Kaba)
兵庫県神戸市出身。京都大学文学部卒業。同大学大学院文学研究科修士課程を経て、現在は京都大学及びウィーン大学の博士後期課程に在籍中。専攻はドイツ語学ドイツ文学。主に、世紀末ウィーンの作家アルトゥル・シュニッツラーを研究している。