カデンツァ|ユジャ・ワンて、どうよ。|丘山万里子

ユジャ・ワンて、どうよ。

text by 丘山万里子(Mariko Okayama)
photo by 林喜代種(Kiyotane Hayashi) 2011年3月14日@武蔵野市民文化会館小ホール(来日初リサイタル)

八村義夫生誕80年ということで、今年は彼の作品を入れたコンサートをけっこう見かける。改めてその著作『ラ・フォリア』(1986/草思社)を読んでいたら、中国のピアニスト劉詩昆のことを書いている項を見つけた。先般、ユジャ・ワンを聴き、いろいろ考えていたところだったので、思わず立ち止まった。
武満徹企画の<Music Today ‘79>への登場で、批評を書き始めたばかりの私も聴きに行った。文革時に約6年投獄され、77年の四人組追放とともに復帰、日本でのリサイタルは初、当時40歳。中央音楽院からモスクワ音楽院へ留学、1958年チャイコフスキー国際コンクール2位入賞というキャリアの持ち主。中国人ピアニストを見聞するのはこれが初めてだったから興味津々(1955年ショパン国際ピアノコンクール第3位入賞のフー・ツォンの実演に接したのは6年後)。
彼の自作『白毛女即興曲』が弾かれた2日目に行き、その猛烈なぶっ叩きぶりに唖然としつつ、中国現代曲の中洋折衷調に、そうだろうなあ、などと無責任につぶやいたのであった。
八村はモーツァルト、ベートーヴェンなど西欧クラシックがメインだった両日を聴き、こう記している。少し長いが引用する。

私の考えでは、ピアニストが西欧クラシック音楽を弾くとき、それは、まったくの個人プレイの世界なのであって、「作品」からいかにその演奏家個人の眼に映る特有な奇異さをひき出すことができるかにかかっている。そしてその奇異さの独自性が、ただちにその演奏の人間像を推察させることに、いわば直結するところに、魅力のすべてが存在する。
劉氏のピアノの“質”は西欧や日本の演奏家からは未聴のものであった。言葉にするのは難しいが、乾燥感、思わぬ方向に張り出してゆく誇張と歪みが痛快であるのと同時に、精神の暗部を見るようでもあり、それらのもの一切に、西洋的な、近代化された感情移入のような性質のものはなかった。私達が、いかに無批判に西洋化されてしまっているかという問いを、私達につきつける性格をもつものであった。

ここにはユジャ・ワンを考える材料が出揃っていた。

劉を聴いた2年後(81年)、中国に1ヶ月ほど滞在(北京大学寮)、旅もした。まだ人民服の人々がおり、カルチャーショックはすごかった(スカート姿の私をみんなジロジロながめまくったし、街行く邦人など皆無)。個人ベースでの見聞だが、中央音楽院、天津音楽院での教育現場のほか、大衆音楽、民族音楽、西洋音楽、舞劇など各分野の人々、ステージに接した。その年、ロン・ティボー国際コンクールで清水和音が優勝(「ピアノの貴公子」と呼ばれクラシック界のアイドルの先駆けとなった)、伊藤恵3位、2位が中国のリー・チェン(Li Jian)で、アジア勢の活躍が注目されている。
中国はロシア・ピアニズムの流れを汲み、文革前は優秀な音楽家がいたが(フー・ツォンもその一人)、失われた10年を埋めるべく「追いつき追い越せ」に邁進、現代的な指導法に関する情報不足のため窓口拡大に懸命だった。実際、ロン・ティボーを受けるという少年のヴァイオリン演奏は音楽体験の少なさを露呈していたし、設備や楽器の改善・充実も道半ば。であるから、リー・チェンの2位がどれほど彼らを沸かせたか。
あと10年でコンクールのトップを占めるだろう、とは、当地を訪れた皆が等しく言っており、確かにユジャの入学はそれから10数年後、文革など知らぬ新世代の申し子として前線に躍り出る(フー・ツォンは幼いユジャの演奏を聴き祝福したという)。
ちなみに当時、党中央高官ら富裕層はこぞって子弟を米国に送っていた。

2つの大戦から米国へと逃れた西欧の音楽家たちが築いた音楽帝国が輩出するスターへの夢を追う若者たちがこの国に群がる。が、ほとんどがユダヤ系の名だたる音楽家・教師の死と共に、例えばジュリアードの栄華はもはや失せ、残るはアジア系(とりわけ中国、韓国)の学生ばかりという嘆息をNYで聞いたのは2000年代半ば。人々の関心はすでに復興した「本場」西欧へと戻りつつあった。
ユジャより5歳年長のラン・ランは第2回仙台「若い音楽家のためのチャイコフスキー国際コンクール」(1995)で優勝、その後渡米、カーティス音楽院で学んだ。ユジャは中央音楽院から14歳でカナダへ、翌年米国へ移り、やはりカーティスでラン・ランの同門(ホロヴィッツにも学んだG・グラフマン)となり、2007年アルゲリッチの代役でスターへの道を開く。

ユジャをモデルとしたピアニスト論『ピアニスト』(原題「Piano chinois」/エティエンヌ・バリリエ著/アルファベータ、2013)は、彼女を絶賛する年配音楽評論家と、こき下ろす若手のブログ上での論戦(セクハラ発言も多々ある)の形をとったもの。
年配者は彼女の演奏に「東洋の土地柄の陽性気質とその若さが古いヨーロッパの天才たちを甦らせ、そこに人は青春期の情熱を再発見する」と言い、若手は「ピアノ演奏界のハイテク最高級品、売りを狙って魅惑的な包装を施したブランド製品」という。そのテクニックを、中国はサーカスの養成で有名だから、とか、中国人がヨーロッパのアスリートに追いつき追いこすために送ったコンピューターの強力な悪性バグだ、とか(ユダヤや中国への偏見、蔑視発言はあちこち相当数)。
要するに「西洋音楽は普遍性があるからどこの国、文明でも受け入れられる」派と「ヨーロッパ以外の音楽家たちがクラシック音楽の真実に近づけるはずがない」派の論議だが、最後は若手が反省、「万歳!彼女が地球上のあらゆる国で勝利を収めますように!」で終わる。著者の本音は、つまるところ「西洋音楽の普遍性、万歳!」なのだ。
日本での講演ではこう。「ヨーロッパ人が極東の大国(中国、韓国、日本)と呼んでいる国々がヨーロッパ音楽を知り、愛し、実際にやってみて、そして演奏するようになったこと。それも当のヨーロッパ人と同じくらい上手にそれをやっていること」「時にはヨーロッパ人より深くそれを知り、愛し、またもっと上手にそれをやっている」ことに驚異と感動を覚える。「彼らは借り物にも異種交配にも満足せず、その先へ行って」おり、「かくしてこの音楽は彼らにとってよそから来たものではなく、まさしく彼らの音楽なのです。これは完全な同一化であり、全面的な受容であり、豊かで全体的な融合とさえ言えると思います。」

ふん。なんて本場意識に凝り固まった了見の狭い普遍主義者か。と思ったが、これを彼に書かせたユジャは、いつか聴こう。でも、少し時間をおいてから、と考えた。
で、先日の演奏は、というと。ブラームス『協奏曲第1番』(2018/3/13 J.v.ズウェーデン指揮ニューヨーク・フィルハーモニック)。
いまどきの特大ステーキ立ち食いみたいなブラームスだった。第3楽章など、楽節ごとに啖呵切っているようで、オーケストラもまたそれに煽られほとんど喧嘩腰、暴走族のロンドと言ったら顰蹙を買うだろうが、私の「趣味じゃない」。2016年のショパン『協奏曲第2番』(2016/11/22 M.T.トーマス指揮サンフランシスコ交響楽団)も、なんだかなあ(9月のリサイタルには行かず)だったし。
そうして、初めてフー・ツォンのショパンを聴いた時のえぐられるような深い衝撃に思いを巡らせた。

八村の言葉に戻る。
特有な「奇異さ」「誇張と歪み」の痛快、は八村らしい嗜好だが、「乾燥感」「無批判な西洋化」の指摘、それに、クラシック音楽の魅力は、演奏家個人の人間性にまで直結する独自性にこそある、という私言。
彼は徹底的に「個」であり「孤」の大意識家だったが、劉に西欧・日本からは「未聴」で、「西欧近代的感情移入」とは異なる「質」を聴いた、それが何かをこそ、ユジャの中に探るべきなのではないか。
暴走族のロンド、とした私の「趣味にあったブラームス」、とはなんだ?極東の小国(中国は大国だ)の私の参照点はどこにある?異種交配のその先?異文化間の受容に「個」と「普遍」を持ち出すパターンこそ無批判な西洋化そのものであるなら、その向こうに何を見る?

10年後のユジャが、ボディコンの超ミニドレスで弾くことはないだろう。
アンコール(シューベルト/リスト『糸を紡ぐグレートヒェン』、メンデルスゾーン無言歌集から『失われた幻影』)の演奏を思い出しつつ、現代の「新たな幻影」を自分の言葉で描き出せたら、と頭を振る。
八村の著書カバーには「ひとつの音に世界を見、ひとつの曲に自らを聞く」という句。
そうだ、ユジャを通し、世界の新たな共通のコード、原理を読み取る眼と言葉を、と頭を振る。

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 (2018/5/15)