Books|Jazz Thing ジャズという何か|藤原聡

Jazz Thing ジャズという何か
〜ジャズが追い求めたサウンドをめぐって〜

原雅明 著
DU BOOKS
2018年3月/2,200円+税

text by 藤原聡(Satoshi Fujiwara)

昨年爆発的なヒットを記録した映画『ラ・ラ・ランド』に確かこんなシーンがある。ライアン・ゴズリング演じる売れないジャズピアニスト、セバスチャンがマイルス・デイヴィスやセロニアス・モンク、チャーリー・パーカーなど過去の「革命的な」アーティストの名前を挙げて言う、「しかし今やジャズは死にかけている」。もはや紋切り型となった言説だが(監督のデイミアン・チャゼルがこれを批評的文脈で用いたのかどうかは差し当って本稿では措く)、これが象徴しているように明らかに現代である『ラ・ラ・ランド』の時代であってもジャズは先述の3人に代表されるように1940年代~1960年代のビ・バップ~ハード・バップ時代の音楽がそのイメージを代表しており、つまりはモダン・ジャズが「ジャズ」である。もちろんここでのマイルスは「エレクトリック・マイルス」以前、『ワーキン』や『ラウンド・アバウト・ミッドナイト』辺りのマイルスであろう。

いささか教科書的に書けば、ジャズは1960年代半ばからコード進行による即興からモーダルな即興に移行し始め(いわゆる新主流派)、1960年代後半にマイルスはエレクトリック化し、1970年代にジャズはロックやワールドミュージックを取り込んでフュージョンを生み、1975年にマイルスが一旦表舞台から姿を消したのちには徐々にシンセサイザーやドラムマシンと言った機械が生身の演奏の中にも入り込み、一方ジャズの変種であったフュージョンは完全にジャズとはまた別のいちジャンルとして定着、その人気は固定化したがその後ジャズはヒップホップを取り込んでも行き、さらには80年代初頭に遂に復活したマイルスはその後よりポップ色を強める(「80年代初頭に復活したマイルスは、ミネアポリスから登場したファンクであり、ロックであり、ディスコであり、ヒップホップも先取りしていたプリンスの音楽を褒め称え始めた。」本書Intro5ページ)。ここでのマイルスの音楽は先述の「モダン・ジャズ」とまるで違う地平においてその先鋭さを放っているのだが、この復帰後のマイルスの音楽を指して「ジャズではない」と言う人もまた多数いる。ジャズは死んだ。ではジャズとは何か? しかしここでジャズの定義を一義的に問題にしている訳ではない。過去の「モダン・ジャズ」は今や事実としてこういう音楽に変容している。ここではジャズとは何か、ではなくて今に繋がる「ジャズという何か」のありようをクリアにしたい。

「この80年代から90年代にかけて、モダン・ジャズでもフュージョンでもないジャズの物語を求める機運がミュージシャンやリスナーにはありながらも、ジャズ史はそれを提示することができなかった。ならば、そこからスタートするジャズの物語を綴りたい。それが本書を執筆した動機であり、出発点である。」(Intro5ページ)と著者の原雅明は明快に書く。「史実に従って列記していくだけでは何も見えてはこなかったジャズ史を、周辺の音楽、過去の音楽とも繋げながら再構成した。」(同)。

例えば、帯の裏にある文句、「これまでのジャズ史は、マイルスとプリンスを媒介した『ジャズ』の存在を明かしてはくれなかった」。これについては主に本書2部の1章「プリンスとマイルス―メタファーの時代に入ったジャズ」において言及される。本書によれば先述したように80年代に入ってマイルスはプリンスの音楽を賞賛し始めたが、他方プリンスはそれまで全くマイルスに言及したこともなければ、そもそもジャズを感じさせる作品もなかった。しかし、プリンスのバンドに加わっていた白人サックス奏者であるエリック・リーズがプリンスをマイルスそしてジャズに接近させたという。そしてエリックはプリンスに『Sketches of Spain』や『Kind of Blue』 のレコードを渡し、プリンスはそれらにのめり込んで行った、と。詳細を記述する余裕はないのでぜひ本書に当って頂きたいが、結論として「80年代のマイルスのサウンドを特徴付けた、マーカス(・ミラー/筆者補足)のスラッピングするベースも、それを先導するようなドラムマシンとゲートリヴァーブのタイム感も、デジタル・シンセの音色も、同時代のプリンスのサウンドとの関連性を抜きには語ることができない。そして、プリンスもマイルスを発見することで、変化を起こしたことも無視できない。」(同)。「マイルスはプリンスから受け取ったものを反映しようとし、プリンスはマイルスを咀嚼しようとしていた。」(P.105)「そう考えると、80年代末から90年代初頭のマイルスとプリンスを繋ぎ止めていたものは『ジャズ』であったと言うこともできるだろう。」(同)。ジャズだけを見ていては解き明かせないような「ミッシングリンク」とも言いうるが、こういった事実が恐らくは明確に言説化されて来なかったため、広範な音楽をフォローしている先鋭な聴き手ならばともかく、ともするとその事象をどう理解するか/それまでの既定路線の中での感覚にどう落とし込むか難儀する、ということではないか。

以上の「プリンスとマイルス〜」は2部の一項目だが、この2部は本書の考察におけるアウトラインを成す1部のいわば各論でありーーちなみに本書タイトルの『Jazz Thing』とは、ジャズ史をラップしたギャングスターの同名アルバムから取られているーー、その1部は「ジャズをめぐるサウンド史」と題され、それまでストレート・アヘッドなジャズに対するカウンターもしくは添え物と考えられていたヒップホップ、ファンク、ソウルなどの音楽をスティーヴ・コールマン、ロイ・ハーグローヴ、さらに時代は下ってジェイソン・モラン、カート・ローゼンヴィンケル、さらにはJディラやQティップらヒップホップアーティストのトピックを提示しつつジャズの変容を概観する。

1部において現在とそこに繫がる「ジャズの相対化と多様化」の下地を理解し、第2部でさらに個々のアーティストやアルバムの掘り下げを読む。これにより読者は90年代以降の「ジャズ」の持つ豊穣さを目の当たりにして目が眩む思いがすることだろう。ジャズは元々形式化を逃れる音楽だったはずだ。何でも貪欲に吸収しながらジャズの概念を拡張して来たはずだ。しかし現代ジャズ(モダンジャズ、ではない)はその網の目が余りに多岐に拡がっていて俯瞰することが難しい。本書はリスナーに対して大きなヒントを提示してくれる羅針盤のような書である。必読。

 (2018/5/15)