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木嶋真優ヴァイオリン・リサイタル|谷口昭弘

木嶋真優ヴァイオリン・リサイタル

2018年 2月2日 紀尾井ホール
Reviewed by 谷口昭弘 (Akihiro Taniguchi)
写真提供:ジャパン・アーツ

<演奏>
木嶋真優(ヴァイオリン)
柳谷良輔(ピアノ)

<曲目>
ヴィターリ:《シャコンヌ》 ト短調
バルトーク:《ルーマニア民族舞曲》
平井真美子:《マゼンタ・スタリオン》(世界初演)
スメタナ:《わが故郷より》から第2番
(休憩)
ラフマニノフ:《ロマンス イ短調》
プロコフィエフ:ヴァイオリン・ソナタ第1番 ヘ短調 Op.80
(アンコール)
パラディス:《シシリエンヌ》
ブラームス:《F. A. E. のソナタ》よりスケルツォ
グラズノフ:《瞑想曲》 Op. 32

 

ホールの隅々を支配してしまうようなスケールの大きいヴァイオリンを聴いた。
重々しい下降音型を少しずつ膨らませて始まるヴィターリのシャコンヌで、木嶋はタップリと時間を取って隆々と楽器を鳴らし、歌い込んでいく。メリハリのついたダイナミクスも印象的だ。そして自ら音楽世界にどっぷり浸かる様を自己のものに留めず、伝えようとする。淡々と支える柳谷のピアノとは、不思議な相性の良さ。1つの変奏の中でもめくるめく変わる様相を機敏に感じ取る二人は、密やかに語る一面も保ちつつ、ふつふつと湧き上がる情感を余すことなく前へ、前へと出していく。

バルトークの《ルーマニア民俗舞曲》は麗しい美音で始め、饒舌に語っていく。そして遊心ももちつつも、芸術音楽に昇華された魂の歌を奏でる。つっぱり気味の生命力の中で、あっと言う間に曲が終わった。
続いて演奏された平井真美子の新曲《マゼンタ・スタリオン》は、冒頭から素早く駆け抜ける馬が聴衆を一気に捉えていく。一方、で叙情的な部分では、たっぷりと旋律を聴かせる木嶋の特質が十全に引き出され、ヒロイズムが盛り込まれる。ピアノも息を合わせて食らいつく。まさに二人のための作品と言ってよいだろう。
スメタナ作品は、さっそうとアリアを歌うプリマ・ドンナとしての木嶋を聴いた。ただ後半は有無を言わさぬたたみかけで、とにかく活きが良い。彼女のような演奏は、きっとコンクールでは高く評価されるのだろう。

後半はラフマニノフの《ロマンス》から。滑らかな旋律線がスムーズに、しかし豊かに流れていく。小品に盛り込まれたデリケートな部分にも積極的に光を当てる。正直、どこか物足りないところも感じたのだが、もしかすると弱音部分において、立ち止まる感覚が必要なのかもしれない。
プロコフィエフの第1ソナタは、ピアノによる重々しい雰囲気から自然に出発する。そして柳谷に寄り添うかのような身振りをしつつ、木嶋自身の主張を広げていく。やがて波をつけたり、水のはじける様を付加したり、二人が舞台上で鳴らし合う共同作業であることが最終的に実感させられた。第2楽章はコール・アンド・レスポンスにも似た音型の応酬で、ユーモラスながら息の長い旋律も聞こえてくる。互角に闘う鳴らし合いの世界だ。第3楽章はどこか醒めた感覚を残しつつ、シンフォニックな室内楽で、どこかしら神経質な脈を残したプロコフィエフらしい音楽だった。最終楽章は、ロマン的情緒も残しつつ、モダンで才気ほとばしる作曲者の強靭な創造性を自らのものとして発信する怪作として立ち現れる。聴かせどころはいくらでもあるのだという喜びが演奏から沸々と溢れていた。

アンコールを聴いて思ったのは、最後に弾いたグラズノフの《瞑想曲》にあるような、一見簡素な小品からこぼれ落ちる叙情性をひたひたと聴衆に伝えることができるようになれば、人を圧倒する彼女の表現性の幅もぐっと広がってくるのではないだろか、ということであった。

(2018/3/15)