伶楽舎雅楽コンサートno.33|齋藤俊夫
伶楽舎雅楽コンサートno.33 「鶯の囀りといふしらべ~春鶯囀を観る、聴く」
2018年1月6日 四谷区民ホール
Reviewed by 齋藤俊夫(Toshio Saito)
写真提供:伶楽舎
<曲目、演奏>
舞楽『春鶯囀(しゅんのうでん)(颯踏(さっとう)、入破(じゅは))』
舞:中村仁美、北村茉莉子、伊崎善之、〆野護元
笙:石川高、宮田まゆみ、三浦礼美、田島和枝
篳篥:田中康真、八百谷啓、田渕勝彦、鈴木絵理
龍笛:笹本武志、八木千暁、角田眞美、平井裕子、田口和美
鞨鼓:宮丸直子
太鼓:中村華子
鉦鼓:五月女愛
管絃『春鶯囀一具(遊声(ゆうせい)、序、颯踏、入破、鳥声(てっしょう)、急声(きっしょう))』
笙: 宮田まゆみ、石川高、東野珠実、五月女愛
篳篥:田渕勝彦、八百谷啓、田中康真、中村仁美
龍笛:八木千暁、笹本武志、角田眞美、田口和美
琵琶:中村かほる、中村華子
箏:野田美香、平井裕子
鞨鼓:宮丸直子
太鼓:三浦礼美
鉦鼓:田島和枝
年の始の演奏会で雅楽を聴くとは、なんとも風雅。また、今回演奏される『春鶯囀』とは中国は唐の高宗の時代に作られ、その後日本に伝来し、源氏物語、枕草子などにも登場した名曲かつ大曲だそうではないか。このような機会はめったにあるものではないと大いに期待して会場を訪った。
まずは『春鶯囀』から「颯踏」「入破」の舞楽。龍笛、篳篥、笙、鞨鼓の悠揚たる音に導かれてゆっくりと舞人4名が入場し、そして舞う。と言っても、極端に抑制されたその舞は通常我々が「踊り」と呼ぶものとは全く異質。舞人の装束は目も鮮やかで絢爛たるもの。また楽人たちもそれぞれ色違いの装束に身を包み、舞台は一幅の日本画のよう。
ゆったりと天上、雲上に浮かぶような管絃の調べと舞をよく見聞きしてみると、「颯踏」では徐々に舞も管絃もテンポが速くなっていった。しかし舞台上の、静止したかのような「絵画的秩序」には一片の乱れもなく、だが遠くにいるはずの舞人たちが管絃に合わせて次第に接近してくるかのような、遠近感を狂わせる魔法が潜んでいた。一歩だけ足を出す、両手を広げる、その場でゆっくりと回転する、などのごく単純な動作になぜこんな魔力がこもるのか、これが歴史を越えてきた芸術の力か。
そして管絃『春鶯囀一具』、雅楽全体でも4曲しかない「四箇之大曲」の1つである。これは筆者が日頃聴いている西洋音楽とはあまりにも異質な音楽だった。そしてそれが1時間続いたのである。だが全く退屈などはしなかった。
最初の「遊声」「序」は無拍、先の舞楽で抜粋して演奏された「颯踏」「入破」は有拍、「鳥声」は無拍、「急声」は有拍、のはずなのだが、筆者には無拍・有拍の区別がつかず、全てが無拍に聴こえた。特に琵琶、箏のアルペッジョはどういうリズムに合わせて弾いているのか全くわからない。
音楽の縦の線である拍と同様に、横の線である旋律線も、あまりにもゆったりとした遅いテンポで、その音の流れに(主旋律は龍笛と篳篥、背景に笙の和音、そこに琵琶、箏、鞨鼓、太鼓、鉦鼓が時折差し込まれる)陶然となりつつも、その線の上下動とフレーズの区切りなどが捉えられない。
さらに楽曲構造やテクスチュアも、「颯踏」では同モチーフの反復が続いている(宮丸直子の解説によると鶯の鳴声らしいが、鶯はこんなにゆっくりと鳴くものだろうか)、「入破」は龍笛と篳篥がヘテロフォニーで延々と絡み合う、「鳥声」は長大な旋律1つが1曲を成している、ように聴こえたが、漠然とした印象であり、何故この超スローモーな大曲が成立しているのかは謎に終わった。
だが、音楽の仕組み・構造がわからずとも、ゆったりと音の波に身を委ねると、そこに豊穣な「みやび」「あはれ」の世界が開き、時間の進み方が(西洋的な)日常とは違う、いにしえの時代に束の間タイムスリップしたかのような体験ができた。
「音楽に国境なし」、という言葉は半分以上間違いであるが、しかし、半分近くは正しい。江戸時代末期から明治初めに洋行した日本人たちも、西洋音楽にある者は熱狂し、あるものは興醒めしたという。「音楽に時代なし」という言葉をここで作ってみれば、それも正誤半々であることがわかる。西洋化された現代人たる筆者には雅楽はいまだに未知の音楽であり、しかし、かつ実に心沸き立つものであった。その溢れる音響で屠蘇酔いしたような良い心地で帰路についた。
(2018/2/15)