Menu

バイエルン国立歌劇場 歌劇《タンホイザー》|藤堂清

バイエルン国立歌劇場 
リヒャルト・ワーグナー作曲 歌劇《タンホイザー》

2017年9月21日 NHKホール
Reviewed by 藤堂 清(Kiyoshi Tohdoh)

<スタッフ>
指揮:キリル・ペトレンコ
演出・美術・衣裳・照明:ロメオ・カステルッチ
振付:シンディー・ヴァン・アッカー
演出補:シルヴィア・コスタ
ドラマトゥルグ:ピエルサドラ・ディ・マッテオ、マルテ・クラスティング
映像デザイン:マルコ・ジュスティ
合唱監督:ゼーレン・エックホフ

<キャスト>
領主ヘルマン:ゲオルク・ツェッペンフェルト
タンホイザー:クラウス・フロリアン・フォークト
ヴォルフラム・フォン・エッシェンバッハ:マティアス・ゲルネ
ヴァルター・フォン・フォーゲルヴァイデ:ディーン・パワー
ビッテロルフ:ペーター・ロベルト
ハインリッヒ・デア・シュライバー:ウルリッヒ・レス
ラインマル・フォン・ツヴェーター:ラルフ・ルーカス
エリーザベト、領主の姪:アンネッテ・ダッシュ
ヴェーヌス:エレーナ・パンクラトヴァ
羊飼い(声):エルザ・ベノワ
羊飼い(少年):カレ・フォークト
4人の小姓:テルツ少年合唱団
バイエルン国立管弦楽団
バイエルン国立歌劇場合唱団

 

キリル・ペトレンコ、音楽総監督の地位にある彼の力を十二分に示した公演、オーケストラと合唱の充実が際立っていた。
バイエルン国立歌劇場の引越公演、二演目のうち一つが、今年5月にプレミエ公演を行ったこのプロダクション。現地では、ペトレンコを中心に音楽面では絶賛されたが、演出に関しては賛否が分かれたとのこと。
日本公演では、オリジナル・キャストとはエリーザベトとヴォルフラムが代わっているが、出演者のレベルは同じとみてよい。最初に述べたようにペトレンコの指揮には感服。しかし、歌唱面では不満に感じるところも幾分かはあった。演出を中心とする舞台に関しては、さまざまな点で疑問が残った。したがって筆者は、音楽面は賛、演出面は否である。

NHKホールのオーケストラ・ピットから序曲が流れ出したときにまず感じたことは、なんと繊細で美しい音なのだろうということ。バイエルン国立歌劇場のオーケストラはウィーン国立歌劇場のそれと較べると無骨というイメージがあったのだが、その考えを打ち破るものであった。
序曲からそのまま続いてバッカナールへと入り、幕が開く。舞台正面奥の壁には大きな白い円盤が描かれ、眼を中心とする顔の一部が表示されている。弓矢を持った上半身裸の女性たちが登場し、その眼をめがけて矢を放つ。彼女らはバッカスの巫女たち?眼を射るということは、視覚の否定?などとその意味を考えるが、矢筒から矢を取り出し、弓につがえ、かまえて放つという単純な動作の繰り返し、グループごとにタイミングや向きを変えることはあるが、音楽との融合にはつながらない。この場面の終盤に、ミュンヘンではあったタンホイザーが刺さった矢をつかみながら壁面を登っていくという部分、東京では省略されていた。これがヴェーヌスべルクへの道行を表わしていたのなら、何故なくしてしまったのか不明だ。

そんなこんなで舞台が音楽の持つ力をふくらませてくれることがないので、途中から音楽のみに集中するようにした。比較的ゆっくりとしたテンポだが、緊迫感の強い演奏が続く。それを生みだすペトレンコの細やかな指示、繊細な音を弾きだすオーケストラの集中力もすばらしい。
タンホイザーを歌うクラウス・フロリアン・フォークト、どの音域もむらなく、つやのある声、声量も充分、声自体に文句をつけるところはないのだが、どんな歌でも響きの色合いが変わらない。場面に応じて歌に表情をつけたりといったことがない。タンホイザーってこんなに紳士だったっけと言いたくなる。その彼も、第3幕の<ローマ語り>では、救済を求める気持ち、赦しは無いとの宣告を受けての絶望などを一歩踏み込んで歌い上げた。
ヴェーヌスのエレーナ・パンクラトヴァは、箱のようなヴェーヌスベルクに下半身を閉じ込められ移動できない状態で歌う。彼女も立派な声だが、やはり表情にとぼしい。怒っているときも、懐柔しようとするときもあまり変化がない。オーケストラがそれを補うかのように雄弁に歌っている。
アンネッテ・ダッシュのエリーザベトは第2幕からの登場。幕開きのアリアからタンホイザーが戻ったことへの彼女の喜びが伝わる。ようやく歌でドラマが動き出した。
少し残念な出来であったのはマティアス・ゲルネのヴォルフラム。彼ならばもっと響きの厚みが出せるだろうと思うのだが、今一つ伸びがない。歌合戦の歌も映えなかったが、<夕星の歌>では声が割れるところもあった。
合唱のすばらしさにはふれないわけにいかない。第3幕の巡礼の歌や最後の場面で救済がなったことを歌うところ、最弱音から強声まで、美しいハーモニーと響きで会場を埋めた。
音楽全体として、オーケストラや合唱の表現の多彩さと較べると、個々の歌手の歌にはもう一段の精緻さを求めたい。

演出について細かく書くことはしない。第1幕第1場、第2幕の舞台は美しい。そこでの多くの人の動きの意味を説明なしに理解することはむずかしい。第3幕でタンホイザーとエリーザベトの遺体がおかれ、それを時間の経過(字幕に出ている時間はあっという間に宇宙の年齢を超えていく)とともに変化させていく。舞台上では、より時間が経ち腐敗のすすんだ遺体をストレッチャーに載せて運び、以前のものと交換していくのだが、その動きが音楽への集中の妨げとなるだけでなく、音も邪魔になる。
オペラの演出はどんな読み替えだろうが、音楽と一体になることが必要ではないだろうか。

キリル・ペトレンコの日本デビューという意味では大成功の公演、ベルリン・フィルハーモニーの次期首席指揮者の実力をみせてくれた。オーケストラ指揮者としての力量も疑いはないだろうが、オペラ指揮者としても魅力はある。今後どのような活動をしていくのか注目していきたい。
また、彼に鍛えられたバイエルン国立歌劇場の水準が、次期音楽監督にどう引き継がれていくかも興味をひかれる。

(追記)
このプロダクションでは、ウィーン版(1875年)を基本に、ドレスデン版(1860年)を一部とりこんだ版を用いている。
舞台写真などは、バイエルン国立歌劇場のサイトを参照いただきたい。

関連記事:撮っておきの音楽家たち|キリル・ペトレンコ|林喜代種