五線紙のパンセ|その1)|望月 京

その1)

text and photos by 望月 京(Misato Mochizuki)

春学期の授業が終わったのもつかのま、大学では一週間の夏季集中講座で、コンピュータを使っての音響制作演習が始まった。中日(なかび)の昨日は「中間発表」で、学生たちが各自、何を表現したいのか、どのようにそれを音響で表すのか、試行錯誤の過程を口頭と音源とで説明した。発表者以外の学生はそれを聞いて質問や意見交換をし、批評コメントを書く。
他の授業でもよくあることなのだが、「わかりやすくてよかった」旨の感想が少なくない。やさしいねぎらいの決まり文句に過ぎないのかもしれないが、「わかりやすさ」はしかし、「良さ」の必要十分条件なのか?と毎回ひっかかる。「わかりやすい」ことと「わかる」こととは違うし、「わかりやすい」ことがよいことなのかどうかも私にはわからない。跋扈する「わかりやすさ」によって、実際に何かがよくなったり、人々の理解が向上しているというよりは、そのつるりとした触感と引き換えに、最も大切な本質が削ぎ落とされ、失われようとしているような実感、危惧のほうがつよい。
わかりやすくて何がどうよかったの?本当に何かわかったの?と皆に問いただしたくなる。

一方で彼らは、20世紀以降のさまざまな「現代音楽」にふれる春学期の授業評価で、「こうした音楽はよく理解できないし、積極的には好まないが、巷のポップスには飽き飽きなので、未知の音楽を聴けてよかった」などとも書くのだ。「わかりやすさ」と「わかりにくさ」のはざまで、人は何を聴き、感じるのか。身近にあふれる数多(あまた)の音楽が日々の喧噪の中で聞き流されてゆくなか、暫し耳をすませ、言葉や理屈を超えたところで何かが心にひっかかる時間や感覚を得られたなら——私自身はそれを求めて作曲しているのだが——。至近の作曲について考えを巡らせる。

3年前、久しぶりにダルムシュタット国際夏季現代音楽講習会に講師として参加した時、この70年来の「世界的現代音楽の聖地」で、スマートフォンを眺めながら演奏会を聴く受講者、関係者が散見されることに驚いた。その年のテーマは「Expanded/Extended Music」というもので、ヴィデオや演出、異形の「楽器」(気球、創作楽器…)など、視覚的要素を伴う作品が多くとりあげられていた。スマートフォンに向かいがちな視線をなんとか演し物に、と目論んだのかどうかは定かでないが、具体的な形象をもたない音楽だからこそ、それを通して想像、記憶、感情など、音楽の外に感覚が向かう、つまり音楽とは本質的にexpandedないしはextendedなものだと思っていたので、改めてそれが謳われるのは些か奇妙な気がした。

視覚は聴覚より敏捷でインパクトがあり、「わかりやすさ」の鍵だと思われがちであるが、同じ映像でも音楽によってかなり印象を異にすることには、学生たちも例年、一様に驚く。つまり、ある意味では、視覚より聴覚のほうが強いのだ。言葉を含めた、目に見える直接的な表現を超えて、何をどう音楽化するか。それを考えずに作曲することはできないが、作曲中はむしろ、あえてそれを考えないようにしないと筆が進まない。五線紙上の創作よりも、そうした思考を編んでゆくことのほうがたぶん重要なのだろうとも思うが、作品とは、とりとめのない思考をある時点でまとめ、記録しておくための形態のような気がしている。

10月初演予定の《Têtes》(頭/顔)で使用する楽器を買いに、上野信一さんに教えていただいた浅草の「岡田屋布施」に出かけた。周囲には仏具店がいくつかあるのだが、このあたりで販売されている木魚のデザイン、人の顔に見えませんか?

顔は、人をその人として視覚的に識別する部位であり、脳は思考や行動といった、人の内的アイデンティティを司る。古くから今日まで、なぜ処刑に際し首をはねる風習が各国にあるのか。人の、その人たらしめる部分を奪うという究極の暴力。
「怪談」にも、顔や首、すなわち頭部の得失に関する話が多く見られる。「顔を失う」「面子をつぶす」といった表現が、諸言語で存在するのも興味深い。
他方、「顔を増やす」(クローン、影武者…)ことは、個人性の侵害にあたるのか否か…?
こうしたあれこれをいかに音楽で表現するか、曲の完成はまだまだ遠い。

★公演情報
望月 京《Têtes》世界初演
台本:ドミニク・ケレン(一部、小泉八雲著「怪談」に基づく)
演出:フレデリック・タントゥリエ
演奏:ポール=アレクサンドル・デュボワ(声)、エノ・ポッペ指揮MusikFabrik
2017年10月22日ドナウエッシンゲン音楽祭(ドイツ)
SWR(南西ドイツ放送局)委嘱作品

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望月 京 (Misato Mochizuki)
1969年東京生まれ。東京芸術大学大学院およびパリ国立高等音楽院作曲科、楽曲分析科修了。1996~97年IRCAM研究員。国内外の多数の放送局、管弦楽団、劇場、音楽祭などから委嘱を得て、オペラ《パン屋大襲撃》、オーケストラ作品(東京フィルハーモニー創立100周年記念作品《むすび》、ブザンソン国際指揮者コンクール課題曲《むすびII》…)、無声映画のための音楽(溝口健二監督「瀧の白糸」、マン・レイ監督「理性への帰還」)など60余曲をこれまでに作曲。作品はBreitkopf & Härtel社より出版、ザルツブルク音楽祭、ウィーン・モデルン、ベルリン・ムジークビエンナーレ、ヴェネツィア・ビエンナーレ、リンカーンセンター・フェスティバル、サイトウ・キネン・フェスティバル(松本) といった音楽祭等で初演/再演される。パリの秋芸術祭、アルス・ムジカ音楽祭(ブリュッセル)、アムステルダム・ムジークヘボウ、コロンビア大学ミラーシアター、サントリーホールなどでは、オーケストラやアンサンブル作品による個展が開催された。欧州各地で作曲講師を務める一方(ダルムシュタット国際夏季現代音楽講習会、ロワイヨモン国際作曲セミナー、パリ・エコール・ノルマル音楽院、アムステルダム音楽院…)、一般聴講者を対象とした講演(コレージュ・ド・フランス、コロンビア大学、ウィーン芸術写真学校…)や執筆(読売新聞連載「音楽季評」2008〜2015、 日本経済新聞「現代音楽入門講座」、新潮社「考える人」、講談社「群像」…)にも定評がある。芸術選奨文部科学大臣新人賞、尾高賞、出光音楽賞、芥川作曲賞、ユネスコ国際作曲家会議グランプリ、ハイデルベルク女性芸術家賞などを受賞。明治学院大学教授。