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ベッリーニ:歌劇《ノルマ》|藤堂清

日生劇場、びわ湖ホール、川崎市スポーツ・文化総合センター、
藤原歌劇団、東京フィルハーモニー交響楽団 共同制作
ヴィンチェンツォ・ベッリーニ作曲:《ノルマ》

2017年7月4日 日生劇場
Reviewed by 藤堂 清(Kiyoshi Tohdoh)
Photos by 林喜代種(Kiyotane Hayashi)

<スタッフ>
指揮:フランチェスコ・ランツィッロッタ
演出:粟國 淳
合唱指揮:須藤桂司
美術:横田あつみ
衣裳:増田恵美
照明:原中治美
舞台監督:菅原多敢弘
副指揮:安部克彦、大川修司
演出助手:上原真希

<キャスト>
ノルマ:マリエッラ・デヴィーア
アダルジーザ:ラウラ・ポルヴェレッリ
ポッリオーネ:笛田博昭
オロヴェーゾ:伊藤貴之
クロティルデ:牧野真由美
フラーヴィオ:及川尚志
合唱:藤原歌劇団合唱部/びわ湖ホール声楽アンサンブル
管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団

 

デヴィーアの《ノルマ》、そうとしか言えない。69歳のプリマドンナに感謝し、頭を下げるのみ。オペラ全体としても満足のいくものであった。しかし、彼女の存在がそれを一段も二段も引き上げていた。
力みのない、体全体で作り出す響き、ピアニッシモからフォルテまで、そして低音域から高音域まで均質な声、細かな音型でもやせることはなく会場をうめた。
第1幕第1場、ノルマの登場場面で歌われる〈浄き女神〉のゆったりとしたテンポ、そこでの高音もきっちり伸ばす。続くカバレッタ部分の細かな音型の安定感、繰り返しでは装飾も入れる。
続く第2場では、秘めた恋を告白に来たアダルジーザに共感し歌う二重唱は響きの美しさが際立つ。そして相手がポッリオーネと知った後の彼も入った三重唱での厳しい表情。デヴィーアの歌唱の幅広さが分かる。
第2幕第1場冒頭で、ノルマは自分の子供たちを手にかけ自害しようとするが果たせず、アダルジーザを呼び、子供を託そうとする。アダルジーザは断り、ポッリオーネにノルマのところへ戻るよう説得に向かう。ここでの二重唱、声を張り上げずに響きを大切にしたもの。ポルヴェレッリは高音を避けたところはあったが、デヴィーアとのハーモニーを大切に歌った。
第3場で、説得が失敗に終わったことを聞いたノルマは激怒し、ローマ人を皆殺しにと命ずる。ここでデヴィーアは低音域の厚みのある声で心の変化を表現した。捕えられたポッリオーネと対峙しての重唱も力強い。彼の懇願も聞かず、アダルジーザを生贄にしようとするが、直前になり自らの過ちをおもい、自分こそが生贄となるべきと言う。この大転換の場面、強い声から響きを中心とした弱声へ移るところで、音色もさっと変わり、ノルマの心の動きを見事に表現した。オロヴェーゾに子どもたちを託す切々とした訴えから、最後の場面までの多彩な歌い分けにも強く心を打たれた。

デヴィーアの歌唱を中心に述べてきたが、指揮のフランチェスコ・ランツィッロッタもこの公演レベルを高いものとする上で重要な役割を果たした。序曲や合唱の部分でよくわかるのだが、比較的早めのテンポで、リズムの切れ味が鋭く、音楽の流れを大きくつかみながら、細かな息遣いが感じられるものであった。その一方で、歌手が歌いやすいように合わせることも忘れない。一部でそれが行き過ぎて間延びするところもあったが、ベッリーニの、この時代としては斬新なオーケストレーションがよく味わえた。
ポッリオーネの笛田博昭は、日本人には珍しい厚みのあるテノールの声で、それをよくコントロールし、安定した歌を聴かせた。最後の場面でノルマとともに死のうと決意するまでは、終始自己中心的な人物であるこの役に合っていた。アダルジーザのラウラ・ポルヴェレッリは中音域はよいのだが、高い音域では苦労していた。全体としては大きな破綻はなかったが、相手役のデヴィーアが良い分、バランスが悪いと感じられるところもあった。
オロヴェーゾの伊藤貴之、クロティルデの牧野真由美は、それぞれの役割を十分に果たしていた。

舞台は、中央に円筒形の構造物を設け、その囲みを動かし、中に置かれた円盤を回すことで転換する巧みなもの。照明とあわせ無理なく変化を生みだしている。主な歌唱・演技は円盤上で行われるが、ドルイド教徒などの合唱はその外側で歌われるなど、主役に視線が集まるようよく考えられている。

今回のプロダクション、マリエッラ・デヴィーアの日本での最後のオペラ公演となる。
びわ湖ホール、川崎市スポーツ・文化総合センターでは、10月にこの《ノルマ》の公演が予定されているので、今回お聴きになれなかった方は足を運ばれると良いと思う。