Pick Up(17/03/15)|マーク・パドモア(テノール)若い声楽家のための公開マスタークラス|藤堂 清

「詩」と「音楽」、その融合の高みをめざして
マーク・パドモア(テノール) 若い声楽家のための公開マスタークラス
~シューベルト歌曲の本質~

2017年2月15日 トッパンホール
Text by 藤堂 清 (Kiyoshi Tohdoh)
Photo by 藤本史昭/写真提供:トッパンホール

<プログラム>
小谷美佳(ソプラノ/東京音楽大楽大学院修了)
渡辺知子(ピアノ)
  ガニュメデス D544
  ズライカI D720

村元彩夏(ソプラノ/2016年日本音楽コンクール声楽部門第1位、東京芸術大学大学院博士課程修了)
谷本善基(ピアノ)
  グレートヒェンの祈り D564
  ます D550

イギリスの名テノール、マーク・パドモアによる公開マスタークラスがトッパンホールで行われた。

彼は、この前日にみなとみらいホール小ホールで、シューベルトの歌曲集《冬の旅》をオーストリアのピアニスト、ティル・フェルナーとともに歌い、テキストの細部までていねいに、またシューベルトの自筆譜に忠実な音楽を聴かせた。トッパンホールでの2008年の演奏以降、4回目の《冬の旅》になるが、以前にもまして踏み込んだ演奏であった。

その彼が二人のソプラノを指導し、シューベルトの歌曲の本質へ迫る彼の方法論を伝え、次世代の歌曲歌いを育てていこうという試みである。受講生とその関係者だけでなく、歌曲愛好家の姿もみられ、幅広い層が、パドモアのドイツ・リートと向き合う姿勢や、指導方法に興味を持っていることが伺えた。

前半の受講生、小谷美佳は、2016年に東京音大大学院を修了、声自体はかなりできあがってきている。
一曲目の<ガニュメデス>を歌い終えた小谷に対し、パドモアが最初に言ったことは、私が歌曲に取り組むとき、4つのルールを持っています。まず第一に行うこと。

ルール1)
  テキストを読む。

具体的には、「テキストを話してみる。」、「意味を理解する。」、「聴衆に意味が分かるように伝える。」

そしてまず、歌詞の大意の説明を求め、出だしの情景、最後の場面の状況といった曲の全体像の理解を確認した上で、指摘したことは、
「あなたは美しい声をお持ちだ。だが、その声にひたってしまうと、響きが先立ってしまい、意味が伝わらなくなることがある。」
「言葉を伝えることを意識してください。サウンドは後から付いてきます。」
ついで、部分を歌わせながら細かな修正点を指摘し、再度繰り返させて反映されているかどうか確認する。ここでは、ルール1に関わる修正が多くなされた。
「子音をもっとはっきりと歌うように。」
「一つ一つのの言葉の意味がわかるようにする。例えば “Wärme” という単語を歌うとき、『あたたかさ』が伝わるようにしてください。」
「”Daß ich dich fassen möcht” というところでは大きな変化がある。それを分からせること。」
「”Ich komm’, ich komme! Wohin? Ach, wohin?” では、次第に盛り上げていくことも大切。」
最後に、「歌い始めるとき、正確な音で入ること。すくいあげるように音をとると、上ずってしまう。」という指摘。
全体を通して再度歌わせることはなかったが、彼の指摘で彼女の言葉と声の響きのバランスが大きく変わっていくことはよくわかった。

小谷の二曲目は<ズライカI>。
彼の第一声は、「この美しい歌を歌えるあなたにジェラシーを感じる。女性の曲であり、わたしのようなテノールは歌えない。」
(余談になるが、筆者はこういった限定をしなくてもよいのではないかと考える。マティアス・ゲルネのように《女の愛と生涯》を歌っている人もいる。)
全体に関わる指摘は、「ピアノの音を意識しながら歌うこと。とくにピアノのリズムを常につかんでいること。」
そして、彼の残りのルールを示した。

ルール2)
  メロディーをフレーズとして作る。
ルール3)
  ハーモニーを意識する。
ルール4)
  リズムをきちんととらえ、刻むこと。

そして、ピアニストに左手のリズムを意識することを求め、歌手にもそれと合せるようにと指導した。
これらのルール、書き並べてみれば当然のことと感じられるが、実際に歌う場合、息継ぎやピアノとどのように合わせるかは自明なこととはいえないだろう。
名伴奏ピアニスト、ジェラルド・ムーアがフィッシャー=ディースカウについて語った「彼が他の歌手と最も違う点は、リズムのすばらしさだ。」という言葉を引き合いに出したのは、ルール4が歌の表情を生き生きとさせるのにかかせないと考えているからだろう。
「歌手は自らのアイディアを歌声をとおして伝えるのだ、ということを忘れないでください。」というのが、彼の小谷に対するアドバイスであった。

後半の受講生、村元彩夏は、昨年の日本音楽コンクール声楽部門(歌曲)の優勝者。
取り上げられた曲は、<グレートヒェンの祈り>と<ます>。
前半の指摘を聞いていたこともあるだろうが、村元の歌は言葉がはっきりと聞きとれ、リズムも安定しており、ある程度完成したものであった。
最初の<グレートヒェンの祈り>は、ゲーテの《ファウスト》からとられたもので、歌詞の2/3くらいまでで未完成に終わっているが、演奏や録音でとりあげられる機会のある曲。
パドモアは、「マーガレット・プライスのようなゴージャスな声」と褒め、その上で指摘したことは、細かい部分に関するものが多かった。
「異なる響きが出るときは注意する。」
「ハーモニーがどうなっているか意識する。」
「歌詞は追い詰められたグレートヒェンが聖母に祈るもの。切迫感を伝えてほしい。」
「同じ言葉を繰り返すとき、それがどう違うのか考えること。」
「単語の語尾をしっかりと伝えること。」
強調したことは、「音楽、詩のインテリジェンスを伝えること」であった。つまり、作曲家、詩人が何をどのように考え歌曲を作ったのか、その二人の天才により近づき、それを現代の聴衆に伝えることを求めたのである。

二曲目は有名な<ます>。詩の裏の意味(*)についてたずね、それを意識した歌い方を求めた。
こちらでの指摘も、細部に注意すること。
「大切な言葉にアクセントをつける。」
「語尾の子音の扱いに注意する。」
「すべてのフレーズの始まるときに、ブレスをして、新しいアイデアを入れる。」
「フレーズの最後を大切に。」
「第3節で、”er macht das Bächlein tückisch trübe”と同じ音がつながる場所での単語、特に子音の扱いを大切に。」
「繰り返しは違うアイデアを入れること。」
歌の表情を生き生きさせる上で、重要なポイントが多く含まれている。
実際、村元の歌も指摘を受け、歌い直すとはっきりと違いがわかるものとなっていた。

この日のマスタークラスで示された4つのルール、個別の指導を通してそれを「どうやって」実現するのかが提示され、確かな方法論となっていく。
こういったマスタークラス、受講生の状況や個性にあった教え方が必要なのだということ、またなにより、教える歌手の「コピー」ではなく、自分で考え、向上していくきっかけをあたえるものなのだということを痛感させられた。

受講生だけでなく、聞きにきていた他の歌手・ピアニストにとっても貴重な時間となっただろう。

関連評:シューベルト「冬の旅」|藤原聡

(*)最後にあっさりと捕われてしまう「ます」に仮託して、あこがれの女性が急にあらわれた男性に横取りされてしまったことをなげいている。