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ウィーン便り|新生活の始まり|佐野旭司

新生活の始まり

text by佐野旭司(Akitsugu Sano

今年度より東京藝術大学に専門研究員として所属しているが、奨学金の申請が認められ、10月からウィーンに留学することとなった。
それに伴ってこのコラムをスタートすることになり、毎月1回、日々の出来事を中心に書き綴って行く予定である。

img_20160925_152914私がウィーンに着いたのは9月下旬。こちらは暖かく穏やかな気候で、しかも快晴の日が続いており、日本のどんよりとした秋雨の天気から解放されてすっきりとした気分になれた。それから10日ほど経ち、10月に新居に入った。私が住んでいるのはドナウシュタットDonaustadtと呼ばれる、ウィーン22区である。ウィーンは東京と同じ23の行政区からなるが、東京よりも規模は小さい。中でも22区は閑静な住宅街で、ウィーンの中心地に出るには電車で15分程度と、便利なところである。しかもその際にはドナウ川を渡るが、車窓からの眺めはまさに壮観で、さすがはウィーンといったところだ。
入居すると早速待ち受けているのは諸々の事務手続きである。慣れない土地でお役所に入るのはなかなか緊張する。しかも9月までは暖かかったウィーンも10月に入って急に寒くなり、しかも曇りや雨の日が続いたこともあって、新しい生活に入って早々気が重かった。
こちらでは入居して3日以内に住民登録をするように法律で決められているらしい。そこで入居した翌日に向かったのは区役所。この時期、住民登録に来る人が多いのか、とても混んでいて1時間以上待たされた。
そして無事に住民票をもらった後に行わなければならないのが、在留許可の申請である。オーストリアでは6か月以上滞在する場合にはこの在留許可とやらを取得しなければならない。ウィーン在住の友人の話を聞いても、インターネットの書き込みを見ても、この手続きのために何かしらの苦労をしている人が多いことが分かる。
私は住民登録の翌週に手続きに行ったが、どれほど気が重かったことか… 何しろ8ページにわたる申請書にその他諸々の添付書類が必要なのである。これらの大部分は日本であらかじめ用意したが、その時にはビザ申請の苦労の記憶がよみがえった。ビザ申請は8月初めに東京のオーストリア大使館で行ったが、なにしろ初めての経験で、申請書でどういうことを書いていいのか分からない項目が多く、また他の書類でも思わぬところで不備が指摘された。(中でも大学の在籍証明書にレターヘッドがついていないために再提出を求められたあたりは、いかにもお役所というべきなのか。)
そのようなこともあり、在留許可の申請でもこちらが書類を抜かりなく揃えたつもりでも思いもよらぬ不備を指摘されて、何度か(最低2回くらいは)出直すだろうと覚悟をしていた。
しかし申請の際にはまったく想定外のことが起こった。手続きが完了するとEinladungと書かれた証明書がもらえるが、自分は最初に手続きに行ったその日にこれを受け取った。まさかの一発OKである。しかもネットでは、在留許可が下りるまでに長ければ数か月かかるという情報を目にしたが、私の場合手続き完了から2週間で許可証を受け取ることができた。ここまで首尾よくいってしまうと、嬉しいというより拍子抜けしてしまった気持ちにすらなる。あの不安や緊張はいったい何だったのか、と。今月のコラムでは当初この手続きに関する苦労話を中心に書くつもりでいたが、予想に反してあっさり済んでしまったので、執筆の予定が狂ってしまった。
ちなみにこちらのお役所では同じ部署でも人によって言うことや対応が違う、という話をちらほら聞いていたけれど(例えばある人が書類の内容に関してこれでOKと言っても、別の人からこれでは駄目だと言われるなど)、自分の場合、たまたま当たった人が良かったのだろうか。
ともあれ、こうして私のウィーンでの生活は本格的に幕を開けた。

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こちらでは基本的に、平日は大学で授業に出たり図書館で研究を進めたりしているが、日曜や祝日には中心地に観光に出かけている。
ウィーンといえば、言うまでもなくリング通りの内側や周辺を中心に、有名な観光スポットが多くある。こちらに来て1か月半、すでにあちこち見て回っているが、特に印象的だったのが新居に入る直前にシューベルトの生家に行ったときのこと。入口のところに日本人らしき人が立っていて、私が入ろうとすると「日本人の方ですか?よかったら演奏会を聴いて行ってください」と言われ、中に入ってみると、日本のとある県立高校の音楽専攻の学生による演奏会が行われていた。私の知人にもこの高校の出身者がいて、その人の話では、なんでもこの高校では毎年ウィーンに旅行に行き、そこで学生がレッスンを受けたり演奏会を行ったりしているのだとか。高校生でそのような経験ができるとは、なんと恵まれたことか…

img_20161023_201807ところでウィーンの演奏会でも特に外すことができないのが国立歌劇場Staatsoperの演奏会だ。ここでは毎日のようにオペラやバレエが上演されている。しかも立見席なら3ユーロで入れるのである。日本ではウィーン国立歌劇場のオペラが300~400円で観られるなどまずあり得ない。(もちろん、混んでいるときは見づらい、座ると舞台が見えなくなる、などのデメリットはあるけれど。)
立見席では、決められたエリアの中ではどこに立っていても自由で、ここに来る人は、自分の持ち物(ハンカチやスカーフ)などで目印をつけて自分の場所を確保する。
10月の公演で特に印象深かったのは、下旬に行われたバロックオペラの演奏である。なんと、マルク・ミンコフスキの指揮でグルックの《アルミード》とヘンデルの《アルチーナ》が上演されたのである。ウィーンには今まで観光や研究のために何度も旅行に来ており、そのたびに国立歌劇場に足を運んでいるが、古楽演奏による上演を見たのはこの時が初めてだった。声楽のソリストもさることながら、器楽の演奏も他の公演以上に素晴らしかった。さすがはミンコフスキである。

ウィーンにはこれまでにも数回来たことがあるが、ここで生活をするのは今回が初めてである。今までにも来るたびに新たな発見、印象に残る出来事があったが、これから先もどんな新しい経験ができるか楽しみである。今後もこの場をお借りしてそういうことを書き綴っていきたい。

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佐野旭司 (Akitsugu Sano)
東京都出身。青山学院大学文学部卒業、東京藝術大学大学院音楽研究科修士課程および博士後期課程修了。博士(音楽学)。マーラー、シェーンベルクを中心に世紀転換期ウィーンの音楽の研究を行う。
東京藝術大学音楽学部教育研究助手、同非常勤講師を務め、現在東京藝術大学専門研究員およびオーストリア政府奨学生としてウィーンに留学中。