東京都交響楽団 第807回 定期演奏会Bシリーズ|藤原聡
2016年5月18日 サントリーホール
Reviewed by 藤原聡(Satoshi Fujiwara)
Photos by 堀田力丸(Rikimaru Hotta)/写真提供:東京都交響楽団
<演奏>
指揮:クリスチャン・ヤルヴィ
東京都交響楽団
独奏ヴァイオリン:山本友重、双紙正哉
<曲目>
ペルト:フラトレス~弦楽オーケストラとパーカッションのための(1977/91)
同:交響曲第3番(1971)
ライヒ:デュエット~2つの独奏ヴァイオリンと弦楽オーケストラのための(1993)
同:フォー・セクションズ(1987)(日本初演)
都響としても新機軸と言うべきプログラミングだろう。定期演奏会、というオケにとって1番の柱となるべきコンサートがペルトとライヒのみで構成されている。昔ながらのファンや定期会員の方は良くも悪くも面食らったのではなかろうか。
当初集客に難があるのではと思っていたものの、蓋を開けてみれば相当に埋まっている(やはり客層は普段とは若干違う感はある)。都響としても不慣れな楽曲たちであるのは当然だろうが、であるから指揮のクリスチャン・ヤルヴィがどうオケをドライヴするか、という手腕が逆に如実に表れるだろう。様々な意味で楽しみな一夜。
最初はペルトの『フラトレス』。クリスチャンはこの曲をMDR交響楽団と録音しているが、それに比べるとほんの僅かながらテンポが速いように感じる。クラベスの特徴的な「トン、トントン」というリズムが曲頭、9回反復される基本旋律の提示(その度に3度ずつ下がる)の合間、末尾に現れるが―このクラベスとバスドラムのアクセントがなんとも儀式めいた雰囲気を醸し出す―、静かな川の流れを思わせるような弦楽3声部は、表面の静けさとは裏腹に演奏者には精妙さと緊張感の持続、音色の美しさ、まるで細い銀がすーっと流れて行くようなブレのなさが要求されているのではないか。その意味では都響の弦楽器群はさすがと言う他ない。
一聴シンプルな曲のように聴こえるけれども、実際には相当に難しい曲なのでは、と想像するが、とにかく美しい曲であり演奏だった。この後の演奏も期待できる。
同じくペルトの交響曲第3番。ペルト前期の前衛的な作風と、われわれに親しい後期の瞑想的な音楽の過渡期的な作品、と解説にはある。今聴けば前衛的とは思わぬが、後期作風とは明らかに異なる独特の粗野さと中世音楽の語法(中世の合唱音楽で使用される「ランディーニ終止」という独特の和声進行が登場する)とのハイブリッド的な作品と聴く。
正直申し上げればなかなかに掴みどころがない。中では、第2楽章終結部に登場するティンパニの強烈極まりないクレッシェンドを伴うソロと第3楽章のトロンボーン・ソロからコーダにかけてが非常に印象的である。
ここでもクリスチャンは全くソツなくオケをまとめ上げ、その力量の確かさを印象付ける。何より、恐らくは当曲を初めて演奏するであろう都響の演奏に腰の引けた感じが全くないのはこの指揮者の誘導ゆえだろう。
休憩を挟んでライヒの愛らしい小品、『デュエット』。編成は独奏ヴァイオリン2名(山本友重、双紙正哉)、ヴィオラ、チェロ、コントラバス。配置が変則的で、後三者はステージ上手に集結し、独奏ヴァイオリン2名は指揮台正面よりやや奥まった場所で弦楽アンサンブルとは離れて位置する(つまり下手はまるで空いている)。
快活かつ明るい作品で、ライヒの常で一見単純ながら拍子や旋律が繊細に変化する。途中で独奏ヴァイオリンがヘ長調音階に含まれないAsの音を演奏するのが、そこだけいい意味で「浮いて」聴こえるのも楽しい。
こういう曲ではクリスチャンは抜群の適性を見せ、実にノリが良い。独奏ヴァイオリン2名も実に達者、演奏終了後に都響楽員が満面の笑みで2人を讃える。
そして最後のプログラムは日本初演の『フォー・セクションズ』。ティルソン=トーマスがライヒに管弦楽のための協奏曲を書いてみないかと提案したことが作曲の動機だというが、バルトークの『管弦楽のための協奏曲』の存在を前に作曲をためらった、とのこと。しかし、通常のソロとオーケストラが対峙する曲ではなく、同質の楽器がオーケストラ全体の中で重なり合うような作品ならよいと考えて作曲に同意した。
この曲は配置と楽器編成が面白く、指揮者の目前には2台のピアノが指揮台を囲むように斜めに置かれ、その上にはシンセサイザーがある。さらにピアノのすぐ後方に各種打楽器が鎮座(ティンパニだけは上手奥)、管楽器はそのさらに後方に配置。バルトークを敷衍して書けば、その第2楽章の「対の遊び」で次々にスポットが当たる各管楽器のペアによる演奏のように、文字通り4つの各楽章ごとにそれぞれ「フォー・セクションズ」(弦楽器・打楽器・管楽器・全奏)がフォーカスされた、と言えよう。
その楽曲は多様なリズム変化と斬新な音色が次々に出現する不敵なもので、楽しさと同時に革新性すらある。ことに終楽章の全オーケストラによるミニマルな反復が徐々に様々な楽器を加えつつ強大なグルーヴ感を生み出しながら突進していく様は生理的な快感に満ち溢れ、これには誰しも理屈抜きに圧倒されよう。
また、クリスチャンのダンスのような指揮姿が視覚的にも音楽に花を添える(と言うよりも、この指揮姿があってこそのこのグルーヴだろう)。全く楽しい音楽であり演奏だった。
…と、終わってみれば当夜のコンサート、大成功だったのではなかろうか。また近いうちでのクリスチャンの再登場を願っておこう。