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カルミナ弦楽四重奏団 モーツァルト「レクイエム」|谷口昭弘

カルミナQConcert Review

カルミナ弦楽四重奏団 モーツァルト「レクイエム」

2015年12月5日 第一生命ホール
Reviewed by 谷口昭弘(Akihiro Taniguchi)
Photos by 林喜代種(Kiyotane Hayashi)

<演奏>
カルミナ弦楽四重奏団:マティーアス・エンデルレ/スザンヌ・フランク( ヴァイオリン)
ウェンディ・チャンプニー(ヴィオラ) シュテファン・ゲルナー(チェロ)

<曲目>
モーツァルト:バッハの作品による6つのフーガ K404a より第1番ニ短調(弦楽三重奏)
モーツァルト:弦楽四重奏曲ハ長調 K645《不協和音》
(休憩)
モーツァルト(リヒテンタール編):レクイエム ニ短調 K626(弦楽四重奏版)
(アンコール)
シューベルト:弦楽四重奏曲第13番《ロザムンデ》イ短調D804より第3楽章
ベートーヴェン:弦楽四重奏曲第4番 ハ短調 Op. 18-4より第4楽章

スイスで誕生し、今年で結成30年を迎えるカルミナ四重奏団は「ヨーロッパを代表する実力派」などとも言われている。今回の演奏会においても最初の一音から彼らの柔らかな音色に筆者は釘付けになった。

《バッハの作品による6つのフーガ》はモーツァルト自身による前奏の後にバッハの《平均律クラヴィーア曲集第1巻第8番》ホ短調 BWV853をニ短調に移したものが演奏される。とくにフーガ部分では、各声部の旋律線が細やかにニュアンスをつけられており、ポリフォニーの鍵盤音楽作品をアンサンブルで演奏する醍醐味が味わえた。とても内向的な響きでまとまっていたが、つまりそれは各声部が対立・競合するのではなく、独立しながらしながらも暖かい調和の中に豊かに融合したという証左ではないだろうか。

モーツァルトの《不協和音》においても、第1楽章冒頭から、なめらかで美しい不協和音が聞こえてくる。当時の聴き手をさぞかし飛び上がらせたと考えられる音が、とてもロマンチックに聞こえる。洗練されたアンサンブルによって賑やかに奏でられたソナタ・アレグロの後、第2楽章では、予想を裏切らず、瞑想的な深まりをきかせた。しかし、そこはかとない優しさも残されていた。内なるものと外なるものの切り替わる表現の柔軟な第3楽章の後、第4楽章では、めくるめく変転する楽想と破天荒な展開から生まれる高揚感がホールの中に響き渡っていた。

この日のメインとなるモーツァルトの《レクイエム》(弦楽四重奏版)について振り返ってみると、原曲は宗教合唱曲ではありながら、カルミナ四重奏団のメンバーは、前半よりも音楽に内包されるドラマに燃焼していたようだった。彼らはリヒテンタールの編曲に合唱声部を補筆して今回に臨んだというが、第2曲の<怒りの日>では特に、歌詞のアクセントや言葉のリズム、アゴーギクが自然に反映されており、頭の中に原曲が再構築されていく面白さを感じた。つづく第3曲<不思議な響きを伝えるラッパの日>では、バス、テノール、アルト、ソプラノが歌い継いでいく様がアンサンブルでも楽しめた。
もちろん限界を感ずるところもあり、ヴァイオリンの重音を駆使した第4曲<仰ぐもかしこきみいつの大王よ>や第12曲<神の子羊>になると、全体の響きの中に、旋律線が潜りがちだったようだ。
とはいえ、第1曲<永遠の安息を>は、ティンパニーやトランペットがない分柔らかさが増していたし、シュテファン・ゲルナーのチェロの凄みもあって、キリエには希求性が感じられた。またもともとがアンサンブル・ピースである第5曲<思い給え>では音の折り重なりが映え、和やかさを醸し出す。第7曲<涙の日>の最後を飾る心に沁み入るようなアーメンも、ほのかな感動を与えた。

アンコールではベートーヴェンの《弦楽四重奏曲第4番》の第4楽章におけるマティーアス・エンデルレの軽やかで豊かなニュアンスに魅了され、いきいきとしたアンサンブルに心が踊った。正直なところ、こういったアンコールを聴いてしまうと、メインの《レクイエム》のような作品よりもスタンダードな曲の方をもっと聴きたいと思ってしまったが、彼らの洗練されたアンサンブルと、飽くなきチャレンジ精神には感服せざるを得ない。また近い将来、カルミナ弦楽四重奏団の演奏を聴いてみたい。

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