小倉貴久子のモーツァルトのクラヴィーアのある部屋|佐伯ふみ

Concert Review

ogura小倉貴久子のモーツァルトのクラヴィーアのある部屋
第19回 J. B. ヴァンハル
2015年9月7日 東京オペラシティ 近江楽堂
Reviewed by 佐伯ふみ(Fumi Saeki)
Photos by 林喜代種(Kiyotane Hayashi)

<出演>

小倉貴久子(クラヴィーア)
坂本徹(クラリネット)
成田寛(ヴィオラ)

<曲目>

モーツァルト:〈ロンドンのスケッチブック〉より 小品 ト長調 K.15g
ヴァンハル:ヴィオラとクラヴィーアのためのソナタ ヘ長調 Op.5-3
モーツァルト:フィッシャーのメヌエットの主題による12の変奏曲 ハ長調 K.179
ヴァンハル:クラリネットとクラヴィーアのためのソナタ 変ロ長調
ヴァンハル:フォルテピアノもしくはチェンバロのための3つのソナタ Op.30より 第1番 ニ短調
モーツァルト:クラリネットとヴィオラ、クラヴィーアのためのトリオ 変ホ長調 K.497〈ケーゲルシュタット・トリオ〉

モーツァルトを軸に、歴史に埋もれた音楽をよみがえらせる
優れたコンサート・シリーズ

フォルテピアノの小倉貴久子が、モーツァルトと、彼と関わりのあった同時代の作曲家たちの作品を紹介する興味深いコンサート・シリーズ。2012年に始まり、ハイドンやバッハの息子たち、サリエリ、クレメンティといった有名どころから、今回のヴァンハルのように、今日ではほとんど知られていないが当時は非常に人気を博しモーツァルトに影響を与えた音楽家たち(シュチェバーン、ショーベルト、エッカルトなど)を取り上げ、演奏と解説で紹介。今年12月には早くも第20回を迎えるシリーズである。昨年(2014年7月~9月)には、このプログラムをもとにしたラジオ番組(NHKラジオ第2「カルチャーラジオ」)まで放送され、小倉が企画・演奏・解説をつとめて反響を呼んだ。

小倉のソロだけでなく、歌曲や室内楽など、ヴァラエティに富んだ編成もこのシリーズの特長のひとつ。共演者として、古楽の領域で良い仕事をしている演奏家たちが顔をそろえ、使用される楽器も毎回ふさわしいものが選ばれる。

こう書くと、何か教養講座のような印象を与えるかもしれないが、あくまで音楽を愉しむのが目的。聴衆の興味をひき、楽しませる工夫が凝らされており、集まった聴衆が自然体で耳を傾け、生き生きと反応している様子は、一緒にいてとても心地よい。近江楽堂という小さなスペースとはいえ、今回もチケットは完売。企画の創意工夫しだいで、どのような演奏会も可能であることを教えてくれる。

今回取り上げられた作曲家は、ヨハン・バプティスト・ヴァンハル(1739-1813)。ハイドンの7歳下、モーツァルトの17歳上にあたる。ボヘミアで農奴の息子として生まれたが、村の音楽教師の教えで才能が開花し、20歳頃にはプラハの東、ポーランド国境近くの村の聖歌隊長となった。国境の向こう側、ポーランドのヴロスワフの司教君主だったシャルフゴッチュ伯夫人に才能を見出され、楽長ディッタースドルフに師事、1761年頃にウィーンに出てほどなく、音楽家として名をあげるようになった。ただし、早くも20代で精神障害に苦しんだといい、そのためか公職には就かず、図らずも(?)作曲と教師で生計を立てる「自立した芸術家」の先駆けとなった。多作家で、交響曲は100曲以上、協奏曲や室内楽、声楽曲を合わせると1000曲を下らないという。同時代の音楽家たちとの交流が盛んだったようで、モーツァルトとハイドン、ディッタースドルフと一緒に弦楽四重奏曲を演奏した記録が残っているそうだ。

客演はヴィオラの成田寛とクラリネットの坂本徹。ヴァンハルのヴィオラ・ソナタ(1781年出版)とクラリネット・ソナタ(1801年出版)、締めくくりにモーツァルトの『ケーゲルシュタット・トリオ』。そのあいだに小倉のソロで、モーツァルトの小品2曲とヴァンハルの本格的なソナタを1曲。モーツァルトの変奏曲はシリーズ初登場というクラヴィコードで。楽器は、1785年アントン・ヴァルター製をモデルにクリス・マーネが製作したフォルテピアノと、1770年代のCh. G. フーベルト製をモデルに深町研太が製作したクラヴィコード。

ヴァンハルの作品は、何よりも緩徐楽章のカンタービレ(歌)の美しさと繊細な表現が印象的だった。どちらかといえばフォルテピアノが主役で、ヴィオラやクラリネットはオブリガート的な扱いなのだが、クラリネット・ソナタは、ヴィオラよりも20年ほど後の作曲だからだろうか、両楽器が対等に扱われ、随所で親密な対話が交わされる。

当夜の曲目で最も強い印象を残したのは、後半に演奏された小倉のソロ、ヴァンハルのフォルテピアノ・ソナタ(1783年初版?)だった。ニ短調の荘重なアダージョで始まり、活気あふれるアレグロへ。短い第2楽章アダージョをイントロとして、再び疾走するアレグロの第3楽章。小倉が曲間の解説で、精神障害に苦しんだというヴァンハルの逸話を紹介していたが、この曲の切迫した、魂の底からほとばしるような情感は、確かに、と納得させられる。といっても、古典的なバランス感覚や節度は保たれていて、決してロマン派的に枠そのものを破壊するような感情表出ではないのだが、音楽にみずからの心の叫びをのせていくその表現は、疾風怒濤といった時代におさまらない何かを感じさせた。ヴァンハルという生身の人に直接に触れた思いさえしたのは、小倉の迫真の演奏によるところが大きい。

[参考]

この演奏会シリーズの第20回を記念したコンサートは、来る12月12日(土)、会場を第一生命ホールに移して開催される。ピリオド楽器使用オーケストラとの共演で、モーツァルトと、彼の没年に生まれて後年作曲家になった末息子フランツ・クサヴァー・モーツァルトの作品が演奏される。

公演情報: http://www.dai-ichi-seimei-hall.jp/schedule/201512.php

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