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私がものを書き始めたのは|「書く」ということ――音楽と向き合い、表現する|佐野旭司

「書く」ということ――音楽と向き合い、表現する

Text by 佐野旭司(Akitsugu Sano)

本誌に寄稿をするようになって久しい。レギュラー執筆陣に加わって1年半、さらにそれ以前にウィーン滞在中に毎月書いていたコラムの執筆を含めると、ここでの活動ももう5年目になる。

筆者の論文(日本アルバン・ベルク協会機関誌『ベルク年報』第17号)

メルキュール・デザールに寄稿するようになる以前は、私の執筆といえば演奏会などの曲目解説や論文などが中心であった。そのきっかけとなったのが大学院入学である。東京藝術大学の音楽学専攻の修士課程に入学し、さらに同大学のサークルであるバッハカンタータクラブに入部したのをきっかけに、このサークルや、芸大の先輩が指揮者を務めるアマチュア合唱団の演奏会のための曲目解説の執筆依頼をいただくようになった。これが自分の執筆活動の原点といえる。それからさらに藝大フィルハーモニアやN響、東響といったプロのオーケストラ、また『音楽の友』など様々な場で曲目解説の文章を書くようになる。
特にN響では、私が博士課程の頃は小倉多美子さんが編集者であり、定期公演のプログラムノートも若手の研究者に執筆をさせる傾向にあった。そのようなこともあり、私にもチャンスが回ってきたのだろう。また当時は機関誌『フィルハーモニー』もいくぶん学術的な路線だったため、自分の研究成果を紹介する機会が与えられた。そして同じころ『音楽の友』では「クラシック・スタンダード250」と称して、クラシック音楽初心者のために定番ともいえる作品を紹介する特集が組まれたことがある。私もN響で執筆していた縁で、若輩ながらこの音友の執筆陣にも加えていただいたのである。もっともこちらは今読み返してみると、初心者向けのコーナーだというのに一人だけ堅い文体で、完全に浮いてしまって恥ずかしい限りだが。

私の場合、長年にわたって作曲家や作品の研究を行っているため、このような文章は、言ってみれば普段と基本的に同じ頭を使って書くことができる。もちろん作曲家や作品について論じるといっても、曲目解説と論文では視点を大きく変えなければならない。当然ながら前者では、一般の聴衆が興味を持てそうな視点から文章を書く必要がある。しかしそれでも根本的な部分では、作品を分析し、そこから何かしら様式的特徴を見つけ出して説明するという点で共通している。それは言い換えれば、自分自身の視点で作品を観るということにもなるだろう。思えばそれが自分にとって最も興味関心のあることで、それを文章で表現することが、私にとって「ものを書く」ことの主要な位置を占めているのだろう。余談だが、本誌では数か月前からTwitterのほうで、#fiori_musicali_mercureというハッシュタグをつけて様々な楽曲を紹介している。これはコロナ禍がもたらした閉塞的な風潮を、音楽を通して少しでも良くしようという思いから始まった企画である。私も時々こちらに投稿しているが、そういうことを楽しみながらできるのも、上述のような自分の興味関心によるものだろう。

ところで最初に書いたように、私は執筆活動を始めてから10年以上の間、曲目解説と論文以外の文章を書く機会が少なかった。あるとすれば修士時代に一度、芸大楽理科の同窓会報『楽楽理会(ららりかい)通信』に、楽理科の合宿にまつわるエッセイを寄稿したくらいだろうか。そんな自分に転機が訪れたのは4年前、ウィーン滞在を始めた時である。ちょうどその頃、本誌では海外通信のようなものを毎月寄稿してくれる人を探していたらしい。そして私がウィーンに行くのとタイミングが合ったこともあり、父を通してその話を受け、2016年11月から「ウィーン便り」の連載を始めることになった。
ウィーンには非常に多くの日本人が住んでおり、私よりも長く滞在している人ばかりだ。となれば当然現地の様子についても、自分よりも遥かに詳しい人が大勢いることは容易に想像がつく。そういう人たちも自分の文章を読んでいることを考えると、内容的に「オーソドックス」なものを書くには逆に勇気が必要だった。その結果、(毎回ではないが)多くの人が知らなそうな物事を話題にするという路線を選んだのである。その内容は多岐にわたるが、例えばウィーン国立音大でのとあるプロジェクトの話や、ウィーンの中に見られる日本の文化などについて書いたりもした。また演奏会の報告も、国立歌劇場や楽友協会といった代表的なものよりもむしろ、あまり知られていない教会やサロンなどでのコンサートについて書くこともしばしばあった。

そしてこのコラムを書いていたのがきっかけで、帰国後は本誌で演奏会の批評にも携わることになる。批評にも挑戦してみようと思ったのは、論文や曲目解説だけでなく、書くという活動の幅を広げたいと思ったからである。批評を書く際にも、ウィーンのコラムと同じように独自の視点から論じることを目指し、今でもその道を模索している。

論文でも批評でも曲目解説でも、私にとって執筆とは音楽について文章で表現することである。さらにいえば、それは自らの観点で音楽(作品そのものであれ演奏であれ)と向き合い、それを文章化することでもあろう。もちろん一口で音楽を表現するといっても文章だけでなく、演奏や作曲、そして口頭での表現(研究発表やレクチャー)などいろいろあり、そのうち作曲以外はすべて経験している。そしてその中でも私に最も向いているのが文章を書くことだろう。「ものを書く」とは、音楽に携わる自分にとって最も重要な自己表現といえる。

(2020/10/15)