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メナヘム・プレスラー ピアノ・リサイタル|丘山万里子

メナヘム・プレスラー ピアノ・リサイタル

2017年10月21日 サントリーホール
Reviewed by 丘山万里子(Mariko Okayama)
Photos by 林喜代種(Kiyotane Hayashi)

<曲目>
ヘンデル:シャコンヌ ト長調 HWV435
モーツァルト:幻想曲 ハ短調 K.475、ピアノ・ソナタ第14番 ハ短調 K.457
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ドビュッシー:
 「前奏曲集」第1集から
   デルフィの舞姫たち、帆、亜麻色の髪の乙女、沈める寺、ミンストレル
 「レントより遅く」
 「夢」
ショパン:マズルカ第25番 ロ短調 作品33-4、第38番 嬰ヘ短調 作品59−3、第45番 イ短調 作品67-4
 バラード第3番 変イ長調 作品47
(アンコール)
ショパン:ノクターン第20番 嬰ハ短調 遺作
ドビュッシー:月の光

 

アンコール2曲、ショパン『ノクターン第20番 嬰ハ短調 遺作』とドビュッシー『月の光』。
最後の挨拶で、小さな投げキス。
満場総立ちで93歳のその背を見送る。

どこをどう弾いた、こう弾いた、だからこうなって云々、とかいう次元の話でない。
響きに身をゆだね、ただ連れて行ってもらうのだ、永遠の音楽が湧き出る、そこへ。

ステッキを持ち、付き添いとともにステージに現れ、閉じられたピアノの蓋に手を置き、支えられながら椅子に座る。
両手で蓋を開ける。キーの上に指を広げる。
ヘンデルの『シャコンヌ』が流れ出す。
音は甘露。みずみずしく、ぼうっとした輝きを放ち、互いが滲んで(虹・んで、と言いたい)、まろく柔らかにつながってゆく21の変奏。ふっと陽が陰るのはもちろん、mollのところ。

モーツァルト『幻想曲』の出だし、魔界だ。
『ドン・ジョヴァンニ』の地獄落ちみたいに、得体の知れないものがぱっくり口を開けて、仄暗くあやしい美に吸い込まれ、眩暈がする。
モーツァルトのドラマトゥルギーというのは、即興的で何気なく自然だから、ちょっとやそっとではそれに触れられないのだが、プレスラーはなんてことなく、ほらね、と、その手の内を見せてくれる(というと作為的だが、そういうのでない、彼もまた全き自然のなかにある)。さらさらとためらいなくすべって行きながら、浮沈を繰り返し、ふと深淵を覗かせて。至芸だ。
同じハ短調だがソナタの方は、草原のとりどりの花々の間を逍遥するように弾く。音に翼が生えて飛び回る、あるいは愛でる、吐息をそっと吹きかける、疾駆する。左の低音のがっちりした打鍵の支えとか光の破片を振りまくような高音とか、その様々を彼は一切の身構えなく平らかな姿勢で繰り出すから、魔法にかかった気分になる(常日頃、なんと“あざとい”演奏に毒されているかを知る)。
これこそがモーツァルトだ、ピアノを弾くということだ、と心底思う。
私はここで、先般のP・ゼルキンのモーツァルト(すみだトリフォニー)を想起したが(私はそれを深く受け止めた)、その話はまたいつか。

後半、ドビュッシーは、スーラの点描画のようで夢心地。近寄れば一つ一つが克明に色分けされているのに、少し離れれば部分の色彩がぼうっと浮かび上がり、さらに下がれば全体は柔らかな階調のグラデーションのうちにフォルムを示す。ペダリングの妙とタッチの変幻自在が生み出す響きの極致。ドビュッシーのアルペジオとはこう弾くんだ、のお手本だ。
<亜麻色の髪の乙女>の最後の一音、花びらをひとひら指の間からこぼすみたいに弾いた。
<沈める寺>での低音、キイをぐいっと捉えそのまま腕を振り落とす仕草のフォルテ(せいぜい動いてこれくらい)の深々とした響きに震える(力強さとは、リズム、音色の問題であって、音量の問題ではない、とはコルトーの言、まさに)。
『レントより遅く』の洗練洒脱は言うまでもなく、『夢』はうつつの“あわい”に遊ぶ。

ショパンはマズルカ3曲とバラードだが、誇張も思い入れもなく、モーツァルトと同じように自然そのもの。
ショパンにある“音楽的自然”(彼は“自然”には表面的な関心しかないとドラクロアに言った、おそらくモーツァルトもそうだ)もまた、モーツァルトのそれに触れる困難と同様のものがある、と改めて思う。

と、書いてはみたが、言葉は虚しい。
実際のところは、最初に述べたように、ただただ身を任せ、「永遠の音楽」(と呼ぶほかない)が湧き出る泉にひたっていた、というのが正しい。

私は最晩年のホルショフスキ(95歳)とホロヴィッツ(83歳)の来日公演にかろうじて間に合ったが、いずれもほろほろと衒いなく音の霊水を汲みだし、私たちに振りかけ、飲ませてくれた。プレスラーもまた。
彼らがみなユダヤ系でアメリカに渡ったピアニスト(ゼルキンの父もそう、ピーターはホルショフスキに学んだ)であることを思いつつ、時は移り、例えばああいうモーツァルトを弾いたゼルキンはあと10年(80歳)したらどんな音楽を奏でているだろう、とふと考えた。

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