カデンツァ|音楽の未来って(2)〜音響グローバリゼーションの先に〜|丘山万里子
音楽の未来って (2)〜音響グローバリゼーションの先に〜
“Where does Music come from? What is Music? Where is Music going?”
“ D’où venons-nous ? Que sommes-nous ? Où allons-nous ?”
(2)Beyond sound globalization
Text by 丘山万里子(Mariko Okayama)
『音楽の未来って』というテーマで少しずつ書いてみようと年明けに思い、漠然と頭に浮かんでいた幾つかがあったのだが、このような事態になるとは予想だにしなかった。
本誌4/15号はコロナ関連に埋まったが、私は「音楽家の難聴問題」を書いた。4月初めに仙台の病院に新設されたミュージシャン外来のことは、さっさと報告したかったからだ。同時に、ヒト・カネ・モノの流通が滞った今、難聴の背景にある音響グローバリゼーションについて触れておきたいと思っていたので、以下に記す。
耳環境の変化は、言われて久しい。録音技術の進歩と高性能音盤頒布による生演奏との比較の中で新たな感受が生み出され、今や若い子らはスコアを見る前にyoutubeでリサーチ、そこから音を、演奏を組成してゆく。これらデジタル・ネイティブ世代を指導する教師たちは「音のデジタル化」を嘆くが、彼らとて自分の若かりし頃全盛の音楽で育った耳、当時を範とせよといっても昔語りだ。現役重鎮から音大主要ポストに至る指導層を、大戦後の西欧〜米国〜西欧の流れの中に見るなら、彼らもまたその波に乗っての時々の栄光であり、人は誰しも時代の制約下にある(私も無論)。今日、溢れかえる音情報がどんどん子らの耳を上書きしてゆくのを止めることはできない。そのスピードは凄まじく、まさにそういう「響」や造形をステージで私は度々聴く。作曲領域はさらに速く、それはすでに本誌五線紙のパンセで 川島素晴氏が指摘している。
私は本誌創刊まで10年ほどクラシック界からやや離れ、JazzTokyoというウェブメディアにおり、あれこれ音のつまみ食いしつつ世界各地をふらふら旅していたので、あれ?クラシックってこんな音だったっけ、という驚きが無きにしもあらず、逆に、なんだ、どこもおんなじか、とも感じるわけだ。
私は音楽を音盤で聴くのが苦手だ。これは個体生理であり、如何ともしがたい。ゆえ、批評の道を歩みつつも音盤評はほとんど書けなかった。
とある日、JazzTokyoの編集長(レコードプロデューサー)に、実演に行ける人は限られてるだろう、行けない人にとってCDやLDは恩恵なんだ、音盤評を書かないなんてどこのお姫か、とサラリ言われた。これは効いた。
だけど今どきの録音て聴衆の好みに合わせ切った貼ったの編集でっち上げ、それを「生の迫力」なんて惹句で売って虚像の大量消費、いや、その音聴いた人が実演にきたら幻滅、虚像が実像を歪ませてゆく悪循環を生み出してるでしょ、批評家なんぞ前宣用のコマでしかないじゃないか、と反発もしたわけだ。
このサイトには及川公生という音響の御大が居た。で、私は氏に頼み、収録スタジオや学校について行き、音の採取・録音その他を学ばせてもらった。秋吉敏子&ルー・タバキン、高橋アキ&森山威男、洗足学園ビッグバンド(リハ)などなど現場に立ち会い、音響技術の歴史・美学をも語り聞かせていただいたのは実に貴重な体験だったが、テクノロジーの発展と耳環境の変化を改めて考える契機ともなった。
以下、その見聞録より音響肥大に関し幾つか。
まず、PAとSRについて。日本でいうPAは正しくはSR (Sound Reinforcement)で、サウンド補助の意味。これがPA (Public Address)拡声という言葉に変わったそうだ。「補助」と「拡声」は雲泥の差。SRがクラシックのコンサートで最初に使われたのは、ロンドンのロイヤル・アルバートホールだそうで、オケの音が客席後方まで届かないのをなんとかしよう、から始まり成功したとか(1968年頃)。気付かれないように音響をサポートするのがSR本来の考え方だそうだが、それがPAとすり替わったところに今日の肥大の元があるのではないか。
音響の不均衡を整え、誰がどこで聴いても等しく聴こえる共通の「音場」、あるいは「音空間」の創出を目的とするPA(以下、日本流に揃える)の発想は、そのまま客の収容力と興行収入「一度に、いかに儲けるか」に結びついた。
この種の音響の発祥はラスベガスだという。ラスベガスは1840年代のゴールドラッシュから生まれた砂漠のパラダイス。40年代後半からカジノの大享楽スポットへと変貌、「眠らない街」にホテルが林立した。そのホテルでのショー用に客から見えないPA席で音をパワーアップ、ステージにはF・シナトラら大物が揃い一攫千金の響を聴かせた。
もう一つは、ハリウッドボウル。7000人収容の野外コンサートホールで積極的にPAを使った。66年頃という。ここは1922年ロサンゼルス交響楽団が星空の野外コンサートを開いたのが始まりで、42年にはラフマニノフが自作『ピアノ協奏曲第2番』をこのオケと共演、「小切手の他に、腰痛をもらった。今はやっと立ち上がって歩いているけれど・・・」と嘆いている。69歳、死の前年のことだ。
64年にはビートルズが18000人を集め、ファンの絶叫でむろん自分たちの歌声など聴こえず、65年に自ら『Help!』と叫んだ彼らは66年にはツァーを中止。「時には口ぱくだけで済ませる状況に耐えられなくなった」と。
ベトナム反戦の気運が高まった67年にはドアーズがロック史に残る伝説的なライブで若者たちをノックアウトしたが、ヴォーカルのJ・モリスンはその4年後27歳で早世した。
こうした米国発の音響が日本に入ってきたのは1970年大阪万博で、外人タレントが音響、照明、美術など引き連れパッケージで乗り込んだ。これだ!とヤマハが飛びつきすぐさま装置を開発、ハリウッドボウルのミニチュア版ポップス・コンサートを開催・・・。
さらにPA時代を大きく担ったのは、ハリウッド・トーキー。スクリーンとサウンド・エフェクトの相乗で臨場感を演出、観客の興奮を煽る。ハリウッドもまた、音響肥大現象の発源地となった。ニューヨークとロサンゼルスの時差を解決するためのビデオ・レコーダー開発も含め、これら米国発音響技術にあるのは時空間の操作、均一化で、興行路線と結びつき音楽を瞬く間に商品化したのである。
いや、クラシックは違うでしょう、か?
万博とは国家・企業一大宣伝プロジェクトであるから、大阪万博でのクラシックもまた大花火を打ち上げている。まずは海外豪華アーティスト招聘で、カラヤン&ベルリン・フィルをはじめ、パリ管、クリーブランド管、モントリオール響、 NYフィル、レニングラードフィル、ベルリン・ドイツ・オペラ、ボリショイ・オペラ、リヒテルなどなどが顔を揃えた。オペラを含め、海外大物パッケージ・ツァー流通路が世界各地に張り巡らされ、より豊かなマーケットを渡り歩く商法が半世紀を経てなお後進(とみなす)東アジア諸国をターゲットに動くのに私は心底辟易する。
一方、日本企業最先端テクノロジーとの提携によるパビリオンでは当時の現代音楽の中堅新進作曲家(黛敏郎、武満徹、三善晃、松村禎三、湯浅譲二、一柳慧、高橋悠治ら)がうち揃い、「現代音楽黄金期」最後の饗宴を繰り広げた。もっともこちらはコンピューター電子音響生成で、米国の音響拡大とは異なる。音楽堂として造られた鉄鋼館は武満の構想で「固定された客席という観念をコンサートホールの構造からなくそう」と、音源と演奏の場を可動化、「聴衆をつつむ多くの音の層は多面な運動体としてあり、聴衆はその音のスペクトラムと時間帯を通過する旅行者になる」(『樹の鏡、草原の鏡』新潮社)。「音場」創出の発想の両者の相違は留意に値しよう。ちなみに武満は万博などという国家体制の行事に妄りに協力すべきでないと考えていたが、終了後も公共施設として存続、さらに音楽の享受の新たな形であるとの信念から受けたものの、放置されたままとなったことから、構想は頭の中だけにしまっておくべきだったと後悔を述べている。私は彼を山田耕筰に次ぐ国際戦略を持った波乗り作曲家と考えるが、ただのサーファーでは無論なかった。
とにかく、演奏部門でのパワフル海外旅団の縄張り拡大拡張路線(もっと大きくもっと広く)はPA的発想と変わらないし、創作部門での先端テクとの提携は昨今の映像つきイベントやオペラそのまんま。
クラシックとて、同じ線上を相も変わらずひた走っているのだ。
AMS(Arts meet Science)だのスーパーグローバル大学だの国がうたい、教育現場を動かしてもいるし。
本を読まずにゲームで遊ぶ子らが、楽譜を読まずにyoutubeで音楽するのは自然な成り行きだ。耳にする音響が変われば、彼らの演奏や作品が変わって当たり前。WHOがこのままだと30年後には世界の10人に1人は聴覚障害となると警告しても、スマホに無線イヤホンの現状の改変は容易くできまい。いや、幼少期からクラシックを学ぶ子らはそんな環境にない、なんて虚妄だ。
その先に私は音楽クローン奏するAI作品、あるいはロボット奏する名曲アルバム、あたりを見てもいたのだが(カデンツァ)、するうち気づいたことがある。
2005年すみだトリフォニーでM・シュタットフェルトの『ゴルトベルク変奏曲』を聴き、その弱奏世界に強い印象を受けたのだが、その前後から一部若者にppppp志向が見られ、今日なお一つの傾向となっているらしいこと。個性というより「好み(嗜好)」だろう。「好み」は実はとても手ごわい。個体人生の通奏低音と言ってよいと私は思う。
これは内外の若手にそれぞれ居る。ここでは山根一仁vlのみ挙げておく(カデンツア)。彼らの演奏はどんどん変わるだろうが、おそらく好み(何を心地よく思い大事にするか)はそうそう変わるまい。
「個体の好み」(自分の好きな音)があちこちで鳴ってゆく、それが響き合う「ほどほどの場」にかよう風、人の道。グローバリズムの流通路に乗って世界へ進出なんてもはやナンセンスだ。
など思ううち、コロナが来た。
あっという間の分断、疎外、排斥が世界を覆う。「人と会うな、命を守れ」。生命単体たる人間の生への欲望、種としての奢りがむき出しになる。
あっという間の見えない線(オンライン)でどんどん世界が繋がれてゆく(もう一つの拡大拡張、ここに「拡充」を入れるか?)。
そんなのとうにわかっていたことで、一気にそれがきただけだ。
要はその先。
耳に戻る。以下、養老孟司&久石譲『耳で考える』(角川one テーマ21)より。
耳は時間、眼は空間認識である。耳から情報と眼から情報は処理に時差がある(耳の方が速い)。元来2つは別物だから、耳が眼を理解するには「空間」概念が、眼が耳を理解するには「時間」概念が必要。進化した脳により意識をもった人間はこの二つの異質な感覚を連合させ、世界を「同じ」にする必要があったから(でないと人格分裂する)、言葉(見ても聞いても同じ)を持つことにした(脳の連合野)。「時空」が言葉の基本になったのはそれが理由。
耳はもともと身体の運動をつかさどる平衡器官(三半規管)で、ものを聴く以上に運動器官の要素が強く(ちなみに眼は瞬間を切りとる「停止」、耳は流す「運動」)、しかも退化できないから古い感覚を強く残し、さらに脳に近い。ゆえ、聴覚は人間のいにしえ感覚に直接届く。音楽が情動に強く訴えるのはそのせい。(情動については耳学者サイドによるともう少し別の説明になるがここでは措く)
その感覚の磨耗、麻痺が現代で、養老はこれを視覚偏重・脳化社会という。例えば、若い子の長電話が携帯へ、声から文字へ、メールからSNSへ。生きている人間との距離を感覚的に「遠く」しているのが今日だ。
だが、生きるに基本的に必要なのは眼より耳。失った意識の回復は、まず声が聴こえ、次に眼が開く。死ぬ時も最後まで残るのは聴こえ。(そういえば生後すぐの赤ちゃんはほぼ眼が見えていない。色の認識はまず赤で、左右の眼を連動させモノを認識するのは生後3ヶ月ぐらい)
さらに彼は、個性は「身体」にある、とも言う。
音響のグローバリゼーション、耳の破壊で失われつつあるものは何か。
すべてのイズムは時代の衣装で、生物としての人間の根源的な欲望の都度の形でしかない。テクノロジーの恩恵にはありがたく浴するが、その利便性と営利追求とを同体に突っ走れば、いずれ人類は自壊するだろう。頭蓋骨以上大きくなれない私たちの脳が、身体の拡張幻想としての人工知能を持った以上、その日は近い。
偏り行き過ぎた欲望の追求が何を生むかは、歴史が物語る。38億年前の生物の出現、250万年前アフリカでのヒト属の進化からの歩みをつらつら振り返るなら、西暦、元号などの尺度が笑える。
「今は独りおれ。そしてよく聴け。」
私にとって、コロナのメッセージはそれだ。
ひとりひとりが自分の依って立つ場、すなわち身体をよくよく覗き込む。
ひととひととの間に流れる響きを聴く。
その流れに沿って、独りから独りへ、それぞれが自分の足で歩いて行く。
道はそうして創られ、行き交う。
「好み」はひとり・個体・いにしえの感覚。
それは人類が、万物の霊長でもなんでもない、ただ自然の一つであるに過ぎないはるかなはるかなひろがりに抱かれまどろんでいたあの頃の記憶へと結ばれる、かもしれない。
胎内からまろび出た赤子のように。
私たちの音楽をこの先に見ようとするなら、まずはその響き、声に耳をすませることからではないか、と思うこの頃。
(2020/5/15)