カデンツァ|批評の倫理|丘山万里子
批評の倫理
text by 丘山万里子(Mariko Okayama)
批評の倫理、と言っても小難しいことでなく、ごく卑近な話。
本誌も今月号で創刊3周年を迎えたが、毎年10月号では初心に戻るべく、批評について日々考えていることを書こうと思っている。
批評の書き始めの頃、先輩諸氏と年に1回話す機会があった。今は活動休止中の「東京音楽ペンクラブ」(最後の会長は遠山一行氏)の会合で、食事しながら。入りたての頃は宮沢縱一氏ら御大がおり、戦前・戦時の話など伺うことができたし、日本の音楽批評の草分け大田黒元雄邸を見学、お茶飲み話をしたり、海外歌劇場のゲネプロ参観とか日米批評家シンポジウムとか、各種イベントもあった。
自分の批評観がそうした中で育成されたか、と言えば、海外を含め諸氏もそれぞれだからなんとも言えない。けれど、そういう空気を吸えたのは有難かったと思っている。
先日、音楽写真家の林喜代種氏との話で、昔の批評家はプログラム解説を書いた公演の評は引き受けなかった、そういう不文律があったよね、という言葉が出た。
私は別に誰に言われるともなく自分もそうしたし、今もそうだから、そうですね、と相槌を打った。
気をつけて周囲を見てきたわけではないので、確かなことはわからない。
諸先輩の啓蒙期を経て音楽学者が専門知識を踏まえた解説を書くようになり、一方で音楽記事やインタビューなど多様なニーズをこなす音楽ライターや音楽ジャーナリストが大活躍の昨今、そんな不文律など、昔話だろう。
ただ私はやはり、公演について何がし書いた場合は批評はしない、できない。
コンサートはトータルなもので、ステージ上の音楽家たち、聴きに来る聴衆のことを全く考えずに何かを書くことは私の場合無理。そこに自分の想いも混じるであろうし、それは筆に出る。
気分としてはこの公演に執筆で私も「参加」しており、参加者がまともな批評は書けないという自覚がある。
結果、プログラムやライナーノーツにはほとんど執筆せずに来た。
依頼が重なれば先方との関わりも密になり、そのうち批評の方もある種の忖度、こんな感じでまとめておこう、みたいになるんじゃないか。
したがって公演サイドとは挨拶こそすれ、それ以上にも以下にもなることなく、本誌創刊までずっとそれで生きてきた(作曲家論も本人取材は対話本『波のあわいに』以外は無し)。
自分の批評の「自由」は常に確保したい。
はっきり言えば業界や音楽家との「しがらみ」とは一線を引きたい、である。
辛辣な評で評者が降ろされた話を今も聞くし、自分もそれで悩んだ時があった。
思い余って、たまたま隣席だった林光氏(朝日新聞評者)に「批判て、書いちゃダメなんでしょうか」と聞いたら、氏は「分かる人には分かるように、わからない人にはわからないように書け」と言った。若く単純な私は、そういう芸当は自分は無理だな、と評者を辞めた(批判とは刺激的な物言いのことではなく、評価そのもののことだ)。
その会話は、忘れない。それが自分の批評家としての立ち方の分岐点であったから(氏は作曲家だから、私とは違う立ち方であったろうが)。
書く場を失うのは批評家の死活問題。
批判評を営業妨害として招待を切られることもあるし(私ではないが、歴然とある)、そういうことを言われることもあった。
みんなで一緒に音楽界を盛り立てて行きましょう、余計な批判はしないでいただきたい、興隆(集客)への努力に水を差すな、それが音楽への「愛」でしょう、とか。
私が今までなんとなく生き延びてこられたのは、執筆が生業でなかったこと、支えてくれたたくさんの方々がいたからで、これは僥倖である、と認識している。
ところで本誌創刊、編集長となったら、上述の一線ラインはグズグズになった。
まず月々のレビューのための手配で公演サイドの方々と毎度こまめなやりとりをせねばならない。『Back Stage』、『五線紙のパンセ』への寄稿依頼もせっせとするわけだ。
ちなみに公演サイドの方々の声を誌面に、というのは2008年2日間の『三善晃作品展』の立ち上げから走り回った唯一無二の経験によって。この時、舞台裏方の一端を知り、その困難と大変さを実感、その熱意と情熱をダイレクトに伝えられたら、と思った。
また、『音楽芸術』廃刊以来、発信の場が激減した現代音楽、とりわけ中堅、若手作曲家の方々の仕事をどういう形でか残さねば、とも。
私は日本の作曲家論がメインテーマだが(秋山邦晴『日本の作曲家たち』を継ごうと)、公演準備に若い作曲世代と言葉を交わす中、彼らにちゃんと向き合うことなく過ごしてきたのを反省、設けたのが『パンセ』だ。
というわけで、原稿依頼を受けてきた自分が、原稿依頼する立場に。
一方で、批評も書くから、こんなにお世話になっているのに、悪い事書けないな、とやっぱり悩んだりもする。「関係」とはそういうもので、これが「しがらみ」。
と、批評家と編集長の自分に切り裂かれ、悶々とする時期もあったが(さほどに世間知らず)、腹を決め。これはこれ、それはそれ。わかってください。
わかってもらえなかったら、それは自分の批評の力が足りなかっただけのこと。
この3年で、本誌がWEBサイトである、ということから新たなシーンが見えてきた。
WEBだと、制作サイドの動きが早い。評が出る。読む。歓迎評(高評価)だとすぐさまSNSで拡散してくれる。すると、その評の閲覧数が一気に跳ね上がる。
これが執筆者の意識に何をもたらすか。
たくさん読まれたいから(筆者は誰しも、多くの人に読まれたい。音楽家やその周囲がたくさんの人に聞いて欲しい気持ちと変わらない)、制作サイドにおいしい評を書いて、どんどん拡散してもらおうか。
「いいね!」の数と、この心理は同じ。
閲覧数は公演の集客数にほぼ比例するだろうから、そういう公演を選ぼうか(本誌は筆者の希望公演レビューを原則とする)。
世間の関心度も反映するから、話題の公演にしようか。
などなど、数の力、誘惑はあっという間に心を浸食する、だろうか?
いやいや、文は心を表すのです。そんな心が動くとそれは文に出るのです。いずれみんなにわかるのです。
自分の聴きたいものを、書きたいように書く(あくまで評価)という欲望の最優先、「自由」の確保の方が「いいね!」の数より魅力大。
多分そこらが、ラインなんじゃないか。
本誌メッセージでは「深く受け止め、深く考え、深く論じ、人間の“良識”を探る場」と言っているし(/message/)。
WEB版はJAZZTOKYOというマガジンで11年経験したものの好きに書く三昧の日々、ネット世界の動向に興味はなかった。
が、本誌創刊以降は多少は目配り、いわゆる音楽愛好人気ブロガーたちの発信力を知ることとなる。ゲームで育ち、ネットツールを自在に使いこなす若い世代。
そこで何が起きるか。
どの世界でもやっていることだが、業界筋が動く。「取り上げてください、書いてください。」
「好きな音楽についてあれこれ書く」喜びの拡散なのだから目くじら立てる必要はない。
フォロワーの数値を誇るブロガーがこうして消費回路に取り込まれてゆく。
彼らが音楽市場の回転を加速させ、動かしてゆくだろう。
その瞬発力、影響力は旧態依然の紙メディア、月1回更新の本誌の比ではなかろう。
コマーシャルには乗らない人々も、お気に入りブロガーの言葉にはなびく。
そこを使わぬ手はないから、「広告」という目に見える形にならずに広告できる。
彼らが誰にも操作されず、社会の名誉、地位に関心を持たず、自分の趣味嗜好・執筆欲望にのみ従って発信を続け、膨大な数のフォロワーによってその好み(一つの傾向もしくは評価)が価値を生み出し、それで食べて行けたら、こんなにいいことはない。
職業音楽ブロガーの誕生。
ネットのポピュラリティと紙のオーソリティ。そういう、住み分け時代になる?
8月から公式 SNSでの速報を開始した。
私はSNSは全くやらないが、とりあえずWEB担当氏に手取り足取り教えてもらい、やっとこの枠に投稿できるようになった。が、これも相当危ない感じだ。
とにかく気が急く。140字にピシッとまとめるのは至難(俳句文化と考えて、などとメンバーには言ったが)。リツィートだののマークの数字が気になる・・・。
さて、批評の倫理。
倫とは「なかま・人間」の意。理とは「ことわり・すじみち」。したがって、倫理は「人間の道」。
変容する世界に応じ、新たな倫理が生まれて当然。
ただ、この3年の「実感」を言うなら。
音楽を愛するたくさんの人々は、いろいろな場所で、いろいろな思案を巡らせ、いろいろな方法でその「愛」を伝えようとしている、それは確か、ということ。
業界とか、しがらみなどという言葉で一括りにしてはならない、それぞれの場のそれぞれの仕事にある誠意(倫理)と、丁寧に繋がって行かねば。
ああ、こんなに長くこの世界にいたのに、やっと今、そんなことに「本当に」気づいた。
みなさま、ありがとうございます。これからもよろしくお願い致します。
そうして僥倖そのものである本誌が、変容する世界と共に、新たなすじみちを探る若い世代に継がれることをただ願う。
(2018年10月1日 記)
追記)本稿脱稿後、私は「良識」について深く考え込まされ、SNS世界の難しさを知ることになったが、それはまた改めて。
(2018/10/15)