オーケストラ・リベラ・クラシカ 第48回定期演奏会~オリジナル楽器と小編成の合唱で奏でる第九~|大河内文恵
オーケストラ・リベラ・クラシカ 第48回定期演奏会~オリジナル楽器と小編成の合唱で奏でる第九~
Orchestra Libera Classica the 48th subscription concert
2024年10月6日 めぐろパーシモンホール 大ホール
2024/10/6 Meguro Persimmon Hall
Reviewed by 大河内文恵 (Fumie Okouchi)
Photos by K.Miura
<出演> →foreign language
指揮 鈴木秀美
独唱 ソプラノ/中江早希 アルト/布施奈緒子
テノール/櫻田亮 バス/氷見健一郎
オーケストラ・リベラ・クラシカ(OLC):
ヴァイオリン 若松夏美 高田あずみ 堀内麻貴 堀内由紀 高橋奈緒 原田陽
寺内詩織 遠藤結衣子 荒木優子 Guya Martinini 高田はるみ
山内彩香 池田梨枝子 蓑田真理 宮崎桃子
ヴィオラ 成田寛 森田芳子 秋葉美佳 丸山韶 三好紅 齋藤麻衣
チェロ Rainer Zipperling 山本徹 島根朋史 野津真亮 山根風仁
コントラバス 今野京 長谷川順子 平塚拓未
ピッコロ 岩井春菜
フルート 菅きよみ 前田りり子
オーボエ Eduard Wesly Jasu Moisio
クラリネット 満江菜穂子 山根孝司
ファゴット 向後崇雄 田吉佑久子
コントラファゴット 鈴木禎
トランペット 神代修 霧生貴之 下村伊都
ホルン Ermes Pecchinini 藤田麻理恵 日高剛 Dimer Maccaferri
トロンボーン 宮下宣子 直井紀和 石原左近
ティンパニ 菅原淳
パーカッション 山元風吾 高瀬真吾 齋藤里菜
コーロ・リベロ・クラシコ(CLC):
ソプラノ 鈴木美登里、清水梢、高橋結里、中村茉莉子、望月万里亜、森川郁子、森有美子
アルト 上杉清仁、岡田朋美、古賀裕子、高橋ちはる、中村裕美、野間愛、梁取里
テノール 谷口洋介、梅田純吾、小田知希、久保田敏生、中村康紀、星野文緑、町村彰
バス 渡辺祐介、河村洋平、小池優介、清水健太郎、服部聖人、浜田広志、山本悠尋
<曲目>
ルードヴィヒ・ファン・ベートーヴェン: ミサ・ソレムニス 作品123より「キリエ」
~~休憩~~
交響曲第9番 ニ短調 作品125
いつの頃からか避けていた第九が、まるで違って聴こえた。こういう第九だったらまた聴きたい、そう思えた。
オーケストラ・リベラ・クラシカは古典派をレパートリーの中心とする、少し珍しいオーケストラである。開演前の鈴木のトークで「第九まで[ようやく]やってきた」という言葉があったが、このオーケストラでは、ハイドンの初期・中期の作品を、当時の楽器と編成で演奏してきた。最近でこそ、普通のオーケストラでもプログラムに載せられることがあるが、それでもやはり前座としての扱いであることが多い。
ハイドンをやり、モーツァルトをやり、ベートーヴェンの交響曲を順に取り上げてようやく「第九にたどり着いた」ということなのだ。このトークの時点では、団体を率いる立場としての感慨かと聞いていたのだが、そういう意味ではないことが、その後演奏を聞いてわかることになる。
コンサート前半は、第九とほぼ同時期に作曲された《ミサ・ソレムニス》よりキリエのみが演奏された。《ミサ・ソレムニス》はウィーンではベートーヴェンの生前に全曲演奏はされておらず、第九初演時にキリエ、グローリア、アニュス・デイのみ、第九再演の際にはキリエのみが演奏されたことに今日のプログラムは因んでいる(鈴木によるプログラムノートより)。《ミサ・ソレムニス》は第九同様、通常はフル・オーケストラと大規模な合唱で演奏されることが多く、それゆえに迫力だけが感じられて、音楽として聞こえてこないものだとこれまで思っていた。
当時と同じ規模のオーケストラと1パート7人の合唱で聴くと、圧倒的な迫力の代わりに音楽が見えてくる。けれど、それはわかりやすい旋律ではない。特に歌唱パートはわかりやすい旋律になることを慎重に避けているのだということが、音楽が見えることによって露わになる。旋律の代わりに聞こえてくるのは、「響き」である。声による「響き」は楽器が織りなす揺らぎによって動きが与えられ、全体が形成される。そうか、こんな仕組みになっていたのかと得心したところでキリエは終わってしまった。続きが聴きたいと思いながら休憩に入った。
さて休憩後、ソリストたちは楽譜を持たずに入ってきた。第九のソリストなぞ何度も経験しているであろう彼らのことだから、驚くことではないのかもしれないけれど、そんじょそこらの雇われソリストとは違うよという気概が見えた気がした。
いよいよ第九が始まると、大げさではなく目から鱗がぼろぼろと落ちる。この編成だと1つ1つの楽器の音が全部聞こえるので、音楽が固まりとしてではなく、いくつもの小さな音楽の積み重ねからできていることがよくわかる。1楽章でテーマが戻ってきたところでは、木管楽器がよく聞こえてきて、ここはこんな風になっていたのか!と気づく。古典派の時代のオーケストラでは、弦楽器が基本で木管楽器は音量の補強のように扱われることが多いのだが、この演奏では木管楽器それぞれに意味があって、使うべきところに使うべき楽器が当てられていることが納得できる。慣習的にリズムをずらして演奏されているところも、そうなっていなくて、むしろそれだからこそゾクゾクする。
そもそも第九の演奏では、1~3楽章は4楽章までの繋ぎで、4楽章が来るまで我慢して聞くといったことが多いのだが、こんなにベタじゃない2楽章は初めて聴いた。ここでも木管のアンサンブルがよい。3楽章も感傷的になりすぎず、独奏楽器の良さもあって、いつまでも聴いていたいと思えた。4楽章が来るのを待っていないので、3楽章までをゆったりと楽しめていて、むしろ4楽章が始まった時に「え?もう4楽章?」と思ってしまうくらいだった。
前述したように、今回の合唱は1パート7人しかいないのだが、ソリストになっていてもおかしくないような強者揃いなので、物足りなさなどはまったくなく、むしろ雑味のない美しさが印象的だった。オーケストラと歌との掛け合いの部分のやり取りが絶妙で、楽器やその音色の扱いも膝を打つもの。たいていの第九の演奏は、「オーケストラ付きの合唱」になってしまうのだが、今回の演奏で「合唱付きの交響曲」なのだということが実感としてしっくり来た。こういう第九ならまた聴きたい。
(2024/11/15)
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<performers>
Hidemi SUZUKI conductor
Saki NAKAE soprano
Naoko FUSE alto
Ryo SAKURADA tenor
Kennichiro HIMI bass
Orchestra Libera Classica
Coro Libero Classico
<program>
Ludwig van Beethoven:
Kyrie from Missa solemnis op. 123
–intermission—
Symphony no. 9 in D minor op. 125