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プロムナード ― 対話を育む歴史研究|大田美佐子

対話を育む歴史研究

Text and Photos by 大田美佐子 (Misako Ohta) 

 

デッサウで感じた涙

壁崩壊後間もない1993年に始まったクルト・ヴァイルのフェスティバルを調査するため今春、ドイツ東部の街、デッサウにひさびさに行く機会を得た。デッサウといえば、ワルター・グロピウスの建てたバウハウス校舎が有名で、世界遺産にも登録されている。この滞在については、岩波書店の『図書』9月号に「デッサウから世界の分断を考える ―クルト・ヴァイルとこれからの世界」を書く機会を得て、作曲家をめぐる音楽祭の意味を整理した。人々のなかで鳴り響くことを通して、作品は「音楽文化史」の対象へと展開する。デッサウで感じるヴァイルは、世界のどこで感じるヴァイルとも異なるものだと感じ、30年以上続くこの音楽祭を定点観測することの意義をあらためて感じた。

リオネル・ファイニンガーの住居だったデッサウのクルト・ヴァイル・センター

かつてバウハウスで教鞭をとった画家、リオネル・ファイニンガーの住居だったヴァイル・センターで、アーカイブでの調査を終えてセンターの人と話した。「日本から来たんでしょ?」「神戸ですよ、素敵な街なのでぜひいらしてくださいね」「ぜひ、行ってみたいわ。私はね、ウクライナから来たんです」。こうしてウクライナから戦禍を逃れてきた人々にも出会った。頭の中をニュースが流れる。なんと返答していいかわからず、フリーズしてしまった。「今、辛い状況ですよね。祈っていますよ..」と絞り出した言葉。彼女は何も言わず、大きな瞳が潤んできた..。どんな慰めの言葉があるというのだろう。

 

 

飛行機なんて関係ないよ

ミュージック・ボックスで上演された『サフス』

6月に兼ねてからずっと憧れていたニューヨーク公共図書館で開催されたミュージカルの学会で発表する機会を得た。この機会にブロードウェイ・ミュージカルもいくつか観ることができた。女性参政権運動をテーマにした『サフス』、アメリカ建国の物語を人種混合キャストで描いた『ハミルトン』、フェミニズムを反映したシェイクスピアのバックステージもの『アンドジュリエット』、そしてソンドハイムの『陽気に私たちは進み続ける』。まさにヴァイルがアメリカ亡命後に作った「社会派音楽劇」の系譜がここに連なっている。ドル高円安のご時世もあり、今回の滞在はスーパーで買い物して自炊、移動は公共交通機関。宿泊も治安が良い法外な値段のホテルを避け、友人に紹介してもらったセキュリティが厳しい高層マンションに泊まった。帰り際に、いつもにこやかに挨拶してくれたドアマンのお兄さんに空港までの道を聞くと、サラッとこう言われた。「俺の人生に飛行機なんて関係ないんだ、わかるわけない。あんた自分で調べなよ。」

 

KUPIのイマジン

10月に始まった秋学期で、ひさびさにKUPIの授業を担当した。KUPIとは、Kobe University Program for Inclusionの略。知的障害学生が、対話的な環境の中で大学の知の世界に親しむための授業を提供するというもの。自治体が運営する特別支援学校は高校までで、その後に学び続ける機会は設けられていないのが現状だ。KUPIの学びのデザインは「障害共生支援論」「よりよく生きるための科学と文化」など特別支援学級の学びや社会教育を専門にする教員が主となり、相談役の学生も参加して運営されている。その画期的な取り組みに感銘を受けて、パンデミック前から参加させてもらっている。KUPIの受講生一人一人が抱えている状況、障害の程度は様々だが、言えることは、一人一人がとてもユニークな世界を持っているということだ。

神戸港を一望できる神戸大学のキャンパスで、KUPIが開講されている

ただし、私が担当する「音楽文化史」は、音楽を言葉で思考する世界なので、それをどう組み直して「伝わる」かたちで受講生に伝えるのか。「伝わる」ことに工夫が必要な世界を前に、「伝えたい」ことだけが暴走してしまい、人を繋ぐはずの音楽が、人と人との間の「壁」になってしまった失敗も経験してきた。

今回は、「表現する」ことが大好きな受講生が多いことに気づき、共に歌い、音楽で時間を共有しつつ伝えるという原点に立ち返った。授業の後半に選んだ曲はジョン・レノン『イマジン』。訳は忌野清志郎の超訳。最初に、ゆっくりと受講生に朗読してもらい、自由に感想を言い合う。実際に歌うのは英語でも日本語でも気に入った方で構わない。イマジンをひさびさに教室のピアノで弾いてみると、そのシンプルなコードとシンプルに見えて深い願いを綴った歌詞によって、その場の人々の関係がフラットになっていったことを感じた。教える人、受ける人の分け隔てもなく、一人一人が歌の世界を想像する人となっていることを。一人一人の顔を確かめながら。

 

分断を生き抜く

戦争のニュースも選挙のニュースでも、「世界は分断されている」という言葉を聞くたびに、どうにもできないやるせなさを感じてきた。国内外で分断の膠着状態に終わりがないように感じる。

そんななかで最近、私は「分断」は存在して当然だ、と敢えて考えるようにもなった。「同一」を押し付ける全体主義とは異なり、多様性を称揚する社会では「差異」は至極当然なのだから。「多様性」を認めつつ、そこにある「差異」や「分断」を暴力的な対立にしないためには「対話」が必要なのではないか。でも、どうやって?

そのごく小さな一歩として、2017年からハーバード大学のキャロル・J.オージャ教授と共に、学生たちを巻き込んで細々と続けてきた国際共同研究での核心は、お互いの史料を共有し、歴史を通じて「対話」を育むという試みだ。2019年には、アメリカの学術雑誌「American Music」にケイティー・カラムと木本麻希子との共著で『マリアン・アンダーソンの1953年の日本コンサートツアー−トランスナショナルな歴史』を発表した。年明け、2025年の1月24日には神戸大学でシンポジウム「Music Theatre Studies and Transnational History」を開催する。海外からはオージャ教授をはじめ、ニューヨーク大学名誉教授のデーヴィッド・セブラン、ラトガース大学教授のナンシー・ユーワ・ラオ、そして大阪音楽大学の能登原由美、京都産業大学の田中里奈ら内外の研究者を迎え、シンポジウムのみならず、声楽の太田真紀が歌い語るシェーンベルクの『月に憑かれたピエロ』(ザ・フェニックスホール)や園田隆一郎が指揮するびわ湖ホールの『三文オペラ』を一緒に観る機会も持ち、対話する予定だ。

デッサウで出会ったウクライナの女性の涙、ニューヨークで出会った格差社会への憤り、KUPIで共に歌い語った喜び、日々のこうした気づきが、どこかでプロフェッショナルな舞台表現に向ける眼差しとも繋がっていることを意識していきたい。それが「共生社会」や「社会の包摂性」という問題意識と重なることも。

(2024/11/15)