注目の1枚|桑原ゆう『音の声、声の音』|齋藤俊夫
桑原ゆう『音の声、声の音』
YU KUWABARA: Sounded Voice, Voiced Sound
KAIROS 0022202KAI
11月30日発売予定(日本語リーフレット有り版、無し版がある)
Text by 齋藤俊夫(Toshio Saito)
CD1 →foreign language
『唄(ばい)と陀羅尼(だらに)』ヴァイオリン独奏のための(2020-21)
ヴァイオリン:マルコ・フージ
『水の声』ヴァイオリン独奏のための(2014-15/19)
ヴァイオリン:マルコ・フージ
『やがて、逢魔が時になろうとする』三味線独奏のための(2014)
三味線:本條秀慈郎
『逢魔時の浪打際へ』ヴィオラ・ダモーレ独奏のための(2020)
ヴィオラ・ダモーレ:マルコ・フージ
CD2
『三つの聲』弦楽三重奏のための(2016)
ヴァイオリン:三瀬俊吾、ヴィオラ:山縣郁音、チェロ:竹本聖子
『はすのうてな』三味線、ヴァイオリンとチェロのための(2011/18)
三味線:本條秀慈郎、 ヴァイオリン:三瀬俊吾、チェロ:竹本聖子
『影も溜らず』ヴァイオリン独奏と8人の奏者のための(2017)
ヴァイオリン:三瀬俊吾、松岡麻衣子、ヴィオラ:笠川恵、チェロ:竹本聖子
フルート、アルトフルート:梶川真歩、クラリネット、バスクラリネット:西村薫
トロンボーン:村田厚生、打楽器:中山航介、コントラバス:佐藤洋嗣
指揮:水戸博之
『柄と地、絵と余白、あるいは表と裏』三味線独奏と七人の奏者のための(2018)
三味線:本條秀慈郎、 ヴァイオリン:三瀬俊吾、ヴィオラ:笠川恵
チェロ:竹本聖子、フルート、アルトフルート:梶川真歩
クラリネット、バスクラリネット:西村薫
打楽器:中山航介、ピアノ:大須賀かおり
指揮:水戸博之
このCD収録の「現代」「日本」音楽を初めて聴いたときにはその音楽に対する新鮮な驚きと共に、なんとも形容しがたい、「懐かしさ」の対義語としての「疎外感」を味わわざるを得なかった。「現代」音楽としての新しさ、湯浅譲二に倣えば「未聴感」が内在しているのは一聴して明らかだ。だが一聴しただけでは、「日本」音楽としての「懐かしさ」――それは湯浅譲二の音楽の中にも、現代でも木下正道の音楽にも、あるいはポピュラー音楽の中のテクノポップの大御所YMOの音楽にも筆者には感じ取ることができるナニカだ――が捉えられなかった。「現代」音楽としての「未聴感」が「日本」音楽としての「懐かしさ」≒「既聴感」を拒んでいるのだろうか、と、筆者は自分の日本人としてのアイデンティティも含んだ不安を抱えつつ幾度も幾度もこのCDを聴き返していた。
『唄と陀羅尼』のヴァイオリンの粘っこく動く様はたまらないな。『水の声』の一人多声部書法あるいは一人ヘテロフォニーも素晴らしい。『逢魔時の浪打際へ』の多重録音かと思うほどの重音の豊かさの妙よ。『三つの聲』の有機的・生物的運動が自在に奏でられるさまも面白い。『影も溜らず』のおよそ人間離れしたダイナミズムとオーケストレーションの巧緻精妙具合。『柄と地、絵と余白、あるいは表と裏』のバロック的ポリフォニーとすらいえる構築力の見事さよ……etc,etc……いくらでも湧き出る「現代」音楽としての美点。されど聴くだに募る疎外感に、「現代」音楽であれば特に「日本」にこだわらなくても良いのかもしれない、と筆者がCDの中の「日本」音楽に諦めかけた時、「声」と「唄」が、つまり「音」という抽象的・形而上的になりがちな存在を我々の身体の内と結びつけるものが「日本人」としての筆者の内から湧き出して、CDから聴こえる「現代」「日本」音楽と共振したのである。
『やがて、逢魔が時になろうとする』の三味線独奏は、伝統的な三味線の用法とは異なり、三味線で人の声をなぞるように唄う。それは『はすのうてな』の三味線も同様だ。この三味線の用法を他楽器に置き換えれば、『唄と陀羅尼』のヴァイオリンは聲明の人声をなぞっていると解され、『水の声』のヴァイオリンも、(作曲ノートによれば)泉鏡花の短編小説内の擬音を人声的に翻訳したと俄然わかり、『逢魔時の浪打際へ』のヴィオラ・ダモーレ独奏は謡曲のあの嗄れた声そのままではないかと勘づく。『はすのうてな』の音響世界は落語世界と繋がっているし、『柄と地、絵と余白、あるいは表と裏』のアンサンブルも雪舟の画の柄と地の反転を見るようだ。CDの全て(と言って良いのかどうかいささか不安でもあるが)の作品の中に「日本」の「唄」、「日本」の「美」が内在している! これが「現代日本音楽」でなくて何であろうか?
自分のことを土着的(native)な日本人と言う事が難しい世代の一人として筆者はある。自分の、つまり日本の文化が先験的に備わっているかどうかを常に危ぶみながら生きる世代として、ヨーロッパ=「普遍」「本場」とする見地から如何ほど離れて日本という「特殊」「辺境」の音楽と相対するかは一生の課題であろうが、本CDと出会って、筆者は自分の中にある「唄」が「日本」と地続きであることを確認できた。それはきっと喜ぶべき事なのだと思う。
ある意味「スルメ」的な味わい方をしなければわからないCDかもしれない。だがわかるまで噛み尽くす価値がある「現代日本音楽」であることは保証する。「未聴感」と共にある「懐かしさ」を感じたければ、是非このCDを聴いて欲しい。
(2024/11/15)
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CD1
Bai and Dharani(2020-2021) for solo violin
violin: Marco Fusi
Mizu no Koe (Water Voice)(2014-2015/2019) for solo violin
violin: Marco Fusi
Falling Dusk (2014) for solo shamisen
shamisen: Hidejiro Honjoh
Toward the Brink of Water Or the Verge of Dusk (2020) for solo viola d’amore
viola d’amore: Marco Fusi
CD2
Three Voices (2016) for string trio
violin: Shungo Mise,viola: Ikune Yamagata, cello: Seiko Takemoto
Lotus Pedestal(2011/2018) for shamisen, violin, and cello
shamisen: Hidejiro Honjoh, violin: Shungo Mise, cello: Seiko Takemoto
Shadowless(2017) for solo violin and eight musicians
violin: Shungo Mise, Maiko Matsuoka, viola: Megumi Kasakawa, cello: Seiko Takemoto
flute/alto flute: Maho Kajikawa, clarinet/bass clarinet: Kaoru Nishimura
trombone: Kousei Murata, percussions: Kosuke Nakayama, contrabass: Yoji Sato
conductor: Hiroyuki Mito
figure and ground, image and margin, observe and reverse(2018)
shamisen: Hidejiro Honjoh,violin: Shungo Mise, viola: Megumi Kasakawa
cello: Seiko Takemoto, flute/alto flute: Maho Kajikawa, clarinet/bass clarinet: Kaoru Nishimura
percussions: Kosuke Nakayama, piano: Kaori Ohsuga
conductor: Hiroyuki Mito