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プロムナード|幻の光の先へ |チコーニャ・クリスチアン

漢字の謎に魅了された心

Text and illustrations by Cristian Cicogna

1.幻の光 

「幻の光」は私の耳に懐かしく響く言葉だ。
是枝裕和監督が宮本輝の原作を映画化して、長編デビュー作『幻の光』をヴェネツィア映画祭に公開して、金オゼッラ賞(脚本賞)を受賞した1995年の晩夏から、ほぼ30年が経った今なお
ヴェネツィア出身で、当時日本語学科の大学生だった私がヴァポレットに乗って、リド島へ日本映画を観に行くのは当たり前の行動だった。
『幻の光』の観賞は衝撃的で、長い余韻を残した。以前私が観てきた黒澤明や小津安二郎の映画と違って、そこに日本の「今」が映っていた。ずっと高い城壁に守られていた「日本」というお城が切ない物語の中でごく自然に無防備な姿を現した。私は恐る恐る門をくぐって、お城を巡り始めた感じだった。
宮本輝の存在も、その時初めて知った。尼崎近辺と石川県能登半島を舞台にした原作は1979年に芥川賞を受賞した。
リド島で映画を観た5年後に、まさか私が阪神間の街に暮らすことになるとは夢にも思わなかった。
今年のお正月に大地震が能登半島を襲った。大きな被害を受けた輪島を支援する計画で『幻の光』が再上映されたので、私は早速映画館に向かった。来日後に修士課程論文としてその短編をイタリア語に訳した自分の中で、原作と映画は合体している。原作に負けないくらいこんなに完璧で美しい映画の例は決して多くないのだと思う。

主人公のゆみ子(江角マキコ)が12歳の時、四国へ帰りたいと言い張って出掛けた祖母が失踪してしまう。祖母の生まれ変わりのように郁夫という少年が登場して、25歳になった二人は結婚する。ある夜、郁夫(浅野忠信)が、生まれたばかりの息子を残して、訳もなく自殺する。6年後、ゆみ子は奥能登の小さな漁村に住む板前の民雄(内藤剛志)と再婚する。しかし、大事な二人を失った責任を感じ続けて苦しむ
固定のカメラで撮った長いショットが是枝監督の特徴である。それに、異常に長い時間カメラをじっと見る登場人物の撮影。次の章を促す長めの間(ま)のあるフェイドアウト。読者に読み終えた章を味わって、ゆっくりとページをめくる時間を与えるかのように。
阪神電車が走る高架下にある暗い長屋の雰囲気も、ゆみ子の新生活に当たる輪島の朝市での買い物や近所付き合いの様子も、最低限の台詞で丁寧に撮られている。実は、宮本輝が語るのは主人公のドラマだけではなく、むしろ主人公を取り巻く庶民的な生活の営みだ。是枝監督は30年間にわたって流れるその物語を一本の映画に、いや、一冊の写真アルバムに収めたと言えるだろう。風情のあるセピア色の写真、または、横にカラヴァッジョが指示を出しているような、光と影のコントラストが抜群に絡む写真を集めたアルバム。
ゆみ子を後ろに載せて自転車を漕きながら家に帰る郁夫。
曾々木の海に面した家の、冬風が障子を鳴らす音だけで、誰もいない部屋。
トンネルの中の水たまりや池の水面に反射する、ゆみ子の息子と民雄の娘が走る姿。
縁側で西瓜を食べる新しい一家。
ゆみ子が手に握る、夫の形見になった自転車の鍵と鈴。
前夫の自殺の理由を探るかのように、冬の日本海をぼんやり眺めるゆみ子の横顔。
海岸沿いで葬列を追うゆみ子。
海辺の岩場で燃える柩の炎(ほのお)を見つめるゆみ子。
真っ赤な空が照らすその岩場で対峙するゆみ子と民雄。
引き潮の渚に映る二人の青黒いシルエット。
ところで、幻の光とは何か。その正体は何なのか。線路を進行方向に歩く郁夫を照らす電車のヘッドライトであろうか。西へ向かってひたすら歩く祖母に照りつける西日であろうか。それとも、ゆみ子が凝視する曾々木の海に照り映える光であろうか。

 「ほれ、また光りだした。風とお日さんの混ざり具合で、突然あんなふうに海の一角が光り始めるんや。ひょっとしたらあんたも、あの夜レールの彼方(かなた)に、あれとよく似た光を見てたのかも知れへん。
じっと視線を注いでると、さざ波の光と一緒に、ここちよい音まで聞こえてくる気がします。もうそこだけ 海ではない、この世のものではない優しい平穏な一角のように思えて、ふらふらと歩み寄って行きとうなる。そやけど、荒れ狂う曾々木の海の本性を一度でも見たことのある人は、そのさざ波が、暗い冷たい深海の入口であることに気づいて、我に返るに違いありません。」
   宮本輝著『幻の光』(新潮社)より

ともかく、短編にも、映画にも、偽りの光明が放つ誘惑を否定することによって過去を整理して、新たな家庭で再生ができたゆみ子の真の姿は印象に残る。
映画のラストシーンでは、広い角度で撮った輪島の湾に鳶(とんび)の鳴き声、海岸線のコンクリートを踏む自転車の補助輪の音、子供たちの笑い声が鳴り響く。
 

2.漢字から心を削った毛沢東 

私が漢字の世界に遭遇したのは、1995年より少し前に、十代の頃だった。
十代の青年がする発見は人生の中で最も印象的だと思う。私の場合は、ドイツ製の一眼レフカメラ。ケンブリッジで初めて飲んだマンゴーの香りをした紅茶。ピンクフロイドのサイケデリックロック。氷上に優雅な滑りを見せる、カタリナ・ヴィットの華麗な姿。イタリア語訳で読んだ三島由紀夫の小説。催眠術を施すような『ボレロ』のクレシェンド。ミラン・クンデラ著『存在の耐えられない軽さ』が語る恋愛の可能性。
そして、その時代の歴史を刻んだ代表的な人物や出来事。
「鉄の女」マーガレット・サッチャー。チェルノブイリから飛んで来た、目に見えない恐怖。ベルリンの壁崩壊。サッダーム・フセインと湾岸戦争。ミハイル・ゴルバチョフの儚いペレストロイカ。マラドナが神の手で決めたゴール。それから、17歳の夏、思いがけない場所で、漢字との初顔合わせ。
その場所は、ブライトンにある、ジョージ4世が建てた王室の離宮ロイヤル・パビリオンだった。11歳から毎年の夏に英語学習のためイギリスへ短期留学していた。ロンドンから遠足で訪れたブライトンは歩道桟橋とロイヤル・パビリオン以外何もない街で、がっかりした。しかも、ロイヤル・パビリオンは、東洋の異国風の様子が英仏海峡に面した街の雰囲気と全く合わず、違和感を与えるばかりだった。
秩序不同に展示された中国風の絵画や文様が滑稽にすら見えたが、ある掛け軸が目に留まった。正確に言うと、掛け軸の前に立った男が。私の留学団体のリーダーの一人で、ヴェネツィア大学の東洋学を卒業しているという情報以外、ほとんど知らない男だった。しかし、彼が美しい筆跡の中国語の漢字をすらすらと読み上げた瞬間、私は悟った。私も同じことが出来るようになりたいと思った。
私は岐路に立った。中国語を勉強するか日本語を勉強するか。最終的に天安門事件のショックと『菊と刀』の影響で軍配は日本語に上がった。ルース・ベネディクトのエッセイの中で、ある箇所が私の好奇心をそそった。落とした物を拾ってもらった時に日本人は  thank you ではなく、すみませんと言って謝る。あ、こういう文化を理解が出来そう、もっと深く知りたいと思って、私は日本語を勉強する決意に至った。そして、その選択は失敗だったなと思ったことは一度もない。

中国語を却下した理由は様々ある。声調や喉音の発音の難しさは大きな壁だったが、それよりも、北京を離れたら、言葉が通じなくなるのではないかという不安だったと思う。
逆に、日本語の方が、音的にイタリア語に近いのだと感じて、耳に優しい調べのように聞こえた。
しかし、最も重要な点は見た目の違いだった。
極端に言うと、日本語の方がビジュアル的に綺麗だ。毛沢東が文字改革を指示した1951年より、中華人民共和国が利用する漢字は簡略化され始めた。それが「簡体字」のきっかけだった。簡体字は私の目には簡素過ぎるように見えて、魅力を失っている。過言に聞こえるかもしれないが、毛沢東が漢字から心を削ってしまったと思う。
日本語だろうが中国語だろうが、漢字を音に変える術(すべ)を知らなければ、襲われるフラストレーションは全く同じだ。解けない謎のままで終わってしまう。
数万あると言われている漢字の読み方を覚える努力をするなら、せめて目も喜ぶ方で刻苦勉励したいと思った。
西洋人が持つ本の概念が覆るような、教科書を裏から開いて、ページの右側から並ぶ縦書きの文字を初めて読めた時、私の喜びはニール・アームストロングが月面を踏みつけた自分の足跡を見た時の喜びを遥かに超えたと言える自信がある。
そこから、私は達成感と挫折を繰り返しながら、進むべき道を進んだ。漢字の能力が伸びて行くにつれて、金庫をこじ開けたルパン三世のように、鍵のかかった宝箱を開けたような気持ちになった。更に、漢字には美術的な要素が潜んでいると気づいた時に、まるで異次元への入口を発見したようだと感激した。
遠回りエクスプレスに乗って、夢の世界を巡るアーティスト「夢巡」(むじゅん)が誕生した瞬間だった。
そして、今年、ほぼ20年間にわたって作ってきた作品を集めて、ついに一冊の本に納めた。
下記のリンクをクリックすると、ご覧いただけます。
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3.寺山修司の悲しき笑顔 

私には尊敬する詩人がいる。その名は寺山修司だ。彼は前衛的な劇団「天井桟敷」の主宰を務め、1960年代半ばから1970年代前半にかけて全盛期を迎えたアングラ演劇の代表者の一人として知られているが、同時に優れた詩人でもあったに違いない。歌人、劇作家、映画監督。多才な寺山が残した数多くの作品の中で、私は彼の詩集が特に好きだ。
内容が暗くて悲しいものは多いのだけれども、言葉遊びや漢字をレゴブロックのように使って、ページに「形状」のある詩を作り上げて、シニカルな笑顔で飾る詩もある。その作風が私の心を掴んだ。
ここから私が創ったイラスト付きの新作を二つ発表したいと思う。
一作目は一音ずつ増えて行く音節の数で物語が展開して行く形式だ。
二つ目はクラゲの漢字が「海月」と書くのはなんて詩的なのだという感動から生まれた神話風の話だ。
もし、どこかから寺山修司にもこの二つの作品を読んでもらえたらなと夢見ている。 


『恋と理性の灯台』 

『恋の灯台』

恋(こい)
という
名の処女
美しく
無邪気な娘(こ)で
湾に面した
家に住んでいた
残暑が和らいだ
晩夏の夕暮れ時
馬に乗ってやって来たのは
高名な大陸軍の
少佐で 字(あざな)が理性だった
若くて勇ましい美男子で
忠実で率直な男なのに
敵に冷酷無比の軍人だった
翌朝 朝焼けが霞(かすみ)を光らせ
閑静な漁村を赤く照らし出した
波止場(はとば)にはカーキ色の軍服姿の
少佐が一人で海に向かって立っているのを
早起きの恋が自宅の窓から目撃し
生まれて初めて胸が熱くなるのを感じた
恋の気持ちが少佐の耳に届くまで間も無く
  … …
月夜の穏やかな晩に二人は灯台に上り
微風(そよかぜ)に揺れる行灯(あんどう)の光の下(もと)で愛し合った
童謡を歌う恋の美声が暗闇(くらやみ)に漂う中
不思議なことに 黙り込んだ理性が急に涙を覚え
頬を伝って落ちる涙も拭かず目を険悪に光らせた
敵に不意打ちを食わせるように無防備になった恋の心を
無残にも抉(えぐ)り出したのち 力いっぱい灯台から投げ落とし
亦(また)一人の心を削ったと濁声(だみごえ)呟(つぶや)き 煙草を銜(くわ)えた
夜の瞳(ひとみ)に映る流れ星 誰の願い事が叶(かな)うのだろうか
灯台は手招く水平線へ無用の陽炎(かげろう)を送り続けた
解かれたリボンの如く 恋の心はしばらく闇(よやみ)静寂(しじま)に浮遊し
煌(きら)めく漁(いさり)火(び)に導かれ 沖の彼方(かなた)へ飛んでしまい やがて消えて行った
 

『天地さ迷う海月』

『天地さ迷う海月』

海月は 月の涙で出来ている

遥か昔
人類が地球に現れる
ずっと以前の頃
海は波一つなく
穏やかで無限に続いていた
まるで縁のない鏡のよう

月が海面に映る
自分の姿を眺め
創造物の中で
一番美しいのだと
自惚(うぬぼ)れるばかりで
日が昇ってきても
満ちたままで
沈むのを拒んだ

その傲慢な態度を見た神が
憤慨に堪えず 罰として
月を海に放り落とした

海面とぶつかった瞬間
月は粉々に割れてしまい
その時 初めて
海に波が生まれたわけだ

しかし 夜になると
夜空に輝く月がないので
世界が暗闇に包まれる
ことになってしまった
しばらく悩んだ神が
月を元の位置に戻すことにした

神の寛大さに感激し
慙愧(ざんき)に堪えない月が
長いこと反省の涙を流し続けた

その苦しい姿を見た神が
創造物への教誨(きょうかい)とするために
海に落ちて行く月の涙を
多種多様な海月に変えた

海面に浮遊する海月が
月光に照らされ
きらきらと美しく輝いた

その素晴らしい光景の前で
月が泣くのを止め
ようやく笑顔を取り戻した

ところで 過ぎ去った時間(とき)
どこへ行ってしまうのだろう
地球に積み重なった記憶は
何に変わっていくのだろう
海底に眠る
シーラカンスが見る
夢になるのだろうか
忘却の海に沈まず
渚(なぎさ)に打ち寄せる
波になっているのかもしれない 

(2024/10/15)