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都響スペシャル|藤原聡

都響スペシャル
TMSO Special

2004年8月10日 サントリーホール
2024/8/10 Suntory Hall
Reviewed by 藤原聡(Satoshi Fujiwara)
Photos by Rikimaru Hotta/写真提供:東京都交響楽団(8月9日撮影)

〈プログラム〉        →foreign language
ベルク:7つの初期の歌
マーラー:交響曲第1番 ニ長調『巨人』

〈演奏〉
東京都交響楽団
指揮:ダニエル・ハーディング
ソプラノ:ニカ・ゴリッチ
コンサートマスター:水谷晃

 

2021年の7月に都響へ初来演の予定であったダニエル・ハーディングだが、それがコロナ禍により中止となったため3年越しに実現した今回の登壇。尚、2021年に予定されていたプログラムはシューベルトの交響曲第3番とR.シュトラウスのアルプス交響曲で、このたびのベルクとマーラーへの変更の理由は詳らかではないが、むしろハーディングが得意とするマーラーとなったことを喜んでいるファンも多いのではないか(筆者もである)。言わずもがな、日本を代表する「マーラー・オーケストラ」たる都響との共演、これは期待するしかなかろう。

そのメインプログラムたるマーラーの前に演奏されたのはベルクのキャリア初期―20歳〜23歳―の佳作、名前もそのままの「7つの初期の歌」(但しこの日演奏されたオケ伴奏による編曲版は後年の1928年のもの)。いまだブラームスや他ならぬマーラーら後期ロマン派の影響が色濃い作品群だが、ここでソプラノ・ソロを歌ったスロヴェニア出身のニカ・ゴリッチは、やや細めの声でコロラトゥーラ的だが声量は十分でオケに埋没することなく(これはハーディングの音量調整やフレージングの配慮などの非常に細やかなサポートによるところ大でもある)、よく通る艶のある美声を披露。声が埋没しがちなサントリーホール―筆者が聴いた席は2階正面、ここは全体のバランスは良いが音が届くまでに残響が付き過ぎる傾向がある―でもディクションも明快に把握できるのだからその実力は間違いなかろう。もっとも、より肉感的な声質や表情付けを求める方には「清潔過ぎる」との印象を与えたかも知れない。どうあれニカ・ゴリッチ、覚えておくべき歌手である。ちなみにゴリッチは全7曲を暗譜で歌った。よく手の内に入ったレパートリーなのだろう。

さて後半は待望のマーラー。弦16型の対向配置(コントラバスは下手)、都響には珍しくホルンが上手。先に記せば、これはいかにもハーディングらしい繊細さ、緻密さと大胆さが交錯した快演と評すべき演奏となった。第1楽章の序奏からして無から自ずと生起したかのような余りに静謐な開始―それまでも継続していた自然の音を任意に「つまみ上げた」かのような境目の曖昧な開始。主部に入るとたいていの指揮者は拍節感を際立たせ序奏とのコントラストを付けるがハーディングはそうせず、依然として朝靄の中を彷徨うかのような朧げな表現でこれを演奏する。最初のトゥッティではもちろん音量は増大するが、しかしそれもほどほどであり、意識的に抑制されている。展開部の虚無的な弱音も印象的。楽章のクライマックスではさすがにオケは解放されるが(ホルンの大胆な強調!)、それでも随分と制御されている。そもそもハーディングが都響を指揮したのは今回が初だが、そんな中でよくもここまで自身の解釈を浸透させたものだ。

第2楽章では一転、いくらか遅めのテンポで地面を踏みしめるかのようなリズムの抉りとともに開始。トリオではポルタメントを効かせた弦にいささかのキッチュさが漂う(マーラーにあってはこれは本質的な要素だ)。野卑と洗練、快活と俗悪さの結託、ハーディングの企み。面白い。

驚くべきことに池松宏が全てダウンボウで弾くコントラバス・ソロで始まった第3楽章(余談だが、ハーディングが2009年にコンセルトヘボウ管を指揮した演奏の映像を見ると新全集版のスコアに則りコントラバス全員がユニゾンかつ通例のボウイングで弾いている。素人考えではユニゾンだと音量が増しソノリティが美しくふっくらとしてしまいマーラーの狙った効果が出るのかどうか…。また、2019年3月にベルリン・フィルと行った当曲演奏の録音ではソロで演奏させているのが聴き取れる。コンセルトヘボウ以後やはりユニゾンの違和感からのソロ回帰かつダウンボウ・チャレンジ?)。カノンの各楽器の入りのアクセントを活かすことでパロディ的な色調はより濃くなる。楽章全体での繊細なデュナーミクの変化も面白い(演奏内容と直接関係ないが、楽章最後のppによるバスドラム打とコントラバスのピッツィカート、客席からの派手なノイズで全く聞こえませんでした。第4楽章冒頭との対比が台無し)。

終楽章。それまでは抑制されていた音響をかなり―というのはまだ明らかに抑えられているからだが―解放して始まった。金管などはさらに吹かせても良いのでは、とも思ったが、このこだわりはいかにもハーディングでニヤリとさせられる。ロマンティックな第2主題は熱狂とクールさが不思議な同居をみせるかと思うと、コーダでは一気にギアを上げてハイテンション、ラストではようやく最大限にオケを解放、唖然とするアッチェレランドを仕掛けて圧倒的な幕切れ(尚、ホルンは練習番号56からではなく58から起立、先述したコンセルトへボウ管との演奏も同様、ハーディングはこの形のようだ。ベルリン・フィルとの映像は未見)。

言うなれば全曲に渡ってハーディング流儀が貫かれた『巨人』であり、その面白さは底知れない。反面、聴き手によっては「こねくり回しすぎ」「素直に感情移入できない」と思われるかも知れないが、この細部にこだわって全体性/統一性が稀薄な『巨人』の演奏こそがいかにもマーラー的なんじゃないか。それらが自明ではなくなりつつある時代を生きたのがマーラーだろうし、ハーディングのマーラー観がいかなるものなのかは知らないが、自ずとその辺りを嗅ぎ分けてこういう演奏がアウトプットされていると見る。知的営為としての、またはほとんど直感的な体質の共振としてのマーラー演奏。好みはどうあれ、ハーディングはやはり鋭く繊細だ。

次の都響客演、いつになるのか? 待ち遠しい。

(2024/9/15)

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〈Program〉
Berg:Sieben frühe Lieder
Mahler:Symphony No.1 in D major

〈Player〉
Tokyo Metropolitan Symphony Orchestra
Daniel HARDING,Conductor
Nika GORIČ,Soprano
Akira MIZUTANI,Concertmaster