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三つ目の日記(2024年3月)|言水ヘリオ

三つ目の日記(2024年3月)

Text by 言水ヘリオ(Kotomiz Helio)

 

ある日、自分の手の甲を見ていて老いを感じた。それまで気にしたこともなくそのままで過ごしていたが、ちょっと気になって、気休めにもならないかもしれないが、ハンドクリームを買ってみた。

 

2024年3月2日(土)
会場に入るとすぐに「キャプションです」と、A5サイズ4ページのリーフレットを手渡される。作品についての記述であるらしい。立ち止まって読む。そして展示の方へと目を移す。
壁面に、銀色の金属製パイプが三つ横にして設置されている。ひとつは入って左の壁に。もうひとつは正面の壁とその右側の壁を繋ぐように斜めに。もうひとつは斜めになったパイプのすぐ右からスペース内の太い柱まで。そして、半円形に削り取られたところのある角材が、その半円形とパイプが接するように何本もたてかけられている。角材と床との接地部分には角度がつくことになるが、半円形の位置によりそれらの角度は異なっている。床の中央部には、立てかけられていない角材が横にして積まれている。毎日、その日が終わるとこの作品を解体し、翌日会場が開く時間からその日の設置を行うのだという。
入口正面奥の壁には、格子状に、たくさんのまるいものが展示され、はみ出すようにその左の壁にも延びている。円柱状の木の、底面以外を着色し、その底面からなたでふたつに割る、そしてその底面を壁の面に合わせ展示している、というようなことを作者は話していた。なたで割った跡は一様にはならず個々さまざま。円柱の色は4種類あっただろうか。展示における色の配置に規則性があるのか、また、絵を描くように配置しているのか、質問する。絵を描くようにではなく、散らすように配置していること、規則性はないことを教えてくれた。
会場内にしつらえられた机の上には、小さな作品が置かれていた。数個の小さなコンクリートブロック。表面にあいている気泡のような孔と孔がつまようじで繫がれている。つまようじは固定されているわけではなく、挟まっているだけのようだ。
これまでの活動の写真などを収めたファイルを見る。来場者の訪れない、たまたまそこを通りかかった人しか見ることのできないような屋外の場所でも、人知れず数々の展示を行っていることを知る。
帰宅してリーフレットをゆっくり読み返す。作品についての細かく緻密な記述。作品に接する自分の態度はずいぶんと乱雑だったのかもしれない。地下にある、窓のない壁に囲まれた、天井の高い、空調の音が響く、こぢんまりとした場所。そこで行われたこのひとつの展示に関心を抱く。その関心をことばにしたいがなりそうもない。ただ、いまもどこかで作品が構想・制作され、展示も行なわれているのではないかと空想する。

 

 

米田有甫個展 微風状態
ギャルリー東京ユマニテbis
2024年2月26日〜3月2日
https://g-tokyohumanite.com/exhibitions/2024/0226bis.html
https://portfolio.yoneda-yusuke.com/
●会場風景 撮影:米田有甫(上)
●《距離の摩擦音(令和6年2月26日から3月2日、角材を立てかける)》 パイプブラケット、木ネジ、ステンレス巻パイプ、木材(ツガ) 撮影:米田有甫(中)
●《窓の開いた扉(割られた彩色円柱による)》 木材(ラバーウッド)、アクリル絵具、画鋲 撮影:米田有甫(下)

 

3月7日(木)
朝、揺れを感じて目覚め、いつのまにか立ち上がって身構えていた。揺れはなく、ただ風が吹いただけだったもよう。またふとんに入って眠る。

 

3月15日(金)
藤沢へ行く途中、駅の立ち食いそば店で食事する。券売機で、買い方がわからずとまどっている人がいる。システム化された店内。店員の声もしない。自動音声が商品のできあがりを告げる。
夕方ギャラリーに着く。白い空間に、ピンクリップでとめられたドローイングが、見る者の移動に伴う風をはらんですこし揺れる。ドローイングはとても高いところにもある。そのようすをしばらく眺めてから、描線を辿る。なにかが部分的に描かれているように見えたがどうかわからない。ごく薄い線も見られる。紙の四辺に注目する。ときに切れ端が残っていたりする。紙の大きさが微妙に異なる。大きな紙から作者みずから切り出したものではないかと想像する。紙の目が縦目か横目かにより下部のたるみ方に変化がある。最初は自然光で見ていた。途中から照明がついた。そういう時間帯。奥のほうの壁に短いお話が書かれていた。
のちに作者が、ドローイングの制作方法を説明してくれた。うつる面を上にしてカーボン紙を置く。その上に十数枚の適当な枚数の紙を適当に重ねる。一瞥で認識できたものだけを一番上の紙に描く。その紙を捨てる。次にあらわれた紙に一瞥で認識できたものを描く。その紙を捨てる。これを繰り返し、一番下の紙の裏に反転してあらわれた状態のもの。紙の枚数によって描かれたものの数が変わり、また、筆圧次第では描いてもうつっていない場合もあるのだという。どういうドローイングになっているか、最後の紙をめくるまで描く人自身も知らない、ということになる。
障子のある部屋へ移動する。障子やカーテンに、ところどころつけまつげが小円を描くように置かれている。円を描くことにより、まなざしの場所としてより抽象化がなされているような気がする。まなざしは、こちらに向けられていることも、他方に向けられていることもある。あるいは、こちらに向けられているのだがなかが鏡になっていてはね返ってきたりもする。あちらにもこちらにも向かっていることもあるだろう。そしてそれはあくまでも、自分がこちら、と仮定してのことであるのかもしれない。
その隣の暗い部屋では映像がながれている。部屋の真ん中あたりに脚のついた山のようなもの、その向こうに逆さまの木の枝が配置されていて、プロジェクターからの光を受けて、実体ではなく影を床の間に置くこととなっている。映像がときおり明滅する。それをまばたきのように感じる。短い線のあつまりが見える。いきものの体毛のようでもあり、ときには星のようでもある。時が経ち映像が一巡する。そのあともしばらくそのままでいる。
ずっと気になっていたのだが、定期的になにかの音が聞こえてくる。外で工事でもしているのだろうと思い、展示としては違和感のある音として、聞かないようにしていた。ところが、廊下の奥まったところにも作品があり、音はそこからのものであると知る。ちいさな額縁の置いてある小机。木の枝。映像あるいは光の明滅。手前には毛皮とつけまつげとバネの入ったケース。ケースのガラス面には文字の書かれた紙がうらおもてに貼ってある。ここより奥へ入ってもよいのか、奥へは入らないでほしいのか。奥まったところの暗闇に、なぜか、見えないいきものの気配を感じる。断続的な音。
バスで藤沢駅へ。駅で電車を待つ。急病人の救護をしたため電車が遅れているとアナウンス。最寄駅に着き、コンビニで飲み物とアイスを買って帰宅する。数時間後の就寝時、眠くなり目を閉じると、まぶたの裏が暗い。その暗いスクリーンに、今日見た展示の映像が幻影する。

 

 

浅井真理子 隙間の地形と谷の話
obi gallery
2024年3月1日〜3月18日
http://obi-gallery.com/mariko_asai/
https://www.marikoasai.com/
●隙間の地形と谷の話_landforms of out of sight(部分) 2018–2024年 サイズ可変 紙にカーボンコピードローイング、ピン、壁にカーボンコピードローイング 撮影:浅井真理子(上、中上)
●隙間の地形と谷の話_landforms of out of sight(くらいほうをのぞく) 2024年 サイズ可変 つけまつげ 撮影:浅井真理子(中下)
●隙間の地形と谷の話_landforms of out of sight(隙間の地形と谷の話_シャッター/可動式マウンテン) 2024年 ビデオ(17分35秒roop)、毛皮、つけまつげ、タイヤ、全ネジ、まち針、木の枝、など 撮影:浅井真理子(下)

 

3月17日(日)
眠っている最中、夢を見ていてハッと覚醒する。目は閉じたまま。おととい見た映像が、きわめて簡略化されたかたちでまぶたの裏に30秒くらい映る。短い線の集合と回転するなにか。

(2024/4/15)

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言水ヘリオ(Kotomiz Helio)
1964年東京都生まれ。1998年から2007年まで、展覧会情報誌『etc.』を発行。1999年から2002年まで、音楽批評紙『ブリーズ』のレイアウトを担当。現在は本をつくる作業の一過程である組版の仕事を主に、本づくりに携わりながら、『etc.』のその後の展開を模索中。