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三つ目の日記(2022年11月)| 言水ヘリオ

三つ目の日記(2022年11月)

Text by 言水ヘリオ(Kotomiz Helio)

 

2年くらい前からときどき、見に行った展示の写真を撮らせてもらうようになった。原稿この日記を書くときの参考にしたりもするが、そうでないときもあるし、写真を撮っても書けないこともよくある。撮りたいけれど撮らない、撮り忘れてしまう、などの場合も。来場者の邪魔にならないようにという気持ちからあわてて変な構図で撮ってしまうことがたびたび。帰宅すると写真をパソコン経由で外付けハードディスクに整理保存する。SNSで公開するわけでも、誰かに見せるわけでもない。何のためかわからないが記録としてのこしている。この夏カメラを入手してからは、細部まで鮮明に写るようになった。

 

2022年11月14日(月)
建物の入口に「児童絵画教室」の看板。階段を上り扉を開けなかに入る。アトリエとして使われているのではないかと思われる、制作と日常が混在したような広い空間。ただし、展示に際して片付けられているようでもある。壁に絵画作品が展示されている。下地のほどこされたキャンバスに鉛筆のドローイング、その上から前側表面を透明なメディウムが覆い、数ミリはあると思われるその透明な皮膜のさらなる表面にアクリル絵具やオイルスティックが置かれている。透明の層により隔離された表面と表面および絵具表面を視線が行き来する。絵具の色彩は淡く、多くは透けているように見える。白色に近いパールのようなきらめきの絵具もみつかる。絵具は、ある場所に置かれるように置かれ、また、線状を成し表面と接して移動したことがのこされている。近くから見て絵の時間を辿り、離れて見て時間をかたまりのようにとらえる。見えなくてもそこには層ができている。引いて絵の全体を眺める。ひとつの面のなかで光の粒が運動し始めたり景色が風に揺れたりする錯覚。キャンバスの裏面には、2センチ弱の厚みの板がはめ込まれており、作品は壁面から前方に浮き出ている。その様子を見ながら絵画と壁との関係を考えていただろうか、気がつくと自分の視線はキャンバスと壁との間の影に長いあいだ向いていた。答えは出ない。
キャンバスではなく、木の板に描かれた作品もある。木は平板ではなく、全体に起伏があり角が丸みを帯びていて、上部に弧を描いていたりもする。壁にかかっている状態からは、裏側までシルバーに覆われているように見える。「シルバーは色ではなく、物質性を帯びさせている」と作者は言う。シルバーの上の色は、キャンバスのものより若干強く感じられる。側面にも筆跡があり、裏面にも描かれているのでは、と見えないところへの想像が働く。
展示は、上の階の居住空間でも行われていた。スリッパをぬいで畳の間に上がる。ほんとうは腰をおろしたり横になったりして、時間いっぱい過ごせばよかったのかもしれなかった。

 

 

反復と変奏 Repetitions & Variations《Aki-no-no》 稲憲一郎展
t&nky studio
2022年10月29日〜11月14日
●Aki-no-no 22-307(上)
●Aki-no-no w20-65(下)

 

11月25日(金)
女子美術大学相模原キャンパスで飯山由貴の《In-Mates》を見る。SNSでこのタイトルを見かける際にはいつも二重山括弧と共に表記されていたような気がしていたが、映像内で表示されていたタイトルにそれは付いていなかった。画面にいくつかの言語の字幕が出ている。日本語の字幕をついつい読んでしまう。聞こえる声と字幕の文字に異なる部分が何か所かあるように思う。会場で配布されていた「鑑賞にあたっての注意事項」に、字幕の日本語と発音されるコリア語との不一致についてその理由が記されており、それを読み、字幕にも意識はめぐらされていることを知る。帰宅して、ニーナ・シモンの「I Wish I Knew How It Would Feel to Be Free」のライブ映像を視聴。
飯山の映像を見て、自分の何かが掘り起こされ変わっただろう。おびえながら暮らす日々。

 

11月26日(土)
床、壁、天井、すべてが白く明るい空間。そこに一見して、白い絵が並んでいる。入って右手前の壁の絵をすこし距離をおいて眺める。絵は、白い光を発しているというより、そこに光があることを示唆しほのかに光を蓄えているかのように感じられ、意識を覆い浸透してくる。しばらくそのまま立っている。絵の側面から滲み出る色彩を、光の加減で視野の周りに生じることのある光彩のように思ったりする。白といっても、均一に白いのではない。淡いという字を読み解くような粒子の厚みを感じ、自分はそのなかにいる。その厚みは上方への、または上方からの方向をもっているだろうか。次の作品、また次の作品。自分を失ったみたいに空間を浮遊する。やがて絵の中に見えない存在の気配がしてきて、それがなんらかの存在なのか、見ている自分の不在を感じているのか、などと考えを巡らせる。見えないとしても、見てもいるはずであり、焼き付けておこうと目を開く。
土曜日だからだろうか、途切れることなく来場者が訪れる。記録のための写真を撮らせてもらったのをきっかけに見るのを終える。

 

 

工藤礼二郎展 ─Critical Point to Light─
GALERIE SOL
2022年11月21日〜12月3日
https://www.reijirokudo.com
●Colonne lumineuse 03 acrylic on canvas 1940×1620mm 2022(上)
●中央:Colonne lumineuse 05 acrylic on canvas 2273×1818mm 2022/右:Luire 09-A acrylic on panel 227×158mm 2022(下)

 

11月29日(火)
『稲憲一郎 1968–1979 2018–1981』を開く。200ページ以上の作品集。左びらきで1968年から1979年の活動が本のなかばまで掲載されており、右びらきで2018年から1981年の活動が本のなかばまで掲載されている。中間には、掲載作品に関する平井亮一のテクストと、稲のテクストと略歴および関連文献のリスト。先日見た展示を思い浮かべ、2018年から1981年へとさかのぼり、1968年から1979年へと読んでいく。記されている営為に触れる。じかに体験することのなかった作者の作品を、作品集のかたちで知る。

(2022/12/15)

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言水ヘリオ(Kotomiz Helio)
1964年東京都生まれ。1998年から2007年まで、展覧会情報誌『etc.』を発行。1999年から2002年まで、音楽批評紙『ブリーズ』のレイアウトを担当。現在は本をつくる作業の一過程である組版の仕事を主に、本づくりに携わりながら、『etc.』の発行再開にむけて準備中。