三つ目の日記(2022年2月)| 言水ヘリオ(Kotomiz Helio)
三つ目の日記(2022年2月)
Text by 言水ヘリオ(Kotomiz Helio)
箱がほしかった。中にしまいたいものがある。捨てないという選択をしたにもかかわらずばらばらに放置され、探そうとしてもその場所がわからない。そういう、なおかつ形状が極薄のもの。忘れるという記憶の沈殿の代わりに、ものを残してそのありかを明確にしておきたいと、ここ数年思いつづけてきた。先ごろ、黒い箱を入手した。色の選択肢は複数あったが黒にした。中のものを見るためにこの箱を開けることはたぶん滅多にない。中にものを入れるとき、この箱は開かれる。
2022年2月1日(火)
きのうから、自室の本棚の天の部分で、自分だけの展示をはじめた。そこにいつもあるのは、花と紙。紙の上部になにかを置く。捨てられなくなったスポンジの切れはしを縦に置いた。見ているとき、対象は静止しているのかもしれないけれども、静止像を見ているわけではなく、現実はうつろっているとの観点から、固定したスマホで1分半の動画に撮ってみる。
2月15日(火)
数日前展示替えした自室の展示を写真に撮る。円錐形のアイスの包装紙を逆さに置いてある。
2月16日(水)
ふたたび展示替え。きのう届いた郵便物の中身を包んでいたプチプチの梱包材が平面的ななにかに思えた。紙の上部の壁面に絵のように配置する。
2月17日(木)
久しぶりの美術館。入館し、十字折りになっている「鑑賞ガイド」の紙を展示室入口で手に取り、潜入するように進む。宙づりになっているものの下に円形が赤く広がっている。太いワイヤーで仕切られた境界ぎりぎりまで近づき、観察する。四方の壁からそれぞれ一本の糸が張られ、空間中央で、糸を結ぶことで網のようにできている漏斗状のものの四隅と繋がり、吊られている。その狭まった口からは糸が伸びている。その直下から、床に同心円状にすこしずつ撒かれていったと思われる糸が広がって大きな円形をなしている。糸は直線的ではなくカールしてほかの糸や床に接している。赤い絹糸。床は黄系の木の色。円形からは、糸を放ったときの体の動きの反映か、うねりが感じられる。宙にある漏斗状の部分は体の器官のようにも思えたがどうなのかわからない。壁面の、からっぽの展示用ガラスケースが三方から作品を囲む。天井からの控えめな照明が作品全体にそそいでいる。ガイドを読むと、壁からの糸は東西南北を向いており、床の糸の長さはおよそ2万2千メートルとのこと。
次の展示室へ。暗い室内。南北に張られた糸から、一本の糸が床ぎりぎりまで垂れ、空調による空気の動きで常にゆれている。糸の色は白。垂れた糸は質感が異なり、しなやかでありながらごわごわとしたような感じ。結び目がいくつも見られる。手撚りの絹糸と知る。垂れた糸の周りを移動すると、場所によって糸が浮いているように見えたり、逆光だと光の線のように見えたりする。下端付近をスポットライトが照らしている。糸が動き、影がそれについていく。
三つ目の展示室。室内をななめに横切るように、東西に何本もの赤い糸が床近くまで弧をなして垂れた状態で張られている。作品手前の境界に沿って歩み、糸の流れを追う。明るくはない空間。糸があまり見えない位置から移動すると、ある場所で何本もの糸が明瞭に見えはじめる。何本もの糸は、浮遊するようにゆっくりと、あるいは水面のゆるやかな波立ちのように揺れ、なにかを奏で、呼吸をしている。幻を見ているようでもあるが、現実を見ている。稀な現象の体験。佇む。ときが経ちそこを離れ奥に進む。何度か行き来する。見えなくなる場所がある。にもかかわらず糸の存在を感じる。見えなかったのではなく、見ていなかったということかもしれない。振り返ると、上から弱い照明のあたる、L字型に直交するふたつの壁に沿った展示用ガラスケースの中にも、同じように糸が張られていた。「鑑賞ガイド」には、この展示室内に三つの作品名が記されていた。二つしか確認できなかったので、近くの係の人に尋ねる。もう一つの(下から弱い照明のあたる)展示用ガラスケースの中の、近づくことのできないところに、同じように設置されているのだが、肉眼では非常に見えづらいと図録を開いて説明してくれた。その説明の最中、「あるのに見えない、見えないのにある」ということばが聞こえる。26日にはここで作者のパフォーマンスが行われるそうだ。
ロビーに出て、ドローイングや小さな作品、この展示に関する映像を見る。美術館のエントランスの高いところにも作品があることを知るが閉館間際で見つける時間がなかった。
池内晶子 あるいは、地のちからをあつめて
府中市美術館
2021年12月18日〜2022年2月27日
https://www.city.fuchu.tokyo.jp/art/tenrankai/kikakuten/akikoikeuchi.html
●池内晶子《Knotted Thread-red-Φ1.4cm-Φ720cm》(ノッティドスレッド・レッド・直径1.4センチから直径720センチ)、2021年、絹糸、撮影:今井智己(上)
●池内晶子《Knotted Thread-h220cm (north-south)》(ノッティドスレッド・高さ220センチ(南北))、2021年、絹糸、撮影:今井智己(中)
●池内晶子《Knotted Thread-red-east-west-catenary-h360cm》(ノッティドスレッド・赤・東西の垂曲線・高さ360センチ)、2021年、絹糸、撮影:今井智己(下)
2月23日(水)
しらぬ間に壁の梱包材が落下していた。拾ってたたむ。
2月25日(金)
眠りにつく前、ふとんの中で「池内晶子 あるいは、地のちからをあつめて」の図録を読む。寝入りばな、東西および南北を結ぶ線が交わった十字が移動していき、中心部からなにかが流れ落ちる夢を延々見つづける。
2月26日(土)
再度府中市美術館での「池内晶子 あるいは、地のちからをあつめて」へ。14時から展示室でパフォーマンスが行われる。それにより、作品が変化すると聞いている。
作者は黒い服に黒い靴。展示室をななめに横切る作品の手前中央に右膝をついて低い体勢をとり、確かめるように床近くにたわんだ糸を手にする。指に力を入れて糸を切る。次の糸を同じように。作品は、全体がはっきりと見えているわけではなく、しかも遠近がはっきり判別できない。糸を切る手元に視線をそそいではいるが、所作、糸の切れた音、糸が張られていて通れなかったところを行為者が進んでいるということ、からも糸が切られたのだということを察する。糸に対して垂直ではなく、展示室の対向する壁に対して垂直に進んでいく。最後の糸が切られる。床に通り道ができている。切れた糸は床に接し、壁から宙にたわんでいる部分はなおもゆらめきをやめない。
時間を置き、次のパフォーマンスが始まる。円形の作品のある展示室の奥、南の方角から床の上の糸の端を拾う。南から東の方へ、円形の周りを反時計回りにすこしずつ移動する。左手を糸にあててすべらせ、右手に持った糸巻きに巻いていく。右手は手首を下から向こう側へ、向こう側から上方へ回転させ手前にという具合に動いている。床の糸が糸巻きに収められていく。一周目を過ぎた頃から糸に絡まりが目立ち、左手の指で絡まりを手繰りおくっているのが見てとれる。三周目あたりで、歩く速度が速まった。引っ張る糸は円形の内部にも影響し、手元だけでなく、広く絡まりが生じている。円形は、裂け目が発生し崩壊した渦のようにゆがみはじめ、巻きつける糸はもはや一本ではなく何本ものまとまり。糸を手繰り寄せるさまは網を引くようである。急速に大きな円形は消滅し、宙吊りの漏斗状のものの下に何十センチかの小さな円形が現れた。そしてその円形の糸もすべて巻き取られ、右手に残った、鞠くらいの大きさの赤い糸の塊が床に置かれた。終了後、係の人が大きなモップで、外側から内側へと円を描くように床を拭いた。
作品変容を目撃した直後の放たれたような心持ちで、かつての円形の内側まで移動された仕切りの境界ぎりぎりに立ち、近づいた宙づりの漏斗状のものを見る。離れたところに赤い塊。それから最初の展示室へと移り、パフォーマンスにより生じた通り道を進んで、以前は見えず近づくこともできなかったガラスケースの中の作品を確認する。
ロビーに出る。天井近くを眺め、先日は見つけられなかった作品を探す。同じことをしている人が数名。やがて発見し、嬉しくなる。
帰宅して、先日持ち帰った「鑑賞ガイド」を開く。紙面での南の方角なのだろうか、10センチほどの赤い糸がリング状の白いシールでついている。蚕の幼虫の吐いた分泌物が繭となり絹糸として加工され作者の手を経て作品となり、その一端がここにもある。この糸はどこへ繋がっているのか思い浮かべ、箱にしまう。
(2022/3/15)
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言水ヘリオ(Kotomiz Helio)
1964年東京都生まれ。1998年から2007年まで、展覧会情報誌『etc.』を発行。1999年から2002年まで、音楽批評紙『ブリーズ』のレイアウトを担当。2010年から2011年、『せんだいノート ミュージアムって何だろう?』の編集。現在は本をつくる作業の一過程である組版の仕事を主に、本づくりに携わりながら、『etc.』の発行再開にむけて準備中。