静けさについて 祐成政徳 ─余白─ |言水ヘリオ
静けさについて 祐成政徳 ─余白─
Text by 言水ヘリオ(Kotomiz Helio)
2021年10月2日(土)
帰宅して、今日のことを思い出そうとすると、そこにいたということは頭の中にだけ生じたエピソードなのではないか、という気がしてしまう。それは、どこかへ出かけて、たとえば砂浜へ行って、強い日差しの中、海を目の当たりにして、水と空の境をぼんやり眺めてしばらく過ごし、その水の色を覚えてはいるけれども本当に見たのかどうか確証が持てず、でも確かにそこから家に帰ってきていま机の前にいる、というときにも得る感覚。地図上の、ある地点に自分はいた、けれどもいま、別の地点に戻っている。いまここにいるのにかつてそこにいたなんてことがあるだろうか?
扉の把手を引いて中に入り、手を離す。扉が音を立てて閉まる。この場での、作品と自分との関わりに始まりが訪れる。自分の背丈をはるかに超える大きさの円形の作品が床を軸に左右の壁によりかかった状態で置かれている。置かれているのだが、それは「現れた」というような存在感でここにある。どうして目の前にこれがあるのだろうという唐突な驚き。空色というのか水色というのか。こちら側に見えている面は平面ではなく、円の中心部にむけてわずかなふくらみが感じられる。近づいて、撫でるように視線の焦点を合わせて目で追っていく。磨き上げられた表面。縁の厚みは数センチ。こちらからの視線をとどめるというよりは受け入れて、この場所に現れ続けることが問いかけへの返答となっているかのようだ。作者は手で感触を確かめながら、すこしずつ削り形づくっているのだということを後に聞いて知る。後から聞いたその制作への態度が、作品に感じていたことと繋がる。この、大きな、手で触れてうまれたものが、手で触れて呼び覚まされた作品が、視覚を通り触感をともなって感覚されたのであろうか。ただこの空間に身を置く。屋外からの日差しが、ガラスの扉を通って室内に入り空間を照らす。陽のあたっている部分と、影になっている部分とがある。
10月15日(金)
先日訪れた際には、この展示の案内状をよく見ていなかった。そこに記載されている展示タイトルのなかに、「余白」という文字があることに気づいたのは、家で案内状の内容を記録しているとき。もう一度見に行くことにした。
18時ごろ地下鉄の新江古田駅から地上に出る。会場へ向かって歩いている途中、かすかな甘い香り。目をあげると、暗がりに濃い色のオシロイバナがほのかな光をはなっていた。会場に着き、舗道からガラス越しに中を覗く。音が立たないように扉を閉めて中に入る。
作品を目の当たりにして、見えているものを見ながら立つ。そして数歩移動する。その間、自分になにかが生起していたとすれば、それは、この展示を見るものとしての展示への参加と没入による忘我だったのかもしれない。なにか考えたりしていたのだろうか。その時間帯のことを、時間の幅をもって思い出すことができない。やがて作者、この展示の企画者でもあるスペースの方との会話があり、また無言の時間が流れる。同じ展示をもう一度見ているのではなく、まだ途中であったその続きを見ている。そして、この展示を見終えるときは来ないのだろう。余白ということに関して、自分は本のページなどに見られる余白のことを考えていた。作者は絵を描くときに意識する余白のことを、スペースの方はこの空間に作品を設置することで発生する余白のことを、それぞれ考えていたのかもしれない。余白とは、なにかとの関わりにおいて共に生じるのであって、従属してあるものではないような気がする。余白ということばをまさぐりながら、灯りの照らす空間を見回す。入り口のガラス扉に、円形の作品と作者がおぼろげに映り込んでいる。その影を、横目で何度も眺めた。
入り口から外に出る。別の扉を開け、2階へ通じる階段を上ると、展示のための壁に、小さなサイズの作品がかかっている。その左下の床には、かたまりをざくっと面取りしたような木の作品。同じタイプの作品が、3階へと繋がる階段のたもとにも置かれている。壁の裏の台の上には、薄い石の作品が面を上に向けている。上ってきた階段の方に目をやると。天井だろうか床だろうか、それらにまたがるように真鍮の円柱が設置されている。
1階へ戻り、見ながら立つ。作者、スペースの方との会話があり、やがて無言の時間が流れる。奥の部屋に、小さな作品が並んでいる。2階にあったような作品と、木材の切れ端に見えるもの、そして漆塗りの木のスプーンなど。スプーン。くぼみにものを乗せ口に含むということ、またはそのことへの期待。
もしかして、と思い時間を確かめると、終わりの時間を10分過ぎてしまっていた。慌てて会場をあとにする。地下鉄に乗る前に駅付近で食事して帰宅。
静けさについて 祐成政徳 ─余白─
ノハコ
2021年9月24日〜10月17日
http://nohako.com/exhibition/19-yohaku-masanori-sukenari.html
●《sky》2021 木、布、ウレタン塗装 2320×2320×170mm photo/奥村基
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言水ヘリオ(Kotomiz Helio)
1964年東京都生まれ。1998年から2007年まで、展覧会情報誌『etc.』を発行。1999年から2002年まで、音楽批評紙『ブリーズ』のレイアウトを担当。2010年から2011年、『せんだいノート ミュージアムって何だろう?』の編集。現在は本をつくる作業の一過程である組版の仕事を主に、本づくりに携わりながら、『etc.』の発行再開にむけて準備中。