ドビュッシー:歌劇「ペレアスとメリザンド」|藤原聡
2018年8月1日 東京オペラシティ コンサートホール
Reviewed by 藤原聡(Satoshi Fujiwara)
写真提供:オーケストラ・アンサンブル金沢
<演奏>
指揮:マルク・ミンコフスキ
ペレアス:スタニスラス・ドゥ・バルベラック
メリザンド:キアラ・スケラート
ゴロー:アレクサンドル・ドゥハメル
アルケル:ジェローム・ヴァルニエ
ジュヌヴィエーヴ:シルヴィ・ブルネ=グルッポーソ
イニョルド:マエリ・ケレ
医師・牧童:ジャン=ヴァンサン・ブロ
合唱・助演:ドビュッシー特別合唱団
管弦楽:オーケストラ・アンサンブル金沢
コンサートマスター:アビゲイル・ヤング
演出:フィリップ・ベジア、フローレン・シオー
衣装:クレメンス・ペルノー
照明:ニコラ・デスコトー
映像:トマス・イスラエル
<曲目>
ドビュッシー:歌劇「ペレアスとメリザンド」
2018年9月よりオーケストラ・アンサンブル金沢(OEK)の芸術監督に就任するマルク・ミンコフスキ。最初にこの一報を耳にした際には少し驚いたものだ。2014年からOEKの首席客演指揮者の任にあったとは言え、まさかこの指揮者が日本のオーケストラでそのようなポストに就くとは思っていなかったからである。その就任記念コンサートとして今回ドビュッシーの『ペレアスとメリザンド』が演奏された。当初ミンコフスキが当曲を取り上げると判明した時は金沢まで行くしかあるまいと思っていたが、こうやって東京でも「特別公演」という形で演奏してくれたことは僥倖である。
そして結果的に当公演は非常に充実した感銘深いものとなった。恐らく日本における『ペレアス~』演奏史においても最高位に数えられるようなものとなったのは間違いあるまい。まずは音楽的な面から記そう。ミンコフスキが呼び寄せた歌手陣がおしなべて水準が高く、恐らく日本ではほとんど名の知られていない歌手達だと思うのだが、まず単純にこの点に驚く。想像以上である。中でも図抜けていたのがゴロー役のドゥハメルとアルケル役のヴァルニエだろう。前者は極めて情熱的な歌唱を繰り広げ、部分的にはより抑制された歌い口が好ましいと思われたものの、役柄の上からは十分納得が行くものだ。その表現力はこの日の歌手達の中でも随一。対して後者はその重厚な声質が素晴らしく役柄にマッチしていたが、威厳ある立ち振る舞いの中で苦悩を見事に表出していた。ペレアス役のスタニスラス・ドゥ・バルベラックのリリカルさと強靭さを兼備した歌、そしてメリザンド役のキアラ・スケラートの透明で可憐な歌唱。歌手による出来栄えにほとんどムラがない。これは録音で聴いてもなかなかないことだと思う。そしてミンコフスキの指揮も素晴らしい。OEKゆえオケの編成は小ぶりなものであったが、そのためばかりではなくミンコフスキの巧みな音量バランス調整によって声とオケの融合は極めて理想的なものとして客席に届いて来る。と思うと、小編成とは思えぬような迫力を聴かせる場面もあって一筋縄では行かない。弦楽器の音色の統一や木管楽器群の演奏精度がさらに上がれば…という瞬間もあったが、全体の出来栄えからすれば些細なことだ。既にOEKがミンコフスキの下でこれだけの演奏を成し遂げたこと自体が驚異的に思える。
装置や演出面。当公演のプログラムには「今回の日本公演はボルドー国立歌劇場とともに製作され、2018年1月ボルドー公演の演出をもとに、スケジュール、会場設備を考慮し、金沢、東京それぞれの演出によって上演されます」とある。金沢ではステージ・オペラ形式で演奏されオケはピットに入り、その上方には紗幕があったようだが今回の東京公演にはない。金沢と東京双方、ステージ後方にはスクリーンが掲示されているのは共通(金沢ではステージ前後、併せて2枚設けられたそうだ)。東京公演の場合オケは通常ステージに乗り、歌手たちの演技は入るがそれはオケ前方横長のスペースを用いたもので、だから東京公演は「セミ」ステージ形式ということである。地元ボルドー公演と金沢公演の写真を見ると、東京公演はオペラシティの空間的・設備的制約のためかそれらの夢幻的な空間とは相当に異なったものとなっていたのは残念ではある。しかし、それでもスクリーンに投影される洞窟、森、泉、星空などは極めて効果的にその音楽内容とシンクロしてイメージ形成に役立っており十分に満足の行くものだ。登場人物の顔(目)のアップやメリザンドの髪の毛、湖に落ちる指環などの映像もあり、しかしそれらはあくまで控え目に扱われ、それ自体が積極的な表現を主張する訳ではない。音楽を「邪魔」しない優れた映像とその使用法ではなかっただろうか。
衣装をつけた歌手陣の演技についても概ね適切で、ここでもあくまで主体は音楽である。有名な「塔の場面」でメリザンドは2階後方のP席から歌う(東京でのこの場面ではスクリーンに髪の毛を象徴する細かい線が投影されたが、金沢では紗幕に投影された髪が文字通りメリザンドから「落ちて来る」さまが写真で確認できる)。またメリザンドの死の場面では立ったまま死に赴く(これが東京公演独自の演出なのかどうかまでは調べ切れず。先述したプログラムの「それぞれの演出」という文言を読むにそうだったのかも知れない)メリザンドの後方にベッドであろう縦長の白い物体が立てられりもする。東京ではこのように制限があったであろう演出だが、そのような限られた状況だからこその抑制的な演出が逆に観客の想像力を喚起したということは言えそうだ。伝え聞く金沢でのステージと比較してどうこう言っても意味がない(既にどうこう言っているが‐苦笑。1番良かったのは両方観ることだった)。
このように総じて『ペレアスとメリザンド』の上演水準としては非常に高度のものが体験できたことは稀有な体験であった。このオペラは音だけで、もしくは映像作品で接してもどこかその晦渋さのイメージがついて回るのだが、このような優れた上演に接するとスッと頭と体に入って来るかのようだ。後は今後可能な限り多くミンコフスキがOEKを振ってくれることを期待しておこう。
(2018/9/15)