ブルーノ・カニーノ サンドリーネ・カントレッジ デュオリサイタル|丘山万里子
ブルーノ・カニーノ サンドリーネ・カントレッジ デュオリサイタル
2018年5月23日 Hakuju Hall
Reviewed by 丘山万里子(Mariko Okayama)
写真提供:プロアルテムジケ
<演奏>
ブルーノ・カニーノpf
サンドリーネ・カントレッジvn
<曲目>
ドビュッシー :
ヴァイオリンとピアノのためのソナタ
前奏曲集第1巻より
亜麻色の髪の乙女 (ハルトマン編)
ミンストレル (ハルトマン編)
レントより遅く (ロケ編曲)
スケッチブックから (ヒルデブラント編)
「ビリティスの3つの歌」より<髪> (ハイフェッツ編)
美しき夕暮れ (ハイフェッツ編)
ラヴェル :
ヴァイオリンとピアノのためのソナタ
ツィガーヌ
サン=サーンス :
序奏とロンド・カプリチオーソ イ短調 作品28
ワルツ形式によるカプリス (イザイ編)
酸いも甘いも嚙み分けた老紳士と、どこか少女のかけらを残す、でも成熟した女性の洒脱な語らいを、モンマルトルの夕暮れ時、カフェテラスの隣テーブルで一人聴くような。素敵に楽しく、どの曲にも惜しみなく拍手を送った一夜であった。
カニーノは草津音楽祭で親しんだピアニスト。1936年ナポリ生まれ。確かな見識眼で選りすぐられた音楽家が集う草津の常連で、古典から現代まで造詣の深い名手だ。
カントレッジは1969年ボルドー出身、私は初めて聴くが、そういえば彼女の音楽、複雑で芳醇なそのワインに似る(さして詳しくないが)。
ドビュッシーの『ソナタ』第1楽章、印象派のタッチとはこういうものだ、という見本みたいな演奏。ふっくら色彩感の豊かなこと、グラデーションの微妙繊細、ただ配色をあれこれ見せるだけでなく、ヴァイオリンの旋律線には時折流し目みたいなポルタメントがかかり(彼女の特徴)、それがドビュッシーの筆先の動きをそのまま写し、そこに響きあうピアノとともにこの音楽の輪郭(輪郭については本誌掲載、金子仁美さんの「五線紙のパンセ」を参照されたい)をぼうっと描き出す。一転、第2楽章は鋭角リズムを快活に刻み、ピッツィカートも良く鳴り(痩せる奏者が多い)、加えて前衛の扉をちらと開けて覗き見するような大胆さも。終楽章も両者切れ味鋭く、ある意味、このソナタ3章で印象派から現代に至るドビュッシーの立ち位置を見せてもらった感じ。さすがだ。
続く6曲の小品では「ミンストレル」に二人の魅力がはじける。ショー・ステージがありあり浮かぶ小粋なケークウォークの愉悦感。「レント」のハスキーヴォイスにカントレッジの持ち味全開、こんな風にヴァイオリンで喋る人は今どきそうは居ない、と感じ入る。
さらに唸ったのはラヴェルの『ソナタ』。音色がぐっと変化してぱらぱらと粒立ちの良いピアノに絡まるヴァイオリンの身ごなしの敏捷。現代ものを得意とするカニーノの打音のカラッとしたテイストにカントレッジ巧みに歌い、飛び回り。第2楽章ブルース、ピアノ低音の刻みにのけぞるように載って行くブルースの息づかい(というかモンローウォークのスローモーションを想起されたい)ときたら、冒頭に記した二人の会話の夜の部カクテル、といったら良いか。終曲の無窮動はめらめらテンペラメントで沸点へ。いや、参りました。
と、思ったら『ツィガーヌ』が、さらにこれを上回り。ソロ部分での彼女の節回しから始まり、全編『カルメン』の瞬殺ダイジェスト版を観ているようだった。つまり、カルメンとそれを取り巻く人々、ロマ(ジプシー)文化の猥雑で妖しい香気と野性味が強烈に渦巻き、客席を悩殺したのだ(ここでのポルタメントの威力はいうまでもなく)。しかも、彼女の歌や踊りに合いの手を入れるピアノの微妙なずらし、溜め、の眩惑力は半端なく、これぞ老紳士の凄腕、男女の駆け引きクドきの様を目の当たり、何やら嫉妬を覚えるほど。
などなど、どれを取っても蠱惑に満ちたひねり技、しかも毅然とした品がある。大人の音楽をたっぷり味わわせていただきました。感謝。
(2018/6/15)