サルヴァトーレ・シャリーノ オペラ『ローエングリン』|齋藤俊夫
サルヴァトーレ・シャリーノ オペラ『ローエングリン』
Salvatore Sciarrino: Lohengrin
2024年10月5,6日 神奈川県民ホール 大ホール
2024/10/5,6 Kanagawa Kenmin Hall main Hall
Reviewed by 齋藤俊夫(Toshio Saito)
Photos by 阿部章仁/写真提供:神奈川県民ホール
<演目、スタッフ、演奏者> →foreign language
サルヴァトーレ・シャリーノ:『瓦礫のある風景』
1.風と埃
2.粉砕
3.抹消
指揮:杉山洋一
Vn: 成田達輝、Vc: 笹沼樹、Cb: 加藤雄大、Fl: 齋藤志野、Ob: 鷹栖美恵子
Cl: 田中香織、Perc: 新野将之、Pf: 山田剛史、Gt: 藤本高輝
サルヴァトーレ・シャリーノ:オペラ『ローエングリン』
原作:ジュール・ラフォルグ
音楽・台本:サルヴァトーレ・シャリーノ
修辞:大崎清夏
演出・美術:吉開菜央
演出・美術:山崎阿弥
指揮:杉山洋一
出演(エルザ役):橋本愛
振付:柿崎麻莉子
衣裳:幾左田千佳
照明:高田政義
音響:菊池徹
スタイリング:清水奈緒美
ヘアメイク:石川ひろ子
舞台監督:山貫理恵
プロダクションマネージャー:大平久美
演奏:Vn: 成田達輝、百留敬雄、Va: 東条慧、Vc: 笹沼樹、Cb: 加藤雄大
Fl: 齋藤志野、山本英、Ob: 鷹栖美恵子
Cl: 田中香織、マルコス・ペレス・ミランダ、Fg: 鈴木一成、岡野公孝
Hr: 福川伸陽、Tp: 守岡未央、Tb: 古賀光、Perc: 新野将之
Tn: 金沢青児、Br: 松平敬、Bs: 新見隼平
人間が人間であるための部品が決して少なくないように
自分が自分であるためには驚くほど多くのものが必要なの
他人を隔てるための顔
それと意識しない声
目覚めの時に見つめる手
幼かった頃の記憶
未来の予感
それだけじゃないわ
(押井守監督、伊藤和典脚本、士郎正宗原作、映画『攻殻機動隊Ghost in the Shell』より)
エルザがエルザであるために必要だったもの、それは愛する美しき白鳥の騎士ローエングリンだった……のだろうか?この物語と呼ぶには断片的過ぎ、狂人の戯言・独り言と呼ぶには真実過ぎるモノオペラのヒロイン・エルザは何故あのように歌い狂い続けねばならなかったのだろうか?
本作品の前日譚であり、シャリーノが本作品中でそのテクストを断片化して用いたジュール・ラフォルグ『パルシファルの子、ロオヘングリン』1)において、ローエングリンはエルザを地上に残して、枕から化身した白鳥に乗って天へと帰ってしまう。エルザが巫女たちによる刑罰にかかるのを助けるために現れ、永遠の愛を誓ったその初夜に飛び去ってしまうのだから相当な男であるが(しかもヴァーグナーの『ローエングリン』のように「名前を尋ねてはならない」といった決め事はラフォルグ作品にはない)、エルザが彼をひたすらに恋い慕ったということは間違いないだろう。愛するローエングリンこそがエルザがエルザでいられる(自己同一性を保てる)根拠であった……のだろうか?と冒頭に掲げた問いかけを繰り返さざるを得ない。
エルザがエルザでいられる根拠とは、愛するローエングリンの存在ではなく、ローエングリン〈を愛する自分の姿〉だったのではないか? そしてその姿は〈若く美しいエルザ〉だったのではないか? エルザはローエングリンを自己の中に探し求め続けたのではなく、無意識の内に自己の中に〈自己陶酔的に恋に酔った自己〉を、それもかつて確かにあった〈はず〉の自己、つまりもしかすると〈過去にも本当は存在しなかった若く純潔で美しい自己の姿〉(橋本愛演じるエルザは独白の中でローエングリンの「無理なんだ、その貧相な腰。無理なんだよ、そのガリガリの腰が。たっぷりした腰じゃなきゃ、いやなんだ僕」という残酷な言葉を発していた)を探し求め続けていたのではないだろうか? ローエングリンが去ることによって〈今のエルザ〉を否定されたエルザは逆に〈過去の美しいエルザ〉をひたすらに記憶の中に探し求めていた、あるいは記憶の中に〈過去の美しいエルザ〉を構築し続けていたのではないだろうか?
では、エルザ自身の過去と現在についての独白(「あれは夜だった。あなたは輝く大きな白鳥に乗ってきた」という記憶についての言葉、「食べて食べて、膨らんだばかりの私の胸」といったエロチックな言葉、「素敵な王子様、す・て・き・な・お・う・じ・さ・ま」というかなり病んだ言葉、さらに「見て、見て、見て、見て、見てよ!」というヒステリックな叫びまで)、ローエングリンの過去の言葉(「わたしの小さなエルザ、僕の白い鳥さん」という睦言から、先の「貧相な腰」といった冷たい言葉まで)、過去の情景のト書き(「ローエングリンの目には何も映っていなかった」など)、しわがれ声、甲高い声、か細い声、野太い声など様々な声色を使っての「エルザ、エルザ、エルザ、エルザ、エルザ……」という速いつぶやきの連続、最後の最後の謎の童謡風の歌(「カラーン、コローン、カラーン、コローン。日曜日、晴れた朝~~よごれなかったとみんなに伝える鐘の音、ほら綺麗なままの悦びが響き渡るの」)など、エルザ1人の発する声が時間・空間を越えて無限に断片化された異形の台本が何故1人のエルザの精神世界を成り立たせ得たのだろうか。
いや、断片化された台本が異形なのではないのだろう。そもそも我々を成り立たせている記憶の束自体が時間的・空間的に断片化されていて、自他の別も曖昧に混じり合っているのだろう。我々は過去現在未来において自己を完全に構築して生きているのではなく、自己を断片化して生きている。自己を構成する断片群をエルザが薄明の中にあらわにすることによって、彼女に感情移入する我々も同時に自己を構成する断片群を自己の内に浮かび上がらせる。エルザが自己を再構築するのに合わせて我々も自己を再構築する。その媒介となるのが伴奏陣の微かな音響である。
そしてエピローグの、エルザが抱いていた枕が上昇する(これはラフォルグ作品の最後にローエングリンの力によって枕が白鳥に変化して飛んでいくのを踏襲している)のを見た時、我々の中にこみ上げる言いようもない解放感は、エルザが自己を再構築し続けて、ついに自己とローエングリンが一体となった完全な自己の姿を見出し得たという1つのハッピーエンドを迎え、それを見た我らもまた自己を肯定できたから、ではないだろうか。
本公演、まずはこれ以上の名演はありえないと思えるほどの熱演を見せてくれた橋本愛に第1功労賞を、シャリーノの音楽への深い理解なくしてあの精度の高い再現は不可能であったという点から指揮の杉山洋一に第2功労賞をあげたい。絶対に簡単ではないこの作品を会場の全員が心から楽しみ、驚愕したというのは実に出演・演奏・演出メンバーの功績が大であろう。
『ローエングリン』の言わば前座をつとめた『瓦礫のある風景』にも簡単に触れておこう。軋んだ音が支配し、まるで会場が瓦礫だらけになったような感触を与える第1楽章、ショパンのマズルカが断片的に、見え隠れして現れ、死んだ者たちの記憶が奏でられるような第2楽章、マズルカが流れる上にラチェットが被さり、爆撃の中で開かれる酒宴のような第3楽章、と、どこにも隙のない厳しい倫理的な問いかけをしてくる作品であった。この作品の再現にも指揮者杉山の現代音楽へ非凡な感性が現れていたと言えよう。
謎に満ちたオペラだとは事前に聞かされていたが、これほどまでに豊かな謎に満ちたものとは思いもせず、知性と感性を総動員させられて大満足な舞台、人間の創造力の無限の可能性を信じさせてくれる、そんな体験であった。
1)プログラムの沼野雄司氏による曲目解説では、ラフォルグがヴァーグナーの『ローエングリン』のパロディとして『パルシファルの息子、ロホエングリン』という「シッチャカメッチャカで荒唐無稽な話」を書いた、としているが、筆者が吉田健一訳『ラフォルグ抄』講談社文芸文庫、2018年所収の同作品を読んだところではこのラフォルグ作品は神秘的な詩的散文としか思えなかったこと、またローエングリン伝説はそもそもヴァーグナー以前からヨーロッパに存在してきたものであり、ヴァーグナー作品こそそれを翻案したものであることを付記しておきたい。
(2024/11/15)
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<Pieces, Staff and Players>
Salvatore Sciarrino: Paesaggi von maccerie(2022) per ensemble
1. Vento e polvere
2. Frantumi
3. Cancellazione
Conductor:SUGIYAMA Yoichi
Vn: NARITA Tatsuki, Vc:SASANUMA Tatsuki, Cb: KATO Yuta
Fl: SAITO Shino, Ob: TAKASU Mieko, Cl: TANAKA Kaori
Perc: NINO Masayuki, Pf: YAMADA Takashi, Gt: FUJIMOTO Koki
Salvatore Sciarrino:Lohengrin(1982-84)
Original novel: Jules Laforgue
Music, Libretto: Salvatore Sciarrino
Rhetoric: OSAKI Sayaka
Stage director & Set Designer: YOSHIGAI Nao
Stage director & Set Dedigner: YAMASAKI Ami
Conductor:SUGIYAMA Yoichi
ELSA: HASHIMOTO Ai
Choreography: KAKIZAKI Mariko
Costume: KISADA Chika
Lighting: TAKADA Masayoshi
Sound Engineer: KIKUCHI Tohru
Styling: SHIMIZU Naomi
Hairstyling: ISHIKAWA Hiroko
Stage manager: YAMANUKI Rie
Production manager: ODAIRA Kumi
Vn: NARITA Tatsuki, HYAKUTOME Takao, Va: TOJO Kei
Vc:SASANUMA Tatsuki, Cb: KATO Yuta
Fl: SAITO Shino, YAMAMOTO Hana, Ob: TAKASU Mieko
Cl: TANAKA Kaori, Marcos Pérez Miranda
Fg: SUZUKI Kazunari, OKANO Kimitaka, Hr: FUKUKAWA Nobuaki
Tp: MORIOKA Mio, Tb: KOGA Hikaru, Perc: NINO Masayuki,
Tn: KANAZAWA Seiji, Br: MATSUDAIRA Takashi, Bs: NIIMI Jumpei