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マーク・パドモア(テノール)&大萩康司(ギター)| 秋元陽平

マーク・パドモア(テノール)&大萩康司(ギター)
Mark Padmore(Ten) & Yasuji Ohagi(gui)

2024年10月16日 トッパンホール
2024/10/16 Toppan Hall
Reviewed by 秋元陽平(Yohei AKIMOTO)
Photos by 大窪道治 (写真提供:トッパンホール)

<キャスト>         →Foreign Languages
マーク・パドモア(テノール)
大萩康司(ギター)

<曲目>
ダウランド:さわぎ立つ思いよ/もういちど帰っておいで、やさしい恋人よ/優しい森よ/あふれよ、わが涙
ブリテン:オペラ《グロリアーナ》Op.53より〈エセックス伯の第2リュート歌曲〉
アレック・ロス:《わがリュートと私》より〈Sometime I Sing〉
シューベルト:
水の上で歌う D774/野ばら D257/《白鳥の歌》より〈セレナード〉D957-4/
夜曲 D672
ブリテン:中国の歌 Op.58
スティーヴン・マクネフ:《エデン・ロック》より〈ある男〉〈エデン・ロック〉
アレック・ロス:チャイニーズ・ガーデン
イングランド民謡:
スカボロー・フェア(ロス編)/恋人にリンゴを(ブリテン編)/
ボニー・アット・モーン(ブリテン編)/キジバト(ロス編)
(アンコール:アイルランド民謡「庭の千草」(大萩康司編))

 

黒胆汁をその語源に持つ激しい憂鬱の病メランコリーに対して、トマス・グレイをはじめ、ヨーロッパの詩的伝統はしばしば撞着語としての「白いメランコリー」を対置してきた。それは絶望というほどではなく、むしろある種の倦怠の悦びを伴った、芸術家の心を持つひとびとの慰めである。パドモアと大萩の誘いでエリザベス調のメランコリー趣味とその乱反射を味わって、改めてこの矛盾を孕んだ感情のうつろいかたの多種多様に気づく。ダウランドのそれは感情のとめどない横溢に見えてその実、さまざまな修辞への目配せを欠かさない流麗さをたたえているし、シューベルトのそれは、より深く暗いところへ潜ってゆくことそれ自体を楽しむダイナミクスが全体に一抹の緊張を与えている。ブリテンが民謡や遠い東洋の箴言めいた詩句に十重二十重に屈折したおのれの反省的な享楽を託すとき、それを聴くほうは稚鮎の頭を噛みつぶすような苦みにおそわれながらも、その残酷なまでの達観に胸の空く思いがする。
同じトッパンホールで歌ったボストリッジが、さまざまな意味で演劇的な距離を導入するアプローチと、それに相応しいプログラムを選んだのに対して、パドモアは、これらの詩人たちの様々なる吐露を、その隣で穏やかに佇み、それらを抱擁するかのように歌う。それはまさにこのプログラムが持つ白いメランコリーの悦びを引き出すものだった。そして、わたしにとって予想外であったことに、上に連ねたようなビッグ・ネームによって普通ならば霞んでしまいかねない現代作品こそが、このコンサートのハイライトであったことを強調しておきたい。スティーヴン・マクネフの『エデン・ロック』は、失われた家族の追憶を巡る息の詰まるような描写詩なのだが、そこには死のもつ隔たりだけではなく突き上げるような懐かしさの温かみがあって、パドモアの柔らかいアプローチがそれを引き出すことを作曲家は知っているのだと思わされる。アレック・ロスの『チャイニーズ・ガーデン』は、オリエンタリズムの誘惑が持つ憧憬の、夢のような体感時間の長さがあって、この歌によるユートピアの水先案内人には、これまたパドモア以上の適任がいるとは思われない。
そしてもう一つ強調すべきは、大萩康司の静謐なギターである。彼の研ぎ澄まされた演奏とともに歌ってみたいと、思わず考えない歌手がいるだろうか? しかしそれは同じ高みに立つ相応の覚悟がいることだろう。ブリテンや現代曲で披露される技巧もさることながら、ダウランドやシューベルトにおいて、歌手のあとにこぼれ出すような単旋律、それこそ数音でも、語りの律動を手放さずに、静かに、しかし歌手と同じくらい雄弁に歌うのだから。本来想定されるリュートとの音量差からへんに抑制的な演奏になるということがなく、楽器の響きを解放する匙加減を知悉した演奏だ。シューベルトの音楽の深さと暖かさは切り離せないものだが、『夜曲』中間部のアルペジオは、グランド・ピアノで演奏されるそれよりもずっとひそやかな響きになり、いわば親密さを通して深淵を覗く格好になる。例えば、打ち解けた夕べの歌い交わしのさなかに、戸外の荒天を思い描くような…。

(2024/11/15)

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<Cast>
Mark Padmore, Tenor
Yasuji Ohagi, guitar

<Program>
Dowland: Unquiet thoughts / Come again, sweet love doth now invite / O sweet woods / Flow my tears
Britten: ‘The Second Lute Song of the Earl of Essex’ from “Gloriana” Op.53
Alec Roth: ‘Sometime I Sing’ from “My Lute and I”
Schubert: Auf dem Wasser zu singen D774 / Heidenröslein D257 / ‘Ständchen’ from “Schwanengesang” D957-4 /
Nachtstück D672
Britten: Songs from the Chinese Op.58
Stephen McNeff: ‘A Certain Man’ ‘Eden Rock’ from “Eden Rock”
Alec Roth: Chinese Gardens
English folk songs: Scarborough Fair (arr. A.Roth) / I will give my love an apple (arr. Britten) / Bonny at Morn (arr. Britten) / The Turtle Dove (arr. A.Roth)
(Encore : Irish Folksong “Niwa no Chigusa” arr. Yasuji Ohagi)