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META XENAKIS「クセナキスと舞」|齋藤俊夫

META XENAKIS「クセナキスと舞」
Meta Xenakis – Xenakis & Mai –

2024年9月21日 神奈川県立音楽堂
2024/9/21 Kanagawa Prefectural Music Hall
Reviewed by 齋藤俊夫(Toshio Saito)
Photos by Junko Nagata/写真提供:GreeceJapan.com

<曲目・演奏>        →foreign language
全てヤニス・クセナキス作曲
(ロビーパフォーマンス)
『オコ』
  打楽器:齋藤綾乃、濱仲陽香、細野幸一

『ルボン a,b』
  能舞:中所宣夫
  打楽器:加藤訓子

『プレイアデス』
 I.総合
 II.金属
 III.鍵盤
 IV.太鼓
打楽器:悪原至、青柳はる夏、齋藤綾乃、篠崎陽子、敦賀朝香、戸崎可梨
    富田真以子、濱仲陽香、古屋千尋、細野幸一、三神絵里子、横内奏

『プサッファ』
  ダンス;中村恩恵
  打楽器:加藤訓子

 

開演前のロビーパフォーマンスの『オコ』の時点で実に楽しいクセナキスを聴く。膜鳴楽器の飾らない音による合奏がこちらの心も裸にする。音楽を聴くことに難しいことなど何も無い、楽しめばそれが一番なんだよ、とクセナキスが言ってくれるようだ。

ホールに入っての演目、まずは能舞の中所宣夫と加藤訓子の打楽器ソロによる『ルボンa,b』、クセナキスならではの整然とした数学的秩序に従って主として膜鳴楽器を打ち鳴らす加藤の生演奏は、録音音源とは比べ物にならない音圧・迫力で現前する。しかしどうだ、その打楽器と、極限にまで動作を切り詰め、一見打楽器と無関係のように舞う中所の能舞との一体とならざる一体化を見よ。我々の想像力のキャンバスにごくごく細い墨線を描いていく能舞と、リズムに乗って大量の水墨の滴を垂らしていく打楽器。共にキャンバスにベタ塗りは決してしない。二人が演ずるにつれて描線、点描が増えつつも、江戸時代の水墨画の大家・池大雅の言「紙上に一物もなき所こそ為し難し」のその「紙上に一物もなき所」もが同時に広がり、またキャンバスのスケールも拡大していく。打楽器が軽快でややポップな打音を響かせる『ルボンb』では中所は能の仕舞を踊っていたように思えたが、その仕舞の時、異様に巨大な影が想像力のキャンバス上に映し出された。この打楽器と能舞のコラボレーションは人間的/非人間的、有/無の(西欧的?)二項対立を無化し、新たな次元へと我々の想像力を高める鑑賞体験であった。

では、後半の中村恩恵のダンスと加藤の打楽器ソロによる『プサッファ』はいかなる鑑賞体験となったであろうか。中村のダンスは滑らかに、冗舌に踊り、語る。打楽器の音に合わせて、例えばバスドラムが「ドン!」と叩かれればその音に合わせて「ビクッ」とダンスで反応する。自在に、自由に体を蠢かせて打楽器と交響的に運動する。しかし、それがあまりにも人間的過ぎるのだ。中村のダンスはクセナキス・加藤の打楽器をなんらかの人間的メッセージ、物語に翻訳して我々に伝えようとしてくる。だが、クセナキスの非人間的あるいは脱人間的音響を人間的に翻訳しようとすると、音楽そのものと齟齬・衝突が起き、表現として無理があるもの、過剰に人間的なクセナキスになってしまう。筆者の求めるクセナキスとは異なるクセナキス。先の中所の能舞と中村のモダンダンスの表現の性格の根本的相違が如実に現れた舞台と見た。

プログラム中間の『プレイアデス』、I(総合)のイントロダクション、金属打楽器から鍵盤楽器から膜鳴楽器へとバトンが渡されるその響き、ファンタスティックにも程がある!ガムラン的に構築された交響的ダイナミックかつエレガントかつパワフルな、柔にして剛、剛にして柔な12人の合奏に陶然として酔う。最後の全員乱打は凄すぎた。
II(金属)、イントロのリズム・拍・縦の線をずらして叩く技術にまず舌を巻く。金属打楽器の冷たい音の集合が途轍もない熱量をもって迫ってくる。合奏による倍音と差音のマジック、さらに楽器ごとのごくごく微小な音高のズレが集団の音響的豊かさを増し、恍惚たるクセナキスワールドを形成した。
III(鍵盤)ガムランをクセナキス化した、と言えるような鍵盤楽器の合奏。ヴィブラフォンが音の波を作り出し、マリンバがその波から飛び跳ねる魚のように自在な運動を聴かせる。誰だ? 現代音楽にはメロディがないなどとほざいた奴は? これがメロディでなくてなんだというのだ? 調性も無調もなく、美しいものは美しいと認めるのだ。実に軽やかで朗らかな音楽ではないか。
IV(太鼓)我々人類の蛮性と理性が一体となった始源的感性を呼び覚ます。人間が自然から切り離される前の、人間と自然が共に一体となった時代の音楽。ここでも打楽器アンサンブルによるメロディとも呼べるものがリズムと共に聴こえてくる。終盤、ティンパニー等が音高を上下させての波を作り出し、そこから拍打ちでディミヌエンドして全曲が終了。たまらなく刺激的な音楽・音響だった。

最近筆者が読んでいるエドマンド・バーク『崇高と美の起源』では、崇高は常に恐怖を持って立ち現れるとあるが、今回のクセナキスからは恐怖を感じなかった。敬虔な畏怖と感興の念を呼び覚ますクセナキスの崇高な音楽と舞とモダンダンスのコラボレーション、類まれなる舞台として記憶に刻まれたことをここに記録したい。

(2024/10/15)

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<Pieces & Players>
All Pieces are composed by IANNIS XENAKIS
(Lobby Performance)
“Okho”
 Perc: Ayano Saito, Haruka Hamanaka, Koichi Hosono

“Rebons a.b.”
 Noh Dance: Nobuo Nakasho
 Perc: Kuniko Kato

“Pléïades”
 I. Mélanges – mixtures
 II. Métaux – metals
 III. Claviers – keyboards
 IV. Peaux – skins
 Perc: Itaru Akuhara, Haruka Aoyagi, Ayano Saito, Yoko Shinozaki, Asaka Tsuruga, Karin Tozaki, Maico Tomita, Haruka Hamanaka, Chihiro Furuya, Koichi Hosono, Eriko Mikami, Kana Yokouchi

“Psappha”
 Dance: Megumi Nakamura
 Perc: Kuniko Kato