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山根一仁&阪田知樹 ヴァイオリン&ピアノ デュオ・リサイタル|齋藤俊夫

山根一仁&阪田知樹 ヴァイオリン&ピアノ デュオ・リサイタル
Kazuhito Yamane & Tomoki Sakata Violin & Piano Duo Recital

2024年9月28日 神奈川県立音楽堂
2024/9/28 Kanagawa Prefectural Music Hall
Reviewed by 齋藤俊夫(Toshio Saito)
写真提供:神奈川芸術協会

<曲目>        →foreign language
(全てVn山根一仁・Pf阪田知樹が共演)
フリッツ・クライスラー:『愛の喜び』『愛の悲しみ』
カロル・シマノフスキ:『アレトゥーザの泉』(神話 op.30より)
フランシス・プーランク:『ヴァイオリン・ソナタ FP.119』
バルトーク・ベーラ:『ルーマニア民族舞曲』
セルゲイ・プロコフィエフ:『ヴァイオリン・ソナタ第1番ヘ短調 op.80』
モーリス・ラヴェル:『ツィガーヌ』
(アンコール)フリッツ・クライスラー:『美しきロスマリン』

 

チラシの山根と阪田の写真を見よ。口角を上げながらも目をキッと見開いてこちらを睨むかのような山根、口角こそ下を向いているものの目を閉じた静かな表情が仏像のような安らぎを感じさせる阪田。この長い友人同士2人の音楽が写真に映し出されているようではないか。「獣と仏」、誤解を生むのを恐れずに形容するならばこう言ってしまえるだろう。対照的な2人がどのようなアンサンブルを聴かせてくれるのか、筆者ら満場の聴衆は期待度MAXで耳をそばだてた。

まずクライスラーの『愛の喜び』、愛らしい小品、のはずだったのに山根のヴァイオリンのぶった斬り方が凄い。バッハの無伴奏曲集、あるいは現代音楽のよう。確かに重音を多用したこの作品は意外と難易度が高いのかもしれないが……それにしてもこの気迫は何事なのだろうか。
そこから『愛の悲しみ』へと進むと、今度のヴァイオリンはもの寂びた趣を帯びる。阪田のピアノの優しさが胸に染み入る。セピア色の写真のようだ。短調から長調へと転調して終曲を迎えると筆者の心の中の強張りが失せていることに気が付いた。

シマノフスキ『アレトゥーザの泉』、ピアノは揺らめく水面の光。そこにヴァイオリンが悲しみの船を浮かべる。山根が直截的に感情を訴えるのを受け取って、音楽的に浄化させてこちらに届ける阪田のピアノの包容力が素晴らしい。悲しみはあるが、救いもまたある。

プーランク『ヴァイオリン・ソナタ』第1楽章、プーランク節に載せられたヴァイオリンとピアノの重量が実に大きく、共に軋んでいる。新古典主義の形式美はプーランクの十八番であるが、そこからはみ出してしまう部分に作曲者の激烈な感情が込められ、それを見事に、つまり恐ろしい有り様で提示する山根と阪田。なんたる力量か。
第2楽章、透き通る阪田のピアノ。そこに寄り添うようにヴァイオリンの音が流れる。2人の音の共振に愛を感じる。しかし、希望と共に確かな悲しみを湛えている。
第3楽章はプーランク節の狂気がフルパワーで襲いかかってくる。長調(あるいはそれに近い何かの旋法)が実に怖い。山根のダイナミズムと阪田のピアニズムがぐいぐいと音楽世界にこちらを引っ張り込んでくる。プレストの頂点のピアノの強打からアダージョに至り、何か大切なものを失った悲しみが湧いてくる。その後のあっけらかんとしてるような終わりの和音強打も謎を含んでいる。この「虚」と「実」が入り混じったような音楽の「真」を的確に山根と阪田が射抜いたと聴いた。

バルトーク『ルーマニア民族舞曲』、これはもう山根の独壇場的快演で、30歳を前にして貫禄すら感じさせる、野趣に満ちた民俗的音楽を聴き入るばかりだ。聴いているこっちが椅子を蹴飛ばして踊りだしたくなるような心地よさ。阪田はニコニコと山根に付き添う。

プロコフィエフ『ヴァイオリン・ソナタ第1番』第1楽章、ピアノがゆっくりと音楽の始まりを告げるが、その音はまるで弔鐘のようだ。ヴァイオリンが不吉にうめく。全てがもう終わったのか。あるいは全てがここから始まるのか。
第2楽章、鋼鉄のフォルティッシモ!フルスロットルで山根は擦り、阪田は叩く。たった2人が演奏しているとは思えないほどの交響的スケールの音楽。軍靴の音も聴こえてはこなかっただろうか? ここにプロコフィエフの故郷ウクライナ・ドネツク州の現在の惨劇を重ね合わせてみてしまう筆者の目と耳は節穴か?
第3楽章、2人の音がキラキラと輝いているようで、息をひそめている、いや、息を殺しているようだ。体を縮こまらせて、何かを恐れている。息ができない。胸がふたがる。リリカルでもセンチメンタルでもなく……一体どのように形容しようか、この叙情的ならざる叙情性は。阪田のピアノの輝きが眩しいようで、哀しい。ああ、切ない、と言えるのかもしれない。
第4楽章、何だこの狂った快活さは? 山根には寂びた凄みが、阪田にははろばろとした広がりがある。だが、美しいと言うにはこの音楽はあまりにも狂気を帯びている。何故この音楽に惹かれてしまうのだろうか、我々人間は。ピアニッシモに至って歓喜に満ちた惨劇は終わるようでまだ続き、さらなる物語の最後は人間という愚かな存在の永遠の業を感じさせた。何故我々は罪を恐れずに狂うことができるのだろうか?

ラヴェル『ツィガーヌ』、ロマ音楽は山根の音楽にピッタリである。超絶技巧による太い音の旋風に痺れるばかり。阪田のピアノもきらめき、2人で一体となって駆け抜ける。爽快極まりない。

アンコールの『美しきロスマリン』は冒頭のクライスラーと同じく可愛らしさよりも凄みがやっぱり出てしまう山根の獣性と、柔らかに音を広げる阪田の仏心の対照がまたしてもクローズアップされたが、それでこそこのデュオの音楽は映えるというものだ。この天才2人と同じ時・同じ国に生まれたことを心から喜びたい。

(2024/10/15)

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<Pieces>
(All pieces were performed by Kazuhito Yamane(Vn) and Tomoki Sakata(Pf))
Fritz Kreisler: Liebesfreud, Liebesleid
Karol Szymanowski: Zródo Aretuzy / Mity op.30
Francis Poulenc: Sonate pour violon et piano
Bartók Béla: Román népi táncok
Sergei Prokofiev: Sonata for violin and piano No.1 f-moll op.80
Maurice Ravel: Tzigane
(encore)Fritz Kreisler:Schön Rosmarin