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都響スペシャル (7/5)|藤原聡

都響スペシャル(7/5)
TMSO Special 

2004年7月5日 サントリーホール
2024/7/5 Suntory Hall
Reviewed by 藤原聡(Satoshi Fujiwara) 
Photos by Rikimaru Hotta/写真提供:東京都交響楽団 

〈プログラム〉        →foreign language
ブルッフ:ヴァイオリン協奏曲第1番 ト短調 op.26
※ソリストアンコール
ピアソラ:タンゴ・エチュード第3番
ブルックナー:交響曲第4番 変ホ長調 WAB 104
  『ロマンティック』(コーストヴェット:1878/80年)

〈演奏〉
指揮:ヤクブ・フルシャ
ヴァイオリン:五明佳廉
コンサートマスター:矢部達哉

 

本誌Vol.106に既に記載したが、フルシャ7年ぶりの都響帰還が実現したこの6月末及び7月頭の2種のプログラムによる4回のコンサート。6月のオール・チェコ・プログラムのレビューはそちらの号を参照いただきたいが、今回取り上げるのは7月のブルッフとブルックナーのコンサートである。個人的にはフルシャのブルックナー、と聞いてもこの両者の繋がりには余りピンと来ないものがあった。もちろんレパートリーに入っていて当然であるし、何よりもバンベルク響を指揮してのコーストヴェット版3種の『ロマンティック』の録音をリリースもしているのだからフルシャとブルックナー、縁が薄いどころか指揮者にはかなりのこだわりがあると見てよかろう。ともあれ、ブルックナー生誕200年記念として演奏される『ロマンティック』、フルシャならば清新な音楽を紡ぎ出すことを期待する。ありきたりなものにはならないだろう。

そのブルックナーの前に演奏されたのはソリストに五明佳廉を迎えてのブルッフの協奏曲第1番。寡聞にして筆者はこのヴァイオリニストを存じ上げなかったのだが、フルシャは五明と何度も共演を重ねており、何年も前から東京で演奏できたらよいね、と話をしていたとのこと。今回のブルッフは五明のチョイスとフルシャはインタビューで述べる。さてその五明の演奏だが、いささか線は細いものの、非常に艶のある美音を駆使して清廉な表現を聴かせる。ボウイングが正確で常に安定していて音程がふらつかず均一感がある。アーティキュレーションも丁寧で弾き飛ばすような箇所は皆無、音色は雑味がない。言うならば非常に模範的な奏楽であったとは言えるだろうが、それゆえ踏み込みにはいささか欠ける印象も(「美は乱調にあり」とまでは言わないが)。しかし小気味良いリズム感は大変に素晴らしく、それが第3楽章を一段と映えるものにしていた。現在の五明はアップテンポで楽想が目まぐるしく変転する作品により適性を感じさせる(その意味ではアンコールのピアソラは最高の出来栄え)。フルシャのサポートはソリストに完璧に寄り添い、決してソロをスポイルせず、しかし薄味にならない。オケのみの箇所ではしっかりと開放するのでそのコントラストも絶妙。フルシャの協奏曲伴奏がこれほど巧みであったとは。五明にはいささか申し訳ないが、フルシャと都響の盤石のバックにより感嘆させられたブルッフである。

後半はアメリカの音楽学者コーストヴェット改訂(1878/80年)によるブルックナーの『ロマンティック』。荒削りでモダンな第1稿(1874年)、最も一般的な第2稿(1878/80年)、そしてレーヴェ改訂版。3つの版が存在する『ロマンティック』をそれぞれコーストヴェットが改訂しており、先述したようにフルシャはその3種を全て録音している。この度の都響の客演に際してフルシャが選んだのは第2稿。「今回は珍しさを取るよりも、スタンダードな稿で演奏し、オーケストラとじっくり解釈を深めていきたいと思っています。」(月刊都響No.403掲載のフルシャへのインタビューから)。このコーストヴェット版、聴感上はハース及びノヴァーク版との折衷という印象で、月刊都響の舩木篤也氏の記述によればハース/ノヴァーク両版にない独自のテンポ変化の指示があるとのこと。

版の詳細に立ち入るのが本稿の目的ではないので(もとよりそんな能力は筆者にはないが)演奏について触れれば、速めのテンポによるスポーティで明晰な表情が一貫、ダイナミクスの対比も極めて大きい。バランス的には内声や木管を丁寧に浮き立たせ主旋律ベタ塗りではない立体感を随所で抽出していたし、トランペットを始めとする金管群に抑制された表現を要求していると思しき箇所もある。先に記したコーストヴェット版独自というテンポの変化を活かしたのかは定かでないが、それが目立つ箇所もある。いかにも勿体ぶった重厚な表現は全く存在しないが、さりとて軽く感じることもない。フルシャが楽曲の構造を見据えて適切なバランスでオケを鳴らしているからだろう。聴者によっては響きにより重さを求めるかも知れないが、筆者には必要にして十分なものと感じられた。但し、この路線でブルックナーの他の交響曲を―特に後期の―演奏したならぱあるいは腰の軽さを感じるかも知れない。どうあれ、現代のブルックナー演奏として間違いなくトップクラスの水準であろう。都響の技術力もいつもながら全く見事なものだ。

フルシャがこの後都響に再登壇する日がいつになるのかは分からないが、このような充実した演奏を実現させた場に居合わせたからにはそれを期待しない訳には行かない。この指揮者が都響を振るとインバルや大野和士とは明確に異なる響きが現出するのだから。それを中欧の響き、と言ってもあながち外れてはいないのではないか。

(2024/8/15)

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〈Program〉
Bruch:Violin Concerto No.1 in G minor,op.26
※Soloist encore
Piazzolla:Tango Etude No. 3
Bruckner:Symphony No.4 in E-flat major,WAB104,“Romantic”(Korstvedt:1878/80)

〈Player〉
Tokyo Metropolitan Symphony Orchestra
Jakub HRŮŠA,Conductor
Karen GOMYO,Violin
Tatsuya YABE,Concertmaster