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三つ目の日記(2024年7月)|言水ヘリオ

三つ目の日記(2024年7月)

Text by 言水ヘリオ(Kotomiz Helio) :Guest

 

小学六年生11歳。夏休み中の7月に入院。先天性内反足の、左足の手術。手術直後から足が腫れ、ギプスの中で圧迫されて感覚がない。その後左足は麻痺したままになる。当初2、3週間の入院の予定だったが、退院できない。だいぶ日がたってから、ギプスの表面にしみが現れなかからにおいがするため、切開すると、縫い合わせた傷口が膿んでいた。ピンセットで押さえられたとき膿と血が飛び出た。以後数か月にわたり、傷口に毎日の注射が欠かせない。内反足がよくなった云々ではなく、傷口がようやくふさがったということで、松葉杖による歩行訓練が始まり、12月末に退院。それから数年間、リハビリを続けるが、左足は麻痺したままで治らなかった。この手術は失敗と思われるが、医師はそれにかんすることはなにも口にしなかった。成長期にこのような状態であったため、左足は細くすこし短い。歳をとり、かなりガタがきている。この季節になると、病院でのことを思い出す。小さなラジオで聞いた「一慶・美雄の夜はともだち」、昼食に出たこども向けの甘口カレー、隣室で亡くなったやっくん、大きなやかんの麦茶。

 

2024年7月4日(木)
ほとんど外出しないので、夏のひどい暑さをあまり知らない。今日は午前中から外に出た。暑かった。清澄白河駅から東京都現代美術館まで歩く。途中にある店で食事をするつもりでいたが、店の前に着くと木曜日が定休日だった。館のカフェでパンを食べる。
サエボーグの展示室の入口に近づく。人々の気配がして、中でなにか行われている様子が伝わってくる。木の根元の巨大なうんこに巨大な蝿がたかっている。木々にかこまれた門のような作品の入口。そこをくぐる。なかでは、低い音。「サエドッグ」と呼ばれているラテックス製の大きな犬が、円形舞台の上にいる。涙を流し、長い舌をぶらさげている。背中やお尻のあたり、毛がはげて地肌が見えているようになっている。とりかこむ来場者の方を順番に向いて、忠実に犬の所作をする様子を、遠巻きに眺める。目が合い、近づいてゆく人がいる。サエドッグも近づき、頭を寄せて合わせたり、お手の仕草をして手を繋いだりしている。ふたりはまた離れ、近づく人があらわれるとまた、触れ合いが始まる。気がつくと、わたしは、円形舞台の周りを半分くらい時計回りにまわっていた。しかも、作品の求心力だろうか、すこしずつ近づいていたのである。
突然、聞こえていた音が変わり、照明がくらく点滅する。サエドッグは、儀式にも見える動作をし、来場者とのかかわりを断ち、ひとりになる。横たわった姿。その背中をしばらく見ている。
音と照明が元に戻り、サエドッグはふたたび、来場者とかかわり合う。円形を4分の3くらいまわったころ、自分でも驚くほどサエドッグに近づいていた。目が合い、自然に、ふたりは頭を合わせる。あごをなで、頬を寄せ、手を繫ぐ。もう一度頭を合わせ、目をつぶる。短い時間のなかでの出来事。
ここは森の中だろうか。木々は、上にも下にもはえている。奥のスペースは、美術館の壁がむき出しだ。
作品の門を出て振り返ると、遠くから、こちらを向いて座っているように思える。そう思い込んで、しばらくそのまま眺めている。また音が変わり、照明がくらく点滅する。すこし移動して、門の横にある窓からなかを覗く。音と照明が元に戻る。後ろを向き、その場から離れる。円形舞台の上では、かわらずに、サエドッグがまわりの来場者に犬の所作をしている。

サエボーグ I WAS MADE FOR LOVING YOU
東京都現代美術館 企画展示室3F
2024年3月30日〜7月7日
https://www.tokyocontemporaryartaward.jp/exhibition/exhibition_2022_2024.html

 

7月10日(水)
高田馬場にて。昼食をとるため、ミャンマー料理店に入る。ダンバウという、スパイスの効いた炊き込みご飯の上に骨つきの鶏肉がのっているものを注文。店内にある大きなテレビでは、昼の番組かなにかが流れている。その画面の右奥に、アウンサンスーチーと思われる人の肖像画。店内を見回すと、同氏のポスターが壁に貼られている。ダンバウが運ばれてくる。空腹で、がつがつ食う。鶏肉は骨から身を簡単にほぐすことができるほど煮込まれている。会計を済ませ店を出る。以前から気になっていたこの店にようやく入ることができた。

 

7月26日(金)
病院で定期検診。このあいだは尿酸値がかなり高く、このままでは薬を飲むことになるとの診断であった。今日の血液検査の結果、薬は飲まなくてよいことに。食事に気をつけたのがよかったのかもしれない。病院から出ると、木々のすきまからうるさいくらいの蟬の鳴き声。地下鉄に乗る。
古い木造アパートを改修した建物。2階が体のメンテナンスのためのサロンと宿泊施設、1階がカフェとギャラリー。木の柱があちこちに立っており、ギャラリーの部分は吹き抜けになっている。ギャラリーの壁にあるのは、「HOPE 川口祐」の文字と会期。作品の絵画は床にある。土と血が混ざったような色で、短いストロークで、縦に、横に、床一面に、描き重ねられている。作品のなかには入らず、外側から、床を眺める。そして、なかに入る決意をする。ところが、「作品の上には土足のままお上がりいただけます」という小さな文字を発見。作品を踏むか否かを問われたわけではなかったことに気づく。よろけるように、土足のまま、作品の上に乗る。その後しばらく、作品の上を歩き回る。いま思うと、すこし座ったりしてみればよかった。
カフェで食事する。案内されたテーブルからは、作品がところどころ覗いている。靴の裏はさきほどそこにあり、いまテーブルの下の床にある。下を向いたとき、さきほどは作品があり、いまはカレーライスがある。作品と自分とのあいだにもうひとつテーブルがあり、そこに人がいる。その人たちが、横に見えている作品を話題にする。そして話題は別のことへと移ってゆく。食後のシャーベットが運ばれてくる。
食事を終え、会計を済ませてから、また、作品の上を2、3周歩く。あたまのなかは空白。あふれ出ることをなにかが防いでいる。作者は展示あるいは作品のタイトルに「HOPE」と入れた。13年前に訪れた、かつてあったものがどこかへ流れ更地になった土地の広がりのこと、そこに立ったときのことを思い出す。
外へ出る。作品と接触していた靴の裏が道路と接触する。

HOPE 川口祐
HAGISO
2024年7月10日〜8月4日
https://hagiso.com/hagiart_202407/

 

同日
別の会場。目の前に作品がある。それを見る。見えない糸が紡がれ、じょじょに緊張が高まる。緊張が高まったままの状態が訪れる。突如、その糸を切断し邪魔する人が横から現れる。遠慮なく、見ている作品を手で隠すのだ。自覚はないだろう。怒りが湧いて、見るのをやめる。最低の気分で会場を出る。

 

7月31日(水)
学生のころ、7月か8月、夏バテして、体重が激減したことがある。なにで得た情報だったか、レバーを食べるのがいいと知り、それが本当かどうかわからなかったが、定食屋でレバニラ炒め定食を食べ、体調がよくなった。以来レバニラ炒めが特別な食べものになった。夏バテしたわけではないが、ちかごろ活力の低下を感じ、今日食べた。
ジャン゠リュック・ゴダールの『カラビニエ』を見る。

(2024/8/15)

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言水ヘリオ(Kotomiz Helio)
1964年東京都生まれ。1998年から2007年まで、展覧会情報誌『etc.』を発行。1999年から2002年まで、音楽批評紙『ブリーズ』のレイアウトを担当。現在は本をつくる作業の一過程である組版の仕事を主に、本づくりに携わりながら、2024年に『etc.』をウェブサイトとして再開、展開中。