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双子座三重奏団七夕コンサート|齋藤俊夫

双子座三重奏団七夕コンサート
Gemini Trio the Festival of Vega and Altair Concert

2024年7月7日 両国門天ホール
2024/7/7 Ryogoku Monten Hall
Reviewed by 齋藤俊夫(Toshio Saito)
動画撮影:後藤天、画像キャプチャー:松平敬

<演奏>        →foreign language
双子座三重奏団
 Tp: 曽我部清典
 Pf: 中川俊郎
 Br: 松平敬
(ゲスト)Sp:工藤あかね, Cond: 山本哲也

<曲目>
松平頼暁:『中川俊郎へ』(2018)
Tp,Pf,Br
中川俊郎:『マタイによる福音書 第7章3-5節』(2023 舞台初演)
Pf,Br
夏田昌和:『美しい夕暮れ』(2023/24 ピアノ伴奏版初演)
Pf,Sp
西村朗:『ヘイロウス(光輪)』(1998)
Tp,Pf
川島素晴:『インヴェンションVb』(2006/08)
Tp,Pf,Br
新垣隆:『インヴェンションまたは倒置法”アマリッリ”』(2018)
Tp,Pf,Br
たかの舞俐:『魔女のアリア~オペラ『ゲルダ』より』(2023初演)
Tp,Pf,Br,Sp
松平敬:『心の中で歌うI~III』(2023 連作としての全曲初演)
演奏者、作曲者全員、聴衆、Cond
伊左治直:『竜の湯温泉郷への追憶』(2010)
Tp,Pf,Br
中川俊郎:『カンタータ第1番:225の前奏曲』(2024初演)
Tp,Pf,Br

 

中川俊郎還暦を記念して作曲された松平頼暁『中川俊郎へ』、「スタート」という松平敬の声で、おそらく♩=60のテンポでメトロノームが動き始め、松平はその後「10」「20」「30」「40」「50」「60」とメトロノームをカウントする。このカウントは中川の年齢と対応し、拍中で中川のピアノと曽我部のスライド式トランペット(ゼフィロス)が断片的な特殊奏法を奏でた時点が中川俊郎の人生で大切なことが起きた年である。音以外の物事の秩序を変換して音楽を組織化するという実に松平らしい音楽、奇想ひしめく今回の先陣を切るに相応しい作品であった。
中川俊郎『マタイによる福音書第7章3-5節』、ラテン語聖書内の「兄弟の目の中にあるおが屑を見ながら自分の目の中にある梁をなぜ見ないのか?」という一節を声楽化した作品だそうだが……どこが聖書なのか皆目わからない。ピアノの打鍵で始まったと思えば中川と松平2人でピアニカを吹き、さらに松平は息の音を聴かせたと思えば何かの録音を再生し、かと思えば松平が狂ったように楽譜を投げ捨てるなど、何が起きているのかわからないままどんどん進んで、最後には松平が神妙な様子で歌い終える。これは一体何だったのだ?
夏田昌和『美しい夕暮れ』は先の2作品で少なからずこんがらかったこちらの感性をなだめてくれる、「美しい」と素直に言える声楽曲。工藤のソプラノの調性と無調のあわいを漂い、聖性すら感じさせる叙情と叙景に、ああ、そうか、夕暮れの音楽だ、と改めて認識する。東京では夕焼けを見ることが少ないなあ、などと思う。
西村朗『ヘイロウス(光輪)』、ピアノが空を、トランペットが空を飛ぶ天使を演じるかのように朗らかな作品。西村と言えばアジア主義であると思うが、アジア的な香りは筆者には感じられなかった。2人で高みへと昇り、消えゆくまで夢心地の体験をした。
川島素晴『インヴェンションVb』、「パ」「パッパッ」「パーパー」「パン」「パッパーパパン」などと始まり、「スー」「スースー」「スーパー」~~「パスタ」~~「スーパースター」~~「パール」~~「パンナコッタ」~~「パチンコ」等々等々松平が発する言葉が前の句から徐々に変容・変貌していき、その言葉の抑揚に合わせてピアノとゼフィロスが奏される。やがて「フタゴザサンジュウソウダン」に至り、「ゴ、ゴ、ゴ、ゴ、ゴ、ゴ、ゴ……」と落下。以前にも聴いた作品だが、なかなかどうして面白さが色褪せないのはさすがと言うべきか。
新垣隆『インヴェンションまたは倒置法”アマリッリ”』、”アマリッリ”とは有名なカッチーニのソプラノ声楽曲、だからだろうか、序盤は松平は厳かに朗唱し、ピアノ、トランペットも低声で語る。だが、である、いつの間にやら「サッササッサ~」と松平が歌い、ピアノもおどけ、トランペットの曽我部も踊り、おどける。松平、中川、曽我部、そして洗面所のある部屋から新垣が作品のコンセプトを朗読する。双子座コーポレーションのCMソングが歌われる。「それでは」「おほほほーほ」「あはははーは」「キラキラ光る、お空の」「ハッピバースデー」と狂気じみた宴(この作品はもともと中川の還暦祝いに書かれた)が繰り広げられて謎過ぎたまま終わる。だが、筆者にとっては『リタニ』などより俄然新垣の才気、センス、芸術家としての正直さを感じさせる作品であった。
たかの舞俐『魔女のアリア~オペラ『ゲルダ』より』、「クソバカカラスの親父パック!いいかげんに静かにしないか」といった松平(魔女役)の機嫌悪い歌声がまず面白い。工藤(少女ゲルダ役)が「アアアア」「オオオ」と洗面所のある部屋から歌い、やがて部屋から出て松平と顔を合わせるも、その出会いはディスコミュニケーションのまま曲が進み、最後には「ラ・ラ・ラ・ラ・ラ……子供よ、今、行くわ!」という詞が松平の真骨頂とでも言うべき朗々たる声で歌われる。子供の頃読んだ童話の「純真さ」と「毒」という表裏一体となった情感に溢れた作品であった。
松平敬『心の中で歌うI~III』、プログラム記載のスコア(抄)では『「I」心の中で歌うこと』『「II」合唱団は、指揮者に合わせて心の中で歌う』『「III」聴衆は、指揮者に合わせて心の中で歌う』とあり、これに付け加えるべきことは、歌う際に口を開けてはいけない、というルールがあったことくらいである。要するに完全無音の中で「I」松平1人が、「II」演奏家と作曲家の集団が松平敬の指揮で、「III」聴衆が松平敬の指揮で、心の中の歌声に合わせた顔芸を見せる、という「なんともはや……」という冗談(だと思う)音楽。だが嫌いではない、決して嫌いではないぞ。
伊左治直『竜の湯温泉郷への追憶』、序盤はトランペットの(微分音を伴った?)発音と共に松平が「ア」「ハ」「ア」「ハ」と点描的に発声し、ピアノの中に頭を突っ込んで残響を響かせたりする。次第に言語的に発音が整っていき、演奏も合奏らしい合奏を成して、民謡調の「草が枯れる地獄谷」「竜のため息立ち昇る」「この世の果ての温泉郷」「竜の湯へ行こう」といった歌が奏でられる。が、最後にはまたピアノに松平と曽我部が頭を突っ込んで残響を響かせて、了。伊左治らしいシュールさとユーモアに溢れた佳品であった。
中川俊郎『カンタータ第1番:225の前奏曲』、演奏会の最後に前奏曲とはこれいかに、と思えば、色々な作品の先頭だけを切り取った断片、ナンセンスな断片、おもちゃの楽器、グチャグチャのピアノのアルペジオなどなどが連なり、重なり、松平は先の『心の中で歌う』のような芸まで見せて、とにかく何が何やら、シッチャカメッチャカで、ナニカの前兆(前奏)のようだが、一向にそのナニカが現れないまま大量の前奏曲だけが現れては記憶の中に堆積していくという珍曲中の珍曲。松平が得意のホーミーで見事に演奏会の最後を飾って、全曲終演。

ああ、自由だなあ、と感じた。「芸術」というといささか気恥ずかしいが、「大衆音楽」から離れた「芸術音楽」ならではの自由な感性が迸る実に愉快な会であった。

(2024/8/15)

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<Performer>
Gemini Trio
Tp: Kiyonori Sokabe, Pf: Toshio Nakagawa, Br: Takashi Matsudaira
Guest: Sp: Akane Kudo, Cond: Tetsuya Yamamoto

<Pieces>
Yori-Aki Matsudaira: To Toshio Nakagawa
Tp, Pf, Br
Toshio Nakagawa: Evangelium Secundum Mattheum 7:3-5
Pf, Br
Masakazu Natsuda: Beau Soir
Pf, Sp
Akira Nishimura: HALOS
Tp, Pf
Motoharu Kawashima: Invention Vb
Tp, Pf, Br
Takashi Niigaki: Invention ─ Inversion V “Amarilli”
Tp, Pf, Br
Mari Takano: Witch Aria (from Opera “Gerda”)
Tp, Pf, Br, Sp
Takashi Matsudaira: Singing in Heart I – III
All Composers, all Players, all Audience and Cond
Sunao Isaji: Memories for Tatsunoyu Spa
Tp, Pf, Br
Toshio Nakagawa: Cantata No.1: 225 Preludes
Tp, Pf, Br