2024年7月の短評2公演|丘山万里子
♪都響 第1005回定期演奏会Aシリーズ
♪Eureka Quartet ベートーヴェン ツィクルス vol.5
Reviewed by 丘山万里子(Mariko Okayama)
♪都響 第1005回定期演奏会Aシリーズ→演奏:曲目
2024年7月24日 東京文化会館
低弦楽器好きの筆者、都響コントラバス首席奏者池松宏がトゥビンの協奏曲を弾く、というので飛んでいったのである。指揮は A・ギルバートだし。
この作品、2022年紀尾井ホール室内管弦楽団&池松、指揮アントネッロ・マナコルダ(第131回定期)で聴いており、変化に富むその作風と池松の歌心、とりわけアンコールでの『 ディア・ハンター』(「カヴァティーナ」)に蕩けたのだった。トゥビンはエストニア出身、ソ連侵略によりスウェーデンに亡命したが、故郷への想いが随所に感じられる作品である。
さて、今回は。
前半2曲目だったが、PAがセットされたからやはりこのキャパでは「なま」では無理なのか、と思う。冒頭、打と弦の刻みにのって現れる低音の鳴り。去るほかなかった故郷の大地を踏み締めるごときトゥビンの足取り、と筆者は聴くがPA使用でもなおややヴォリューム不足で線が細い。池松は轟々と音圧で押すより繊細な歌謡性を持ち味とするが、2022年での演奏に過不足はなく、書法も響きのバランスを的確に押さえたもの。従ってやはりキャパの問題が大きいのではないか(筆者は1階ほぼ中央席)。オケの高揚から沈潜ののち、朗々と歌い出される節の幅広上下行が宿す民族的な情念の深さも、オケに埋もれて届いてこないシーンが散見される。 Andante sostenutoからカデンツァに至っての超絶技巧と豊かな抒情性の横溢はさすがだが、終楽章のリズミックなAllegro non troppoからpoco marcialeでは管弦の波間に浮き沈み、といった具合。A・ギルバートは室内楽的バランス感覚の良い指揮者と聞くが、ソロを十全に活かせたとは思えない。大ホールの音空間は池松にしても不完全燃焼であったのではないか。アンコール『アメイジング・グレイス』は吉野直子のハープとともに、筆者には蚊帳の外からの視聴のようで、歯噛みしてしまったのである(こちらはPA不使用)。
いずれも、ホールを埋める聴衆は大歓呼であったから、筆者の聴取に問題があるのかどうか。
この選曲がレアものであり、かつ池松の還暦祝いとともに(ステージで団員が赤いちゃんちゃんこに帽子を被せ祝福)、当代きっての名手のヴィルトゥオジテを披瀝するにふさわしいというのは確かだ。が、協奏曲の底に流れる亡命者の叫びや、『アメイジング・グレイス』(奴隷貿易で儲けた商人が船沈没の危機に遭遇し心を改め牧師になった神への祈りの詩)の持つ深い意味とともに、作品の繊細な陰影や池松の歌心のなんたるかをPAで伝音するには、もっとバランスに工夫が欲しかった、というのが偽らざるところ。
前半のリンドベルイは題名通りの華やかな彩り、後半の《シェヘラザード》もまた各ソリストの腕の見せ所、とりわけ矢部達也のソロの美しさ、オケの喜色満面、そこから生み出される音楽の華麗豊満壮大をグイグイとダイナミックに操るA・ギルバートに、これまた大歓呼の聴衆、興奮冷めやらぬロビーで、当夜の大成功は間違いなかったけれども。
♪Eureka Quartet ベートーヴェン ツィクルス vol.5→演奏:曲目
2024年7月31日 東京文化会館小ホール
上野駅を降りての雷鳴土砂降り、ホールまでほんの僅かだが、まだ一度も聴いていない彼らのベートーヴェンであれば遅刻できん、と半身ずぶ濡れで飛び込む。
”エウレカ”とはアルキメデスが入浴時、変化する水位と体積の原理に気づいた際に発した「見つけた!」「分かったぞ!」という感嘆詞とのこと(ユリイカもそれ)。各4人(森岡聡、廣瀬心香vn、石田紗樹 va、鈴木皓矢vc)それぞれの視点、あるいは奏者と聴衆の間に生まれる「見つけた!」「分った!」から飛び出すエウレカを目指すそうだ。2022年のデビューで、全員ドイツに学んでいる。
そのベートーヴェン、今回は『第10番』、『第12番』。
『第10番 ハープ』の序奏の和音の移ろいにベートーヴェンの中に潜む不可思議な浮遊感、不安な魂がゆらゆら宙を泳いでいるみたいな、に何やら不安、ベートーヴェンの音楽のいつにない扉を開けられた気分に。すぐと快活な刻みとピチカートになって、そうだよね、と安心するものの。私事だが筆者はこの4年西村朗を浴び続けるうち耳が変わったと自覚、この印象もそれゆえかも。それとも、彼らの為せる技? いずれにせよ、そのアンサンブルの精緻、音質音色の均質でノーブルな響きに心落ち着く。第2楽章vc、vn、2vn、vaの互いの語らいの美しさ、とりわけvaに優れたバランス感覚を見る。いつも微笑でメンバーに目を散らすvaが、このカルテットの要ではないか。打って変わっての俊足高速第3楽章、ここでは逞しいユニゾンの切れ味が冴え、終楽章変奏も多彩な表情の輪舞。が、いかにもな最後の念押し強奏をふっと落とし掻き消える感じも、いつもと全く違って聴こえ、冒頭のあれは、最後のこれか、と思ったりするわけだ。これが「エウレカ」?
『第12番』冒頭の重厚強靭な和音の総奏の帯からvnがそっと光を分けてもらうように柔らかな調べを奏で出した時は「おお」と思ったのである。響きというものは光と同じであらゆるものを含んでおり、それをどう混ぜ合わせ配分し色付けてゆくか、形づけてゆくか、そのあんばいに尽きると筆者は思うが、まさにそれを実感した次第。第2楽章4者の歌い合わせ、フレーズ間の受け渡しも互いを思いはかり繋いでゆく繊細、とりわけ1vnの清澄な音色と、vaの温かさが印象深い。変幻自在な第3楽章を経て怒涛の終楽章を小気味よく決めた。
この世代、癖の強いクァルテットが並んでおり、それはそれで大いに楽しい。
が、正攻法である意味「盛らない」彼らが残りのツィクルスでどんなベートーヴェン像へ至るのか、楽しみ。
ベートーヴェン全曲演奏とは、奏者が通らねばならぬ関門で、奏者も聴衆も育てる、彼はそういう音楽家だったと、改めて感じた次第。全くもって音楽の学びは尽きない…。
(2024/8/15)
<演奏>
指揮/アラン・ギルバート
オーケストラ/東京都交響楽団
コンサートマスター/矢部達也
コントラバス/池松宏(都響首席奏者)
<曲目>
マグヌス・リンドベルイ:EXPO(2009)
エドゥアルド・トゥビン:コントラバス協奏曲 ETW22(1948)
【ソリスト・アンコール】
アメイジング・グレイス(安田芙充央 編曲)
(コントラバス/池松宏、ハープ/吉野直子)
リムスキー=コルサコフ:交響組曲《シェヘラザード》 op.35(ヴァイオリン独奏/矢部達哉)
♪Eureka Quartet ベートーヴェン ツィクルス vol.5
<演奏>
森岡聡、廣瀬心香vn、石田紗樹 va、鈴木皓矢vc
<曲目>
ベートーヴェン:弦楽四重奏曲第10番 変ホ長調作品74「ハープ」
弦楽四重奏曲第12番変ホ長調 作品127