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ヤニック・ネゼ=セガン 指揮 METオーケストラ来日公演【プログラムB】|秋元陽平

ヤニック・ネゼ=セガン 指揮 METオーケストラ来日公演【プログラムB】
The MET Orchestra conducted by Yannick Nézet-Séguin 2024 Program B

2024年6月26日 サントリーホール
2024/6/26 Suntory Hall
Reviewed by 秋元陽平(Yohei Akimoto)

Photos by (C) Naoko Nagasawa

<キャスト>         →Foreign Languages
ヤニック・ネゼ=セガン(指揮)
メトロポリタン歌劇場管弦楽団
リセット・オロペサ(ソプラノ)
<曲目>
モンゴメリー:すべての人のための讃歌(日本初演)
モーツァルト:アリア「私は行きます、でもどこへ」「ベレニーチェに」
マーラー:交響曲第5番 嬰ハ短調

 

じわじわと失望感が広がる演奏会であった。
たしかに、劈頭をかざるジェシー・モンゴメリーの『すべての人のための讃歌』は心をひくものだった。グレゴリオ聖歌のように単純な旋律がポリフォニックな展開のなかでおごそかに反復されるその形式はネオクラシカルとさえ言ってもよいものだが、実のところ、あれもできる、これもできるという技術と色彩を予感させつつも、作曲家がむしろ禁欲的に切り詰めてこの道を選んだのだということが伝わってくる。その抑制的な筆運びにわたしは引きつけられた。「すべての人」に語りかけることについて、現代のアメリカにおいて到底楽天的になどなれないことを作曲家が確信しているからではないか。ヤニック・ネゼ=セガンのタクトもいたずらに情熱的になることなく、瞑想的なメロディの底へと降りていく。
アメリカが置かれている状況を喚起させられたところで、リセット・オロペサを迎えたモーツァルトの二つのアリア。たしかにそのコロラトゥーラにおいて輝く彼女の高貴さと無邪気のみごとな両立を感じられた…いやしかし、どちらかといえば「垣間見せた」あるいは「予感させた」というほうが、より適切かもしれない。予感というのは、実際には『私は行きます、でもどこへ』においてはたしかにブリリアントではあるものの曲調のニュアンスに比してやや生硬な表現にとどまり、また『ベレニーチェに』ではコントロールの点で随分とひやひやさせる場面も多かった。それでもこの歌手を今後とも聴いてみたいと感じさせるには充分であったけれども。
ほんとうの問題はマーラーの第五番で、これは端的に言って日本の聴衆を満足させる水準にはなかった。それははじめから終わりまで散見された各ソリストのミスのようなその日その日のマイナー・エラーのことをあげつらって言っているのではない。冒頭の遅いテンポからしてそれを正当化する内的な充実を持たないし、第一楽章後半や第二楽章では、書き込まれた分厚いテクスチュアが表現されず、その過剰さがもたらすはずのマーラー的»Affekt«は、むしろ表層的な”effect”に還元され、息の短い、その場しのぎの歌心ばかりが散見される。マーラーの音楽が長くても聴くに堪えうる理由である音楽的持続が作り上げられることがなく、それゆえに逆説的に長く退屈に感じられる。
ネゼ=セガンはもっと遠くへ行きたかったのではないかと思わされるところもある。彼が大きく主導権を握ってテンポを動かす場面、例えば第三楽章のいくつかの箇所では音楽がにわかに精彩を取り戻し、期待させるのだが、またすぐに空中分解してしまう。アダージェットがいかに官能的であろうとも、第一楽章から積み重ねられた記憶の上に展開されなければ片手落ちの感を免れない。アンサンブルで世界的に有名なはずのこのオペラ座付オーケストラの各員が、むしろ与えられたパートのみを墨守している印象を受けたのは、マーラーの難しさでもあるだろう。昨年、一昨年と聴いたクリストフ・エッシェンバッハやジョナサン・ノットはマーラーを指揮するにあたって、巨大な構築物を透視して整理するのではなく、むしろそれが縺れて不安定化するような「点」に絞ってオーケストラをあおり、いわば掛け金を釣り上げていくことで音楽を躍動的なものにしたが、たとえそのような試みがあっても、この日聴いたMETオーケストラでは反応できたかどうか疑わしい。わたしが聴けなかった別日の『青髯公の城』の良い評判が聞こえてくることを考えると、作曲家との相性、あるいは労力の配分の問題であるのかもしれない。円安による海外オーケストラの招聘困難があるだけに心苦しいが、むしろそれだからこそ、上述の指揮者たちの演奏をはじめ、現在の日本で聴くことのできるマーラーの水準の高さも鑑みれば、プログラムには一考の余地がある。

(2024/7/15)

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<Cast>
Yannick Nézet-Séguin (Cond.)
The MET Orchestra
Lisette Oropesa, soprano

<Program>
J. Montgomery: A Hymn for Everyone (Japan premiere)
Mozart: “Vado, ma dove?” K.583 / “A Berenice” K.70
Mahler: Symphony No.5 in C-sharp minor